プロ論。2/著者不明
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各界で活躍している著名人に、その活躍できたコツ、いわゆるプロの哲学をインタビューして、その連載をまとめたのがこの「プロ論。2」。
たしか、第3弾まで発行されていた気がします。


テレビなどで活躍している人たちは、必ずしも順風満帆ではないようです。
苦しみ、その中でガムシャラにやってきた、その結果、運も伴って名声を得た、という認識が正しいのでしょう。

このプロの哲学、一人ひとり言葉が違うのです。
確かにプロとして彼らに共通しているものもあるとは思いますが、結局は自分で手探りでそのコツを見つけていかないといけないのでしょう。

なので、これを読んでプロになれるヒントを得られる、というよりも刺激を受けて模索していこう、という目的で読むべきなのだと思います。

ただ、プロの哲学の中でも印象深いものもあるので、いくつか引用してみます。
ライバルが少ない、自分にしかできない仕事を見つけ出す
いとうせいこう氏の言葉。「講談社に入ったのは、偶然みたいなもの」と言っている時点で、ある程度才能のようなものがあったんでしょうね。
ただ、みんながやっていることをやっていても競争は激しいし、それで活躍できるとは限らない。
マイナーでも、自分が1番になれる仕事をやれることは大事なんでしょうね。
オンリーワンとは、マイナーなナンバーワン、ということなのでしょう。

自分がいかに、ものを知らないか。もっともっと恥じよ
勝谷誠彦氏の言葉。
プライドの高さからか、知ったかぶりをしてしまう自分を思わず反省してしまいました。
いつか、記者の人から「取材をするとは恥をかくことである」と聞いたことがあります。
常に勉強して、アンテナを張り巡らせないと、そう自戒しました。
心の中で「なぜ」を繰り返してみる。それが論理的思考を育てる
予備校講師の細野真宏氏の言葉。
まさに数学科出身だから、といえる言葉。特にコンサル業界だと、論理的思考は重要になってくる。
思考を止めないためにも、理由・背景を探っていく姿勢を持っていきたいもの。
ちなみに、この面接方式を「リクルート方式」といいます(笑)

直接的に役立つ本ばかりでなく、こういう本をたまに読んで刺激を入れるのも、モチベーション維持にはいいかもしれませんね。
読みすぎでは何も頭に入りませんが…(苦笑)

とある会社説明会で、新入社員が3年間働く成長ぶりを描いたDVDを観ました。


そこで気になったのは、3年目の秋に、就活セミナーで先輩社員として学生の質問に答える1シーン。

どのように答えているか、というのは正直どうでもいいのですが、


社員以外にスーツを着た学生全員に対して顔にモザイクがかかっていました。

そこまで気になるものなのだろうか?


確かに、肖像権というものはあって、

過去に放送した番組や映像資料では、そこにちょっとでも出演している人全員に対して、放映許可を取らないと顔出しで配信してはいけないそうです。


とはいえ、これはさすがにやりすぎなのでは?という気がします。

どうせ映像で使うブースが決まっているのだから、そこにいる学生にだけお願いを入れれば済む話なのでは、と思うのですが、世間一般の評価は違うようです。

モザイクかけられるのは、なんか悪いことをしているような気がして、違和感を感じます。


ことに、個人情報保護が叫ばれるようになってから、動画だけでなくて、写真を撮るにしても肖像権を主張したりプライバシーをやたらと主張したりしている人がいます。


撮影という行為自体嫌いな人がいても、確かに致し方ない面もあるかもしれません。


ただ、それに敏感になりすぎて、デメリットを主張するあまり、他人や自分の潜在的なメリットを潰しているようにも思えます。


だからといって、じゃあ藤巻くんは個人情報はオープンなスタンスなんだな、と思われてむやみに画像や個人情報をネットを通じてばらまかれても困ります。


要するに、濫用しない程度に利用する分には問題なくて、もしクレームつけられたらその時に対処すればよいのかと、思います。


ただし、これは個人の話。


実は僕、先日から読売ジャーナリズムセミナーに参加しています(もしかして読まれている方の中で参加されている方がいるかもしれませんね)。


その中の話で、新聞に掲載してもいい、という顔写真が最近なかなか入手しづらくなった、というのです。


御巣鷹山での日航機墜落事故では、読売新聞では全員分の顔写真を掲載しました。

一方、JR西日本での脱線事故では、8割程度しか入手できず、さらにその1割は遺族から掲載拒否をされたそうです。



確かに、事故の直後に、亡くなった身内の写真を世間一般の人にさらす、という行為は勇気がいることでしょう。


しかし僕は、その第二の不慮の事故を起こさないためにも、読者に印象づけさせるためにも、顔写真掲載は必要だと思っています。


そのインパクトによって、悲しみを少なくすることが可能なのではないか、と思います。

今はたしかにツライかもしれない、ただ長い目で見たときに、その悲しみを再び起こさせないように、僕であれば依頼するでしょう。


ただネット社会では、それを濫用されるリスクはあります。そこは掲載の棲み分けを徹底してもいいかもしれません。

自戒もこめて。


よくオピニオンとかを書くことがありますが、そのときに注意しているのは煽動を招くような表現は避ける、ということです。


オピニオンを読んで、それに論理的に納得して意見が変わって支持する、ということは煽動ではない。


「煽動」には感情的なものが含まれていて、

例えば「○○の人にとっては不利だ」という記事を目にすると、


「なに!?○○の人がそれではかわいそうじゃないか!!」


と感情をむき出しにして、やたら反対をするように人を仕向けてしまうこと。

これは煽動です。


記者は読者を代表する目撃者とか代弁者、という認識がありますが、

その正義感が過剰になってあたかも国民や読者の意見を代弁しているような表現というのは避けるべきでしょう。


というのも、「××は多くの国民が受け入れない」とはいうが、それはなんの根拠を持ってでしょうか。

世論調査の結果ならばまだわかりますが、

「どーせ世論調査をとれば多いに決まっている」という決め付けとか、職場の周りの意見が大体多いから、とかでは不明確な根拠です。



オピニオンというのはあくまでも自分が感じて考えたことを述べるためのものです。

それを、自分の意見があたかも一般的な意見のように仕向けて書くようなマネはしたくないものです。


もしそう書くならば、少なくとも客観的な根拠を持って書くときでしょう。