水俣病

 

 

 

 水俣病に対する国の姿勢が問われる事態が発覚しました。
 
●マイク切り問題
 今月1日水俣病患者らが伊藤信太郎環境相との懇親の場で、環境省側が、「(発言が)3分超えたから」とマイクを切りました。
 
 後日、環境相は謝罪しましたが、何十年と苦しんできた被害者がこの懇親会のためにさまざまな思いを整理し、大臣に伝えようとするのに、1団体3分は妥当なのか。
 
 被害者の一人、松﨑重光さんは水俣病と認定されずに昨年亡くなった妻への思いを訴えている時に、マイクを切られました。
 
 その時の松﨑さんの愕然とした表情と無念さの滲んだ顔が、頭から離れません。
 本当に被害者を救う気があるのか、疑いたくなるような態度でした。
 松﨑さんはマイクを切られた後も発言を続けていました。
「苦しんで死んでいった者の気持ちを汲んでいただけませんか」

●話を聞いて
 そもそも環境省と水俣病患者との懇親は、謝罪の歴史です。
 
 1977年現地を訪れたのは当時の環境庁長官・石原慎太郎氏。
 懇談の席で水俣病患者の女性から抗議文をつきつけられ、その患者に対し「知能指数が低い」と発言しましたが、その後土下座して謝罪しました。
 
 2015年、新潟で開かれた患者と環境大臣の懇親会。予定の時刻を過ぎると、懇親を打ち切ろうとしました。
 
 ここから見えるのは、国が誠実に真摯に被害者の声を聞く姿勢がない事です。
 
 結局、話し合いといっても形だけのパフォーマンスになっています。
 
 時間無制限といわずとも、今後はじっくりと真剣に被害者に向き合う場を作って、誠実に聞き取りを行って欲しいと思います。
 
 それが、国民の命を守る国の責任です。
 
●時間がない
 公害の原点とも言われる水俣病が公式に確認されたのは、1956年5月。
 原因はチッソ水俣工場の排水に含まれたメチル水銀という毒物です。
 汚染された魚を食べた人が次々と発症しましたが、チッソは自らを原因とは認めず、被害は拡大し続けました。
 
 1968年9月に政府が公害と認定しました。
 その後、水俣病の認定を求める患者が急増しましたが、そこには認定程度の壁がありました。
 
 国が特定の症状の組み合わせが必要と条件をつけたため、被害者は切り捨てと反発しました。
 しびれや耳鳴りなどの症状を訴え、繰り返し申請しましたが、水俣病と認められることはなく、松﨑さんの妻は去年4月に亡くなくなりました。
「本人は悔しかったんじゃないかと思っています」
 
 水俣病と認定されたのはこれまで熊本、新潟、鹿児島で3000人。
 今も約1400人が認定を求め、審査を待っています。さらに、いまだに国の認定を受けていない方も大勢います。
 
 水俣病認定患者の約9割が死亡し、存命の患者の平均年齢は80.4歳です。
 水俣病を過去の話とせずに、今目の前で苦しんでいる人を救う、その事に全力を注いで欲しいと思います。