3月11日
 

 

 

 

   今日で東日本大震災から13年目。
   今年は元旦に能登半島で震度7の大きな地震があり、驚きました。
   また、2月下旬からは千葉県東方沖で群発地震が多発し、不気味さを感じます。
   
●大きな揺れ
   東日本大震災が起きた日のことは、今でも鮮明に覚えています。
   
   13年前のあの日、3月にしては寒い日でした。
   私は東京都内のオフィスで仕事をしていました。
   昼食を終え、休憩後、仕事を始めた頃でした。
   
   今まで経験にしたことのない大きな揺れ。部屋全体が大きく揺れて、乗っている船が揺られるような感覚です。がたがたという通常の地震とは全く違いました。
   しかも、長く続いたのでとても怖く、これは尋常ではないと感じました。
   
   慌てて机の下にもぐりこんで、揺れがおさまるのを待ちましたが、その時間は生きた心地がしませんでした。
   2~3分、いやもっと長かったかもしれません。それくらい怖い揺れでした。
   
   揺れがおさまった後、オフィス内を確認しましたが、幸い、物が壊れたり、棚から物が落ちてきて破損したりなどの被害はなく、ほっとしました。
   
   ですが、落ち着かず、仕事が手につきません。
   
   どこで地震が起こったかと思い、テレビをつけて、その映像に呆然としました。
   巨大な津波が海岸線の街を襲い、あっと言う間に家屋や車、なぎ倒された木々を飲み込みこんでいきます。
   津波が街の至る所に入り込み、さらに川にも流入し、逆流していきます。次から次へと押し寄せる水の量に、川の許容範囲を超え、溢れた水が、田畑を押しつぶしていきます。
   
   本当にこんな事がおきているのかと、信じられない思いでした。
   この世のものとは思えない光景に、ただ立ち尽くし、固唾を飲んで見ているだけでした。
   
●津波
   東日本大震災で甚大な被害があったのは、巨大な津波によるものです。
   
   最大10メートル、あるいはそれ以上の波(計器故障のため推計)が水深5千メートルから大きな壁となって押し寄せ、深いところでは約5キロの内陸まで浸水しました。
   リアス式海岸の複雑な地形が、津波の高さと威力を増幅したことも、被害を拡大させました。
   
   浸水面積は青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉の6県62市町村で、合計561km2。山手線の内側の面積の約9倍にあたります。
   
   東日本大震災は地震の怖さとともに、津波の破壊力をあらためて認識させてくれました。
   
●語り継ぐ
   東日本大震災後、その経験や教訓を語り継ぐ取り組みが各地で行われてきました。
   震災遺構や伝承館などには、県外からまた外国人観光客も訪れています。
   
   ただ、現在、被災地では、震災の経験を語り継ぐことが、難しくなっていると聞きました。
   
   名取市にある民間の伝承施設「閖上の記憶」では、来場者が年間2万人近く訪れたこともありましたが、今年度は約6500人。
   時間の経過とともに伝えることの難しさが増しているようです。
   
   2/7~2/13まで、20~60歳の1000人を対象としたNHKのアンケートでは、「周囲に自分の経験を以前は話していたが、話す機会はなくなった」が2割でした。
   
   震災の記憶をどう伝えていくか、今、震災を経験していない若い世代が動き始めています。
   
   当時秋田県に住んでいた女子高校生が、多くの人が犠牲となった釜石市で語り部を始め、災害から命を守る大切さを訴えます。
   震災後に生まれた小学生が、津波の動画を見ながら学習し、津波からの避難を促す看板作りを行い、自分たちが気付いた事を絵に落とし込んでいきます。
   
   若い人がどんどん伝えないと教訓は残っていかないものです。
   記憶や教訓、地域の伝承などを絶やさず、語り継ぐ取り組みを今後も大事にしていって欲しい。それを陰ながら応援していきたいと思います。