心広く、可能性を広げて

 

 

 

   相方の言葉には力(ちから)がありました。
   それは、相方の経験から得た信念に裏打ちされた言葉だったからです。
   
●信念をつくる
   相方の精神の基盤を作ったのは、まず読書です。
   
   高校卒業後、東京に上京してアルバイトで働いていた時、結核に罹患。
   仲間が進学先や就職先を次々と決めていくなかで、毎日ただベッドで寝ているだけで何も出来ない自分。焦りや将来に対する大きな不安で一杯の日々でした。
   
   その時、始めたのが本を読むことです。
「ひたすら読みまくったよ、必死でな」
「生きるために読んだんだよ」

   小説、哲学、歴史など、ジャンルを問わず、むさぼるように読んだそうです。
   「人生とは?」「自分はどう生きるべきか?」「人間とは?」について、一生懸命に探り、自分なりの考え方の基本を構築していきました。
   
「結核になったおかげだよ」
   後によく口にしていた通り、雑学も含めて幅広い知識や考え方はこの時に身についたのだと思います。
   
   もうひとつは、後輩の話をたくさん聞いた経験です。
   大学に入り、学生運動にも加わり、その中で指導的立場になりました。その時に多くの後輩の相談相手になりました。
   
   もちろん、優秀な人だけではなく、心折れて挫折しそうな人もいます。
   そうした一人一人の話をとことん、親身になってじっくり話を聞いて、励ましたり、時には叱咤したこともありました。でも、相手が納得するまで、話を聞き続けました。
   
   相方は、その話のどれを聞いても
「自分だってそうなる可能性がある」と思ったそうです。

   人間はそれぞれどんな事に悩み、どんなふうに考えているのか、それを実感したことが、相方の心に一つ一つ刻まれて、自身の血となり肉となっていったと思います。
   
   そして、その時の教訓をずっともち続けていました。
「どんなに嫌いな相手でも、その人の言っていることが正しければ、俺は受け入れた」

●最悪を想定
   高校卒業後の結核、その後の大学生活、就職してからも、数々の失敗をしてきたと言いました。
   
   とくに、相方は人がいいので、それを利用されることも多かったそうです。
   その中で、相方が決めた事は
「常に最悪を想定する」

   さまざまな状況や相手によって、事態がどう変わるかわからない時、迷ったり、悩んだりすることは当然あります。
   ですが、そんな時、最悪の場合を想定して、どうすればいいか考えておけば、落ち着いて対処できます。悩まずにすみます。
   
   今風の言い方を借りれば、あらゆるシュミレーションが頭のなかで出来ていたという事でしょう。
   それが相方の芯の強さになっていたと思います。
   
●羅針盤
   相方は、私はもちろん、いろいろな人の相談にのっていました。
   それは、失敗も含めて自分の経験を活かして欲しい。自分と縁した人間には、少なくとも幸せになって欲しいとの思いからでした。
   
   相談に時間を取られすぎて、仕事に影響しそうな時、「少し控えたら?」と言うと
「俺は来る者拒まずだからなぁ」と笑いながら受け流していました。

   とくに子どもを持つ親からの相談は、時間を惜しまず対応していました。
   子どもの成長期は、その判断により人生が大きく変わってしまう可能性があるからです。
「子どもの将来がかかっているからな」

   適切なタイミングで正しい判断を下す。そのおかげで、道を過(あやま)たずにすんだ子どもたちがいます。
   
●あらためて
   相方は常に幅広い分野に関心を持ち、広い視野にたって、世の中の事や人の事を観ていました。
   
   私もそうあろうと、精一杯やってきました。
   ですが、最近、視野が狭くなっているのではないか。相方のおかげで広い視野で考えることを教わったのに、それを忘れがちになっていないか。
   
   失敗も多かったですが、あらめて、その原点を思い起こして、頑張って書いていこうと思います。

   これからもよろしくお願いします。