ヒマラヤの麓で

 

 

 

   澄んだ青空の日になると、かつて友人と二人でネパールを旅したことを(30年以上前)、時折思い出します。
   空気が澄み渡り、ヒマラヤの山々がよく見える10月に訪れました。
   
●思わぬ出会い
   首都カトマンズからバスで1時間くらいの所に、ヒマラヤの山並みがよく見える場所があるというので、出掛けた時のことです。
   
   バスを降りても、案内図や道標があるわけではないので、どちらへ行ったらよいのかわかりません。途方に暮れていると、初老の男の人が訊ねてきました。
「どこに行くの?」

   目的を話すと、
「あぁ、それならこっちだよ」
   手招きしながら、付いてくるように促されました。
   
   道もない石だらけの山をずんずん登っていきます。私たちは付いていくだけでやっと。はぁはぁ言いながら、30分ほど登ると、
   
「ここだよ」
  微笑みながら指さす方向を見ると、雪を戴いたヒマラヤの山並みが、眼前に広がっていました。想像していたより、ずっと高くて大きく、日本の山のスケールとは全然違います。
  
「すごい!」その後は、感動と驚きで言葉になりません。
   谷底まで何千メートルもあるような、鋭く、切れ込んだ崖が、人を寄せつけない、ヒマラヤの山の厳しさを表していました。
   
●もてなし
   眺望を存分に楽しみ、お礼を行って戻ろうとすると、「家に寄っていかないか」と言うのです。驚いて、躊躇していると
「せっかく日本からわざわざこの村まで来てくれたんだから、もてなしたいんだよ」

   遠慮している私たちを促すように、家に案内してくれました。
   このあたりの土地は痩せていて、たいした作物は取れないと言って、畑を見せてくれました。ぽろぽろに乾いた土に、背丈が10センチもないような葉物が植わっていました。
   
   家はレンガ作りで、屋根には申し訳程度のカヤが載っています。
   
   雨よけの庇がある作業場で、その畑の野菜を刻んだり、家にある穀物を臼で引いたりしながら、
「家は貧乏で、何もないから、妻にもいい暮らしをさせてあげられない。嫁が来ても、たいした物を食べさせられなくて、本当に申し訳ないと思っている」
などと、自分たちの暮らしのことや、家族のことを、とつとつと話してくれました。

   時々、そばにやって来る孫たちを見ながら
「私に甲斐性がないから、不憫で仕方がない」と涙まじりに話します。

   話を聞きながら、1~2時間すると、ぜひ食事していってくれと言います。
   申し訳ないので、遠慮していると
「家に来た人をもてなすのは当たり前。たいした物は出来ないけど、食べていって欲しい」

   さっき畑から取ってきた葉物と、家にある野菜2~3種類、それに打豆(乾燥させた豆を叩いてつぶした物)を入れたスープと、小麦粉を薄く延ばして焼いたチャパティ。
   
   素朴な味が、胃にしみ入っていくような美味しさでした。外は寒かったので、暖かいスープは体はもちろん心も温かくしてくれました。
   
●「足るを知る」
   思いがけない親切なもてなしに、お礼を繰り返し言って、立ち去ろうとすると、
「また来て下さい。あなたたちは私たちの友達だから」

   そう言いながら、いつまでも手を振り続けています。
   私たちは涙で、その姿が見えないくらいでしたが、何度も何度も振り返り、手を振って、別れました。
   
   こうしたもてなしは、ネパール滞在の間、何度かありました。
   みんな暮らしぶりは、豊かではありません。場所によっては、電気も水道も不自由な村があります。ですが、そこに暮らす人たちは、明るくて、人懐っこくて、親切です。
   
   困っている人がいると、すぐにみんなが手を差し伸べます。そして、客人が来れば、もてなします。
   厳しい自然のなかでも、みんな精一杯その日を一生懸命生きている、その姿がとても印象的でした。
   
   「衣食住足りて」と言いますが、足りる基準は、それぞれです。何をもって「足る」とするのか。この国の人たちの生き方を見ていると、「足るを知っている」と思いました。
   そう考えると、今の自分の生活が何と有り難いことか、すごく幸せなことかと思います。