臆病なリーダー

 

 

 

   徳川家康について、生前、相方が
「あいつは臆病者だったんだよ」と言っていたことがある。

   その理由を、NHKでやっている「どうする家康」を見て、それなりに納得した。
   ドラマゆえの脚色もあると思うが、臆病者だからこそ、260年続いた江戸幕府の礎を築けたのではないかと思った。
   (番組宣伝のつもりは毛頭ありませんので、ご了承ください)
   
●弱虫
「弱虫、泣き虫、鼻水たれの殿じゃ」
   事あるごとに、家康が妻から言われた言葉だ。
   それほどに気弱で怖がり。だが、それは優しい心を持っているからだと、妻は理解し、受け入れる。
   
   だが、こうした弱気の虫は、戦いには向かない。
   家康が初めて迎える大戦、桶狭間の戦い(今川吉元と織田信長の戦い)では、怖くて怖くて、戦場から逃げ出す始末だ。
   
●支える家臣
   そんな殿を支える古参の家臣は、「しっかりしろ」と叱り飛ばしながら、一人前の戦える武将にするために、あるべき姿を教えていく。
   
   その後も、家康は、重要な戦いの場に臨む時、あるいはどの武将と組めばいいかなど、判断を迫られる時、その度に、「どうしたらいいのか」とか「自分には出来るのか」と思い悩む。
   
   判断を過(あやま)てば、一気に城も領地も滅ぼされる戦国時代だからこそ、その決断は重い。
   悩みに悩んで、時には、「俺はどうしたらいいんだ」と涙目になる家康。
   
   そんな殿を見て、叱咤激励する家臣、「殿なら大丈夫」と励ます家臣。あるいは弱気な姿を見て、「俺は殿とは認めない」と怒りとともに、行動を起こすよう迫る家臣。
   
   どれも自分たちの城と領土、そして殿を守ろうとする一心からの言葉だった。
   最終的に、家臣たちは、「殿が決めたのなら」と言って、家康の判断を静かに受け入れ、一致団結して殿を支えて頑張ろうとする。
   
●力がなければ
   だが、心優しき家康の心を一変させる事態が起きる。
   
   織田信長だ。
   人質だったとはいえ、織田信長の元にいた時は、強引に相撲の相手をさせられて、投げ飛ばされてばかり。大人になって盟約を結んだあとも「俺の白兎」呼ばわりされて、さまざまな戦に駆り出されていた。
   
   だが、最愛の妻が目の前で自害することを止めることも出来ず、嫡男も失ってしまった(理由は、謀叛の疑い)。
   自分の不甲斐なさ、守りきれなかった悔しさが込み上げる。
   
   この時、家康は気付く。
   周りに守られているだけでは、愛しい存在を守れない。力がなければ、大切なものは守れないと痛感する。
   
   ここから、家康の天下統一の道が事実上、始まったと言える。
   
●長期政権の礎
   江戸幕府を開いた家康は、参勤交代、江戸城の普請などを通じ、他の藩の財政的・軍事的伸長を防いだ(お金を使わせた)。
   身分の違いを明確(士農工商)にすることで、武士による長期政権を樹立した。
   
   臆病だからこそ、磐石な制度や決まりを作って、政権を安定させ、それが結果として、260年間続くことになった。
   
「現代も含めて、江戸時代が一番平和だったんだよ」
   相方の言っていた通り、こんなに長い間、戦争がなく、平和な時代が続いたのは、家康の臆病のおかげかもしれない。

   リーダーとして、臆病(=周到)なことも重要な要素だと思う。