世襲政治

 

 

  岸田総理が長男の秘書官を更迭した。
   岸田家の跡継ぎとして期待されていたが、自民党内や地元からも批判を受け、世襲が危うくなっている。
   それでも、政治に世襲は必要なのだろうか?
   
●歴代総理
   三代にわたる政治家の岸田総理はもちろん、私たちが知っている歴代総理は大概、世襲政治家だ。
   昨年亡くなった安倍元総理も、議員一家の家系だ。民主党政権では、鳩山氏も祖父からの継承だ。
   
   失われた30年といわれる1990年から現在までの歴代総理大臣の実に8割が世襲。自民党議員も6割が世襲だ。
   
   世襲政治については、たびたび批判が起こってきたが、大きく見直されることはなかったように思う。
   
   それでも、2009年、世論の批判を受けて、自民党は党規約を改定し、世襲候補の制限を盛り込み、マニフェストにも掲げたが、現状に大きな変革をもたらすものにはなっていない。
   
   実際、1996~2015年の衆議院議員の世襲割合を調査した結果では、25%以上、すなわち4人に1人が世襲だった。
   
●有利な立場
   世襲政治家は、選挙で圧倒的に有利だ。
   スタート時点で、いわゆる「地盤(支援組織)、看板(知名度)、カバン(資金力)」を、既に持っている。
   
   2009年、小泉進次郎氏が、父親のあとを継いで、立候補する時、こう言った。
「世襲は歌舞伎役者や落語家みたいに世襲になりました、成立しますというのではない。皆さんが当選させて初めて世襲は成立する。これは有権者の皆さんの判断だと思う」

   確かに一理ある。
   だが、決定的に違うのは、政治家は他の職業と比較して、一番公共性の高い仕事であり、国民の税金を使って報酬を払っているという事実だ。
   
   ところが、世襲は、仕事が一種の家業のようになってしまっている。
   
●大きな壁
   こうなると、世襲議員はどうしても自分の支援者を大事にする、その人たちの声を大切にする。
   結果として、政治は特定の人たちの利益を代表する、既得権益を守るものになっていく。権力の固定化だ。
   
   これでは、新しい人たちが政治家になろうと思っても、なかなか入ってこられない。立候補する段階で、世襲候補との間に大きな壁が立ちはだかっている。
   いろいろな立場にある人が挑戦する機会を失ってしまう。
   
   今の日本の議会は、多様な民意を反映することが難しく、活力ある議論が出来ているとは言い難い。
   
●イギリス
   19世紀イギリス。
   特権階級が政治を独占していると労働者の不満が高まった。以降、選挙制度の改革を実施。
   
   誰でも政治家を目指せるように、保守党、労働党の大部分の候補者が地元に縁のない選挙区から立候補する仕組みになった。これにより、事実上、世襲は難しくなった。
   
   サッチャー首相は、雑貨店の娘。メージャー首相はサーカス芸人の息子だ。
   多様な人材登用が進み、上下院の世襲割合は、わずか5%超だ。
   
●おまかせ民主主義
   日本は名門とか家を非常に大切にし、個人の能力よりも、「あの家の跡継ぎ」だから、といって、選ばれ、それがどんどん継承されていく。結果、政治が固定化し、社会の多様性を反映しないものになっている。
   
   もちろん、こうなっているのは、有権者にも責任がある。
   
   誰が立候補しているか、何を訴えているか、判断し、一票を投じるのは私たちだ。
   
   「どうせ誰がやっても同じ」とか「名前を知っているから」と、安易に選ぶ。あるいは投票に行かない。そうした私たちの「おまかせ民主主義」の姿勢が、世襲を長らえさせているともいえる。
   
   世襲がいけないとは言わない。だが、それで良いのか、問われているのは、私たち有権者だ。