10年生存率

 

 

  相方が透析生活に入って、この4月で10年になるはずでした。
   透析が始まった頃、相方は自分の病気について、いろいろと調べていました。
   
   ある日、少し真面目な顔をして
「ちょっと話があるんだけど。いい?」

   改まった様子に、緊張しながら待っていると
「透析患者の10年生存率は35%らしいんだ」
「えっ!?」

   突然のことで、ショックで、言葉も出てきません。涙が溢れてきました。
   
   相方は落ち着いた穏やかな顔をしながら、
「大丈夫、大丈夫だから。俺、頑張るから」

   それでも、涙が次から次へと出てきて、泣き崩れていました。
「俺、頑張って長生きするからさ。元気出して、応援してよ。ね?」

   大変なのは本人なのに、私の方が慰められていました。
   相方は、この時、すでに腹をくくっていたと思います。
   
   ですから、その後も、事あるごとに、
「10年は生きなきゃな」
「10年は頑張るさ」
   相方のなかでは、10年をひとつの目標にしていたと思います。
   
●規則正しく
   その後、週3日の透析を続けながら、1日でも長く生きるために、さまざまな事を考えながら、規則正しい生活を送るように心がけていました。
   
   食事制限があるので、何をどれくらい食べていいのか、時には計量器を使って、調整しながら食事をしていました。もちろん、美味しい事も重要ですから、味付けも、自分であれこれと工夫していました。
   
   格別の運動はしていませんでしたが、とにかく「歩く」ことは一生懸命でした。
   
   最初の頃は、透析クリニックの送迎バスを利用していましたが、「やっぱり歩かないとだめだ」と言って、途中からは、片道30分かけて、歩いて通っていました。
   
   猛暑の日とか、土砂降りの日は、
「バスかタクシー使ったら?」と言っても
「いいよ。歩いていくよ」
   結局、タクシーを使ったのは、年に数回でした。
   
●透析クリニック
   透析に通っている人たちは、たいてい送迎バスか家族の送迎です。
   歩いて通っていると聞いて、看護士さんたちが驚いていたそうです。
   クリニックで、相方のような人は稀だったようです。
   
   相方から、あの人は亡くなったらしいという話は時々聞きました。
   ですが、みなさん年齢はかなり上の人ばかりだったので、あまり深刻には捉えていませんでした。
   
   疲れたと言って、横になっている事は多かったですが、昨年、硬膜下血腫になるまでは、風邪ひとつひかず、コロナにもならず、元気だったので、突然の死はいまだに信じられません。
   
   硬膜下血腫手術を終えて、退院した時も、意気軒昂でした。
「これで、あと10年は生きられるぞ」
   
●やり切った
   結果は、残念ながら、10年には届きませんでした。
   
   ですが、相方は、「やる」と決めた事は、絶対に諦めずに、やり抜きました。
   時には、なかなかうまくいかない事もありましたが、やるべき事をやるべき時にやる、この精神を最後まで持ち続けました。
   
   相方本人としては、十分にやり切ったと思います。自分の命の限り、精一杯やったと思います。
   
●命の尊さ
   相方は、まるで「置き土産」のように、たくさんの言葉を残してくれました。
   言いたい事、言うべき事を、その都度、私や知人に話してくれました。
   
   話題は政治、経済、宗教、歴史、人としての生き方、子どもへの対応など、多岐にわたりました。
   
   でも、そのなかで、とても大切にしていたのは、「命の尊厳」です。
   
   複雑な問題でも、判断基準は「命を大切に」しているかどうかで、考えればいいと、教えてくれました。
   
   例えば、核や環境破壊について、
   
「人類は絶滅するほどの核を持っている。
人間がたくさん住んで生きるための科学技術の開発はもう充分じゃないか?
結局、金の追究を求めるだけで、貧富の差という不幸を生み出し続ける。
それよりは、一人一人の命に光を当てて、幸福を求める方が良いんじゃないかと思うんだけど」
   
●成長してこそ
   口癖のように、言っていた
「命を大切にしろよ」

   この言葉の意味を、今、深く考え直しながら、生きる毎日です。
   自分のやるべき事に必死で取り組んで、一生懸命生きる。そして、成長することが、人間にとっての喜びだし、生まれてきた意味がある。
   
   その言葉の大切さを、亡くなった今、身に沁みて感じます。
   毎日精進して成長していく姿をどこかで見続けてくれていると、信じながら、これからの日々を生きていきたいと思います。

 


白いレースのようなオルレアが、見頃になっていました