米国の幻想

 

 

   米国がアフガニスタンからの撤退を決定して以降、イスラム主義勢力・タリバンが急速に勢力を拡大し、またたくまに全土を掌握。15日には首都カブールを占領し、アフガン政権は事実上崩壊した。


   バイデン大統領の撤退決定そのものには、大きな批判はないようだが、その時期とやり方については、国内外から批判が出ている。
   米国は世界に向けて仕掛けた戦争において、ことごとく失敗している。ただひとつの例外、すなわち日本を除いては。


   それはどうしてなのか? 混乱するアフガニスタンの様子を見ながら、少し考えてみた。
   
●ベトナム戦争
   米国が初めて海外で戦ったのは、朝鮮戦争だ。これは、現段階で、38度線をはさんだ休戦状態との解釈なので、今回の対象にはしない。
   
   米国にとって、海外での初めての戦争。初めての負けは、ベトナム戦争だ。
   この戦争は、1955年11月1日から1975年4月30日のサイゴン陥落まで、およそ19年間にわたって続いた。
   
   この戦いは、反共産主義を掲げる米国が支援する南ベトナムと、南ベトナム解放民族戦線を支援する北ベトナムとの戦いだった。
   簡単にいえば、共産主義と反共産主義との戦いだった。
   
   米国は圧倒的な軍事力と戦費を費やしたが、北ベトナムが展開するゲリラ戦に手を焼き、戦局を有利にする局面にはならなかった。業を煮やした米国は、北ベトナムを空から攻撃する「北爆」を繰り返し、多くの民間人が犠牲になった。
   
   だが、一方で、米国内にも長引く戦争と先の見えない戦いに反発が強まり、徴兵も難しい状況になっていった。これにより、兵士の士気も低下。米国の反転攻勢はないまま、北ベトナム軍がサイゴンを占領して、戦争が終わった。
   
   被害は甚大で、ベトナム人だけでなく、戦況拡大に伴い被害を受けたカンボジア人、ラオス人を含めると、800万~900万人(行方不明も含む)もの人が犠牲になっている。
   米軍兵士の死亡は5万8220人。
   
   米国は1973年に正式に撤退し、直接的関与は終了した。
   結局、米国は膨大な戦費を費やし、自国軍隊に犠牲を出したが、勝利することはできなかった。もちろん、戦後の統治や国づくりにかかわることもなかった。
   
●アフガニスタン
   2001年9月11日、米国で同時多発テロ。この衝撃的なテロは、他国から攻撃されたことのない米国民を震撼させるには十分すぎた。
   
   当時のブッシュ大統領は、首謀者とされる人物を匿っているとして、すぐさまアフガニスタンに攻撃をしかけ、当時同国の政権を担っていたタリバンを追放した。
   
   その後、米国だけでなく、他の同盟国も支援する形で、アフガニスタン政府が樹立した。
   
   しかし、その後も、タリバンは勢力を拡大し、活動は続いた。結局、アフガニスタンで安定した統治は根付かないまま、今回の米軍撤退と、タリバン復活が同時並行で起こってしまった。
   
   米軍が駐留していた20年間は、アフガニスタンにとって役に立ったのかという疑問が大きく残ることになった。結局、20年前に逆戻りして、タリバンの恐怖政治が始まるのではないかと、国民の多くは恐れている。
   
●イラク戦争
   イラクが「大量破壊兵器」を保持しているという理由で、米国が主体となり、英国、オーストラリアなど有志連合が、イラクに進攻した。2003年3月19日のことだ。
   
   連合軍はハイテク兵器を使用し、圧倒的勝利という姿で、形式的にはイラクへの攻撃を終了した(5月1日1)。
   
   だが、「大量破壊兵器」は見つからなかった。
   
   また、米軍がバクダッドに進撃した時、諸手をあげて歓迎したイラク国民の姿を見て、占領政策に関して楽観的見通しをもっていたブッシュ政権の思惑は、完全にはずれた。
   
   治安は悪化し、国民からの支持も得られず、その間に、過激派武装集団がいくつも生まれ、米国の占領政策は完全に失敗に終わった。
   イスラム国(IS)は、米国が生んだ鬼子のようなものだ。
   
   現在、イラクはシーア派とスンニ派の対立、クルド自治区の問題、トルコとの緊張関係など、さまざま問題を抱えているが、一応、イラク人による政府機能は維持されている。
   
●日本
   日本は太平洋戦争で、米国と戦い、310万人もの犠牲者を出して、戦争は終わった。広島と長崎に原爆を落とされた。日本の完全な負けだった。
   
   だが、戦争後、米軍が進駐した際に、日本人は多くの国民を殺され、原爆を2度も落とされた敵国に対して、抵抗したり、暴徒化して、米兵を襲ったりということはなかった。
   むしろ、日本人は米兵を「温かく」迎い入れたといってよい(語弊があるかもしれないが)。
   
   現に、GHQの占領政策は、日本の事情をよく調べ上げ、どのようにすればよいか研究されていた。
   
   私がGHQの政策で、優れていると思ったのは、農地解放と財閥解体だ。
   これにより、日本は一部の金持ちが牛耳る社会ではなく、比較的平等な社会の実現ができたと思っている。その下地があって、戦後復興へとつながっていったと思う。
   
   米国は、この日本における成功体験を、その後の戦争でも「幻想」として持っている気がする。だから、占領政策もうまくいくと、楽観的な見通ししか持っていない。
   
   だが、中東の国は、日本とは国民性も宗教も全く違う。日本だから、あの時代だからこそ、うまくいったのだ。
   
●日本人の国民性
   では、なぜ、日本人はこんなにも素直に米国を受け入れたのか? だ。
   
   国民性といってしまえば、それまでだが、従順で、トップの言うことには素直に従う、言うことを聞く。これは、江戸時代から連綿と続く「儒教」の教えが、底流にあるのではないかと思っている。
   
   「儒教」なんていうと、古くさい感じがするが、組織のトップ、年長者に従うという精神は、少なくとも、戦後まもなくの日本には存在していたと思う。
   だから、今に至るまで米国を絶対君主と崇める、世界でも名だたる親米国として存続しているのだと思う。