なぜ、日本はアメリカに負けたのか?
 

●渡米して歴史を学ぶ

   世界の中の日本、と言えば、何と小さな国だろう、と実感せざるを得ない。
  
   日本は言語にしても、国家の制度にしても、宗教までも他国の力を借りて成り立っている。
  
   韓国は独自の言語を作り出したが、日本は中国の漢学を崩して自国の言語に改良しただけだ。日本の主流の宗教である仏教も、中国からの伝来である。もっとも、仏教の発祥はインドであるが。
  
   私が世界史を学ばねば、と切に実感したのは、これもまた日本を飛び出し、アメリカに渡ってからだ。肌で多文化、他言語に接して、初めて、切に世界を知らなければ、日本の国民として、その国自体を尊重できないと悟った。
  
   アメリカに行った時、日本人であることを強烈に意識し、日本を知らなければ日本人とは言えないと思い、日本史の勉強に励んだ。書物は教科書、それから中央公論の日本史だ。世界史についても、同様の手順だ。教科書、そして中央公論の世界史を読んだ。
  
   日本人としての原点である日本の歴史を学んだあと、強烈に日本と世界との関わりを知りたくて、世界史の勉強に着手した。

●圧倒的な国力の差

   特に、なぜ、私はアメリカにいるのだろう? 歴史上、最も日本人を殺戮した国へビジネスとして渡米し、勤労青年として生きねばならないのだろうか? 疑問だった。第二次世界大戦で日本はアメリカに敗れたからか? それなら、どうして敗戦したのか?
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   高校生の時、日本史で“敗戦”の2文字に涙を流したことがある。よほど悔しかったのだろう。第二次世界大戦敗戦国、日本。悔し涙で唇を噛みしめた。多感で、若かった頃の、忘れられない苦い記憶のひとつだ。今でも思い出すと悔しい。
  
   その時から、アメリカになぜ敗戦したのか、分からなかった。渡米して、すぐに肌で実感した。勝てる訳がないと。
  
   科学技術の差、物資物量の差は歴然たるものがあった。月とスッポンだ。アメリカを知れば知るほど、どうして、日本はアメリカと戦争を始めたのだろうか?という、信じられない憤りであった。勝てる訳がないのだ。赤子と大人の戦いであった。
  
   負けが分かっている戦を始め、何百万人もの尊き日本人の生命(いのち)が死ななければならなかったのか。犠牲というにはあまりにも酷い結果だ。
  
   全ての敗因は、相手アメリカを知らなかったことによる。孫子の兵法に「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。」と。すると、日本は敵アメリイメージ 2カをあまりにも知らなかった。敵を知らなかったし、敵を知らないという“己”も知らなかったのだ。
   
   ソクラテスの「無知の知」である。まるで、何百万人に及ぶ戦争の犠牲者は、日本人の無知による日本人の大量殺戮であったと思えて仕方がない。アメリカとの戦争はあまりにも無謀過ぎたのだ。  

●敵を知る重要性

   この敗戦で「無知の知」の悲惨さを十分すぎるほど、哀れすぎるほど知ったのだから、また、敵を知らない“己”を作らないためにも、世界を知らなければならない。視野の原点を日本ではなく、世界に置かなければ、また日本は戦争での悲惨さと同じ辛酸を嘗めることになる。
  
   特に、現在は経済戦争の真っ只中にあるが、第二次世界大戦の時と同じように、敵(アジア諸国)の現状を知らない(無知の知)と、また手痛い思いをすることになる。
  
   今の敵はアメリカではない。ロシア、欧州でもない。中国・印度・韓国・ベトナム・・・などのアジア諸国なのである。肝に銘じるべきだ、侮(あなど)るべからず。知らないままに、アジア諸国の後塵を拝す結果にならないことを祈らざるを得ない。アジア諸国の経済成長の著しさを見誤ってはならない。