このブログは、医学部学士編入学試験の体験談です。

 医学部学士編入学は、一般入試と比べて情報が少ないと言われています。

 私の体験談がどの程度役に立つかはわかりませんが、

 今後学士編入を目指す方のために、少しでもお役に立てばと思い

 私の合格までの道のりを書き留めておこうと思います。
愛知県生まれ
国立中学、県立高校卒業

2007年 国立A大学 工学部 卒業 学士(工学)
2009年 国立A大学 大学院医学系研究科 専門職学位課程 修了 公衆衛生学修士
2010年 国立A大学 大学院医学系研究科 博士後期課程 中退
2010年 国立B大学 医学部 3年次編入

現在に至ります。

大学受験の時
理科は物理、化学、地歴公は倫理で受験


大学院受験の時
・工学系:英語(TOEFL)、化学、生命科学
・医学系:英語、社会医学一般、公衆衛生専門科目4分野
    (医療倫理、予防医学、疫学、医事法学を選択)


医学部編入受験の時
・英語、小論文、数学、物理、化学、生命科学など

 高校生の頃の私は、文系に進むか理系に進むかで迷っていました。

 文系に進学するのなら、国際関係論を学び、外交官か国連職員になって難民問題に取り組みたいと思っていました。

 同時に、中学の時から理科、特に化学実験が好きだったこともあり、当時話題になっていた環境問題について研究したいという気持ちもありました。

 ちなみに当時の得意科目は英語と国語で、苦手科目は数学と物理でした。

 結局、地歴よりも理科が好きだということ、もっと化学を勉強したいたいからという理由で、理系を選択しました。



 当時は医学部という選択肢は全く考えたことがありませんでした。

 どちらかというと血は苦手。

 カエルの解剖など、グロくてやったことがない。

 微生物がわさわさいるのは気持ち悪い。


 そんな理由から、生物ではなく物理を選択し、大学受験では「物理」「化学」を選択して受験することになりました。
 大学に入った私は、環境問題の研究者になるべく、化学の勉強をしようと思っていました。

 ところが、大学に入ってすぐに受けた、生命科学の講義。これが結果的に人生を変えてくれました。

 高校の時も聞いたはずなのに、聞き流していて、初めてまともに聞くセントラル・ドグマの話。

 DNAからRNA、そして蛋白質。最終的には、プラスミドDNAに遺伝子導入する話を90分でされました。

 「なんて面白いんだろう!」

という印象で、生物・生命科学にも興味がわきました。


 幸いなことに、うちの大学は入学後に専攻を選ぶことができたので、私は化学と生命科学をダブルメジャーとして専攻しました。
 大学1年生の時、幼なじみが事故でなくなりました。

 彼女が亡くなったのは、私が二十歳になった誕生日で、東京で友だちとお酒を飲んでいた時でした。

 そんな時、実家の近くで、仲の良かった幼なじみがそっと息を引き取ったわけです。




 私はそれまでずっと、死というものは、おじいちゃんおばあちゃんのようなお年寄りに訪れるものだと思っていました。

 だけど、この間まで明るく話していた幼なじみが、私と同じ歳で亡くなるということ。

 それがにわかには信じられませんでした。

 私は、彼女に普通に生きていてほしかった。

 普通に大学を卒業し、普通に結婚し、普通に家庭を持って、普通に暮らしてほしかった。

 だけどもはや彼女の時間は数年前、二十歳で止まったままです。




 大学2年から3年にかけて、親友が私に、自分は重病なのではないかと打ち明けてきました。

 今の私なら、それは検査の結果が「偽陽性」だったに過ぎず、病気だったわけではないと説明できます。

 だけども、友だちの絶望感と言ったらなかった。自分は死ぬのだろうか、と。

 結果的に、友だちは精密検査の結果、陰性で大丈夫だったのですが。




 この2つの出来事は、私の心を大きく揺れ動かしました。

 普段、私たちが生活の中で気にしている、多くのこと。

 例えば、電車に乗り遅れてしまったとか、欲しい物が売っていなかったとか、知り合いと気まずいとか、思い通りにいかずイライラするとか。

 そういうことは、例えば自分が重病で、余命数か月だと宣告された時、きっとどうでもいいことに思えてしまうでしょう。

 つまり、日常を日常たらしめているのは、普段意識していない「健康」ということ。

 そして、生きているということ。



 化学を専攻しようと思っていた私は、結局大学で生命工学を専攻することになりました。

 文系ではなく理系で、物理・数学系ではなく、生物系。しかもある意味、生命をも操作しようとする「生命工学」。

 そういう意味では、医学は手の届きそうなところにあると言ってもいいかもしれません。

 だけども、私が知っているのは分子生物学と細胞生物学、それに生化学だけでした。幼なじみの死を前に、親友の悩みを前に、私は何も出来ませんでした。

 身近な人の死に対し、あまりに無力でした。

 だったら…まずは"人の健康の役に立つ"、医療系の研究をしよう。

 そして…出来れば、研究医になりたい。

 そう思って、4年生の卒業研究の配属研究室は、一番医療に近そうな研究室・研究テーマを選びました。
 大学3年生辺りから考えていたのは、医師といっても、臨床よりはむしろ医学研究者・研究医になるということでした。

 アメリカにはMD-PhDコースというものがあり、これは医師(MD)+博士号(PhD)を7年で取れるというコースでした。


 だけど、大学に入ってから遊んで真面目に勉強していなかった私は、このコースを目指すのはあまりに非現実的だと思いました。


 そこで次に、日本国内の医学部編入を検討し始めました。

 だけど、医学部編入はどこの大学も倍率が20倍以上。

 やはりこれも非現実的な話でした。


 その話を、同じ専攻のとある教授(基礎研究者)に話したところ、

 「もしかしたら受かるかもしれないんだから、試しに受けてみたら?(笑)」

と、軽く言われました。

 あまりに軽く言われたことに私は腹が立ち、だったら(駄目元で)受けてやろう、と思いました。


 これが、私が学士編入を受けようと思った記念すべき日でした。学部3年生の最後の日のことでした。
 学部4年の4月は朝から晩まで実験のトレーニングを受け、5月の連休明けに卒論のテーマが決まりました。

 卒論のテーマは、研究室内で提示されたテーマのうち、もっとも医療に近いもの、という観点で、再生医療に関係したテーマを選びました。

 担当教官には編入試験を受けることをあらかじめ伝え、勉強のために研究室を休ませてほしいと言っていたのですが、完全に休みをもらえたのが6月の下旬、試験の10日前でした。

 それまでは実験7割、勉強3割で、あまり勉強に集中できませんでしたので、その10日間は恐ろしいペースで勉強しました。


 一般的に編入試験の倍率は20倍以上。100人受験して5人受かる程度なので、4~5校以上併願する人が多いのですが、私は無謀にも第一志望校1校しか受験しませんでした。

 理由は単純で、「どこでもいいから受かった所に入ればいいや」という受験の仕方が昔から嫌いだったからです。

 しかし、思い立って3ヶ月、実質10日の勉強で太刀打ちできるわけがなく、二次試験の面接まで残らず、一次試験の学科で落とされることになりました。



 落ちた時の滑り止めとして、工学部の同じ研究室に大学院も残ること考えていました。同じ研究室に残ったら、あと5年間(修士2年+博士3年)で博士号が取れる。

 だけど、それだと再生医療にのみ特化してしまう。

 再生医療も魅力的だけど、若いうちに…早い段階で、医療のことを幅広く学んでおきたい。

 そう考えている時に偶然見つけたのが公衆衛生大学院でした。


 大学に入ってから、生物と化学、物理、数学などの理科しかやってこなかった私にとって、公衆衛生大学院の受験科目:医療統計、疫学、健康社会学、健康教育学、予防医学、メンタルヘルス、医事法学などはもちろん全くの未知の科目で、「文系科目」っぽく感じられました。

 だけど、逆に自分の全然知らないことを学ぶのが楽しくて仕方ありませんでした。

 そんな状況だったのに、運良く入試に受かり、工学部から公衆衛生大学院に進学することになりました。


 医学部編入が第一志望だった私にとって、公衆衛生大学院に進学するのはある意味次善策でした。

 しかし、

・実験系ではないので、勉強時間が確保できる
・医学系の大学院で、医療職出身の人も多く、医学系の考え方に馴染むことができる
・公衆衛生学の修士号と研究歴は、(おそらく)医学部編入のために不利に働かない

という理由から、当時取れる選択肢の中では間違いなく最善のものでした。

 そして、この選択をしていなかったら、今、私はここにはいないと思います。
 私の入った公衆衛生大学院は、完全に「ドライ」な研究室ばかりでした。

 つまり、研究室はどこも実験系ではなかったということです。

 さらに、カリキュラムは半年で講義を受け、1年半を研究にあてるというものでした。

 これならば勉強時間を確保できる、と思いました。



 配属される研究室は、入学後3か月くらい経ってから決めることができました。

 私が選んだ研究室は、講義が一番面白かった教授のところでした。

 そして教授は、なんと工学部を出てから医学部を再受験・卒業し、研究者として教授にまでなったという経歴だったので、おそらく私の希望も理解してくれるだろうと思ったからでした。

 私のこの直観は当たり、教授は私の一番の理解者かつ応援してくれる人となりました。


 同時に、学部4年の時は朝から晩まで実験室にこもりきりで学外に出る余裕がなかったので、編入の勉強をぼちぼちしつつも、色々な勉強会や講座・語学学校に挑戦してみたり、読書をする時間を確保することができました。
 修士2年の前半までに修士論文の骨格を書き終えて、数か月研究室に休みをもらって図書館にこもり、編入に向けて勉強をすることにしました。

 教授にもあらかじめ話をしてあって、「修論のための研究もしっかりする」という条件で、勉強のために休みをもらうことをOKしてもらっていました。


 受験校は、学部4年の時に受けた大学1校に絞り込みました。

 その大学はとにかく試験科目が多い大学でした。

 編入では、普通、英語と生命科学という組み合わせが多いのですが、私が受けようと思っていた大学は、さらに数学、物理、化学が必要な大学でした。


 なぜ敢えて私がその大学を受験しようと思ったかと言えば、

 大学受験で数学、物理、化学を使っていて、

 工学部なので数学、物理を勉強しており、

 大学での専門は、生命科学と化学。

 さらに得意科目は英語だったからです。


 入試の科目が増えるほど、苦手な科目がその中に含まれる確率は上がります。

 もし、英語と生命科学だけの大学を受けるなら、例えば海外の大学で生命科学を勉強した帰国子女には敵わない。

 だけど、科目が多ければ受験生は敬遠する。

 しかも、私は広く浅くタイプで、一応一通り全科目をやっているので、とっつきやすいはず。

 そういう理由から、第一志望校を確定しました。



 しかし、図書館にこもって勉強を始めてから直面したのは、学部時代、いかに自分が勉強をしてこなかったか、でした。

 数学も物理も、化学も、生物も…もちろん1、2年以上のブランクがあるにせよ、忘れてしまっている。

 それぞれの科目の参考書を買い、図書館で取り組み始めました。

 やり方としてはシンプルで、とにかく過去問が解けるようになるまで、各教科の問題集に取り組んでいくということでした。

 (参考書リストは別に書きます)


 しかし結果を書いてしまうと、修士2年の時はあと一歩のところで不合格となってしまいました。

 私の不合格を一番悲しんでいたのは、他ならぬ、私がいた研究室の教授でした。