絶対零度の話が出てきたので、熱力学第三法則を説明しよう。
熱力学第三法則とは、
「化学的に一様で有限な密度を持つ純粋物質のエントロピーは、絶対零度が近づくに従い、科学的税室、相、圧力に無関係な有限の一定値に近づく」
いわゆる、完全結晶の場合では、絶対零度が近づくにつれてエントロピーはゼロになる。
熱力学第三法則によって、エントロピーの基準値が定義できたことになる。
絶対零度の話が出てきたので、熱力学第三法則を説明しよう。
熱力学第三法則とは、
「化学的に一様で有限な密度を持つ純粋物質のエントロピーは、絶対零度が近づくに従い、科学的税室、相、圧力に無関係な有限の一定値に近づく」
いわゆる、完全結晶の場合では、絶対零度が近づくにつれてエントロピーはゼロになる。
熱力学第三法則によって、エントロピーの基準値が定義できたことになる。
まず低熱源を絶対零度に到達させる方法を考えてみよう。
熱は高温物体から低温物体へ移動する性質がある。低熱源を絶対零度にさせるためには、例えば熱伝導を利用するとするならば、絶対零度より低い温度を持つ物体に接触させなければならない。絶対零度より低い温度は存在しないから、熱伝導による方法では無理そうだ。
断熱膨張を利用すればどうだろう。気体の熱運動のエネルギーをすべてピストンへの外部仕事に変換させる断熱膨張過程を利用すれば、気体の温度を下げることができ、絶対零度に到達するかもしれない。すなわち、熱機関の気体の熱運動のエネルギーをゼロにしてしまうのだ。それは、気体の圧力をゼロにしてしまうことに等しい。外部から仕事を与えてシリンダを引き延ばしたとしても、シリンダの体積が有限である限り、気体の圧力をゼロにすることは不可能だ。したがって、断熱膨張過程を利用しても絶対零度にすることはできない。
ただし、絶対零度に到達させることはできないが近づけることは可能だ。まずは熱力学の本筋だけ一通り述べたいので、詳しくは別の機会に説明する。
さて、熱と仕事の変換の方向性から、いっきにエントロピーの話までつなげてしまった。
熱を仕事に変換するときは、熱機関を利用する際は100%変換できないことを述べた。
さてその上限はどれくらいだろうというのを考えてみよう。なぜなら、そもそも熱力学は産業革命の担い手になった蒸気機関の効率や動作原理を追及するために誕生した学問なのだから。
まず、熱機関の効率を定義しよう。熱機関は、受け取った熱を仕事に変換する装置である。したがって、効率は、次式で定義できそうだ。
効率=外部にした仕事/高熱源から受け取った熱量
=1-低熱源に捨てた熱量/高熱源から受け取った熱量
ここで、外部にした仕事は高熱源から受け取った熱量から低熱源に捨てた熱量を引いた熱量、つまり熱機関が受け取った正味の熱量と等しい。
じつは、熱機関には様々な種類がある。先ほど述べたカルノーサイクルの他に、ガソリンエンジンであるオットーサイクル、ディーゼルエンジンで知られるディーゼルサイクル、水を蒸気にしてタービンを回して発電するランキンサイクルなどだ。
どの熱機関においても効率の式は同じだが、熱源とやり取りをする熱量がそれぞれ異なるため、効率は異なってくる。
また、上記の効率の式は、理論熱効率の式だ。すなわち、熱機関を稼働させる気体(または流体、まとめて作動流体と呼ぶ)が、装置との摩擦や渦および乱流の発生によって内部で消費してしまう仕事がゼロになるような準静的過程を経る場合の式だ。実際の効率は、そのような要因で理論熱効率より下回る。
そして、様々な熱機関の中で最も高い理論熱効率をたたき出すのが、カルノーサイクルである。
カルノーサイクルでは、低熱源に捨てた熱量と高熱源から受けっとった熱量の比は、低熱源の絶対温度と高熱源の絶対温度の比に等しくなる。つまり、熱機関の最大効率は熱源の絶対温度で決まる。
すなわち、熱機関の最大効率は、
効率=外部にした仕事/高熱源から受け取った熱量
=1-低熱源に捨てた熱量/高熱源から受け取った熱量
=1-低熱源の絶対温度/高熱源の絶対温度
ここで、効率は1以上にはならない。なぜならば、もし1以上になると熱力学第一法則に反してしまうからだ。投入した熱量より外部にした仕事が大きくなると、エネルギーが増加し続けてしまうため、エネルギー保存の法則が破られてしまう。
ということは、熱機関の効率の上限は1である。効率は1となるときは、低熱源の絶対温度がゼロになるときだ。絶対温度が0の低熱源を作り出すことはできるのか。
熱を仕事に変換する特性を表したのが「ケルビンの原理」で表現される熱力学第二法則だということを、前回述べた。
熱力学第二法則を表現するものとして、ケルビンの原理のほかに、クラウジウスの原理というものがある。
「ある温度の物体からそれより高い温度の物体へ熱を移すだけで、他には何の結果も残さないような過程は実現不可能である」
熱は高温物体から低温物体へ移動することは自然な現象としてよく知られている。しかし、低温物体から高温物体へ移動させることも可能だ。そして、クラウジウスによると、その際に他に何か結果が残るという。
これも具体例で考えてみよう。
室内に置かれた冷蔵庫は食品を冷やすために、冷蔵庫内部の熱を室内に捨てている。すなわち冷蔵庫は熱を低温物体から高温物体へ移動させる装置だ。しかし、冷蔵庫を稼働させるために電力という仕事を与えている。しかし、その電力は発電所で生成されたものだ。つまり電力は、燃料を燃やしたり水の流れを利用した結果によって得られている。
ケルビンの原理とクラウジウスの原理は、実は等価なものだ。ケルビンの原理は仕事と熱の変換は等価ではなく方向性があるということを述べているが、クラウジウスの原理では熱が移動する方向性に述べている。
熱は高温物体から低温物体へ移動することは自然な現象であるということを述べたが、低温物体から高温物体へ熱が移動することは自然な現象ではない。自然な現象に逆らうための対価として、他に「結果」を残すことを課せられているとしたら、熱が仕事に変換されることも、自然な現象ではないと言えるだろう。なぜならクラウジウスの原理とケルビンの原理は等価であるのだから。
少し整理してみよう。
熱力学第一法則では、エネルギーの引き出し方として熱と仕事は等価であることを述べた。そして、系が周囲と熱や仕事のやり取りが無ければ、系のエネルギーは保存する。エネルギーという物理量の変化に関する法則であるといえるだろう。
熱力学第二法則では、エネルギーの引き出し方である熱と仕事に方向性があることや、熱の移動の方向性について、ケルビンの原理やクラウジウスの原理という形で表現された。自然な現象には方向性があるということを述べているが、その方向性に関する物理量はあるのだろうか。つまり、熱力学第一法則のエネルギーに相当する物理量だ。そしてその物理量をエントロピーと呼ぶ。
自然の現象はエントロピーが増加する方向に進む。そして、自然な現象に逆らう現象も、「結果」を含めればエントロピーが増加する。例えば、高温物体から低温物体へ熱が移動するとき、両方の物体のエントロピーは増大する。なぜなら、高温物体から低温物体へ熱が移動する現象は自然な方向であるからだ。反対に、冷蔵庫のような装置を通じて、低温物体から高温物体へ熱を移動させるとき、両方の物体のエントロピーは減少する。しかし、冷蔵庫に与えた仕事を考慮するために「考える対象」に発電所を含めるとエントロピーは増加する。
したがって、「考える対象」を広げていくと、すべての現象はエントロピーが増加する方向に進む。そして「考える対象」を広げていくと、全宇宙になってしまう。宇宙のエントロピーは増加する、すなわち「エントロピー増大」の法則である。
少しうがった見方をすれば、保存する物理量をエネルギーと定義し、自発的に進む場合に増加する物理量をエントロピーと定めた。
整理しよう。
仕事から熱への変換は、100%可能であった。
熱から仕事への変換は、大砲のような一発型の場合は100%変換が可能であったが、サイクルのような連続型の場合は、100%変換が可能ではない。
つまり、仕事と熱の相互変換は等価ではないのだ。これを熱力学第二法則とよぶ。そしてこれは、ケルビンの原理で表現される。
「一様な温度を持つ一つの熱源から熱を取り出しこれを仕事に変換するだけで、他には何の結果を残さないような過程は実現不可能である」
この表現は一見わかりにくいが、注意深く考えてみよう。
大砲の例では、砲筒であるシリンダ内の空気を、温度を一定に保ったまま温めた。これは、一様な温度を持つ熱源を砲筒に接触させることで可能だ。そして暖められた空気は膨張して砲弾を動かし、与えた熱がすべて仕事に変換されている。すなわち、この大砲を温める過程は、一様な温度を持つ一つの熱源から熱を取り出しこれを仕事に変換しているという表現と一致している。
ケルビンの原理では、続いて、他には何の結果を残さない過程は実現不可能とある。従って、この大砲を温める過程は、何か結果を残しているはずだ。そしてその結果というのは、気体の体積変化のことである。つまりこの過程では、熱源から引き出した熱をすべて砲弾への仕事に変換したが、気体に体積変化という結果を残した。
つぎに、カルノーサイクルの例を考えてみよう。
カルノーサイクルでは、高熱源から熱を取り出して仕事をした。等温膨張過程では、高熱源から引き出した熱をピストンの仕事に変換し、断熱膨張過程では、熱運動の運動エネルギーを仕事として引き出した。そして、圧縮過程を経て、ピストンの位置や気体の状態を元に戻している。大砲の例のように体積膨張という結果は残っていない。つまり、熱をすべて仕事に変換し、かつ何の結果を残していないように見える。
しかし、カルノーサイクルは等温圧縮過程で低熱源に熱を捨てている。すなわち、低熱源が持っている熱量がサイクルの稼働によって増えている。これが、サイクルが残した結果である。
こうして、ケルビンの原理によって、熱を仕事に変換する際の特性が記述された。
前回の続きだ。
熱と仕事はエネルギーの移動という観点からは等価であるという話をした。しかし、その変換方向に関しては等価ではない。
仕事を熱に変換することを考えてみよう。例えば自転車を運転中にブレーキをかける。ブレーキパッドが回転しているタイヤをはさみ、自転車は停止する。これは、タイヤの運動エネルギーが摩擦による仕事として引き出され、タイヤやブレーキパッドを構成する原子や分子の熱運動のエネルギーに変換されたためである。そして熱運動のエネルギーは熱という形で引き出され、周囲の気体の熱運動のエネルギーに変換されていく。すなわち、仕事はすべて熱に変換された。
反対に、熱を仕事に変換することを考えてみる。大砲のようなものを考えてみよう。
筒の内部で火薬を爆発させると、気体が温まって膨張し、砲弾が押し出される。これは、火薬の化学エネルギーが熱という形で引き出され、気体の内部エネルギーに変換される。そして気体が膨張する性質を利用して熱運動の運動エネルギーを仕事として引き出し、砲弾の運動エネルギーに変換される。
実際は、気体が膨張する過程では、その激しい体積変化のために、筒と砲弾の摩擦によって壁面に仕事として移動するエネルギーや、火薬燃焼時に発生する乱流や渦によって気体内部に仕事として移動するエネルギーが存在する。これをゼロにするような過程を準静的過程というが、そのような過程を経る大砲を考えれば、熱はすべて仕事に変換される。
準静的過程では、摩擦や渦および乱流による仕事の引き出しを防ぐために、非常にゆっくりと状態を変化させる。したがって火薬など使えない。少しずつ砲身を温めて砲身内の空気を膨張させていく。また、空気が膨張した分だけ砲弾を移動させるために、砲弾は軽くなければならない。そうしないと気体の膨張によって得られるはずの仕事が気体の熱運動の運動エネルギーに使われてしまうからだ。したがって、砲身を温めて膨張させる過程は等温過程になる。これではとても砲弾は勢いよく飛びそうにもないし破壊力もなさそうだが、砲弾は確実に押し出され、熱はすべて仕事に変換される。
大砲は1回きりの変換であったが、連続的に熱を仕事に変換するにはどうしたらよいか。そのような装置を熱機関という。例えば、熱機関の1つであるガソリンエンジンを考えてみよう。ガソリンエンジンは、ガソリンを燃焼させた熱でシリンダ内の気体を加熱し膨張させてピストンを押し上げる。そしてシリンダ内の温まった気体を排気し冷たい外気を導入する。するとシリンダ内の気体は冷却されるので圧縮され、ピストンが引き下げる。そして再び、ガソリンを燃焼させてシリンダ内の気体を膨張させる。この過程では、ガソリンの化学エネルギーを熱として引き出し、ピストンの往復運動である仕事に変換しており、連続的に熱を仕事に変換することができる。
さて大砲のように、熱機関でも、熱はすべて仕事に変換されるのだろうか。
ガソリンエンジンでは、気体の吸排気による熱の逃げや、気体の燃焼による渦や乱流、および気体と壁面との摩擦による仕事があるため、ガソリンの燃焼によって得られた熱は少なくともこれらの影響によってすべてにピストンの往復運動である仕事に変換はされないだろう。
そこで大砲で考えたように、ピストンとシリンダの摩擦がなく、渦や乱流が生じないような準静的過程を経る熱機関を考えてみよう。気体の吸排気もなしとし、シリンダ内部に気体を閉じ込めよう。
理想的大砲で行ったように、理想的熱機関のシリンダをゆっくりと温めて準静的過程で変化させる。気体に与えた熱がすべてピストンを押し出す仕事として引き出させるように、その過程は等温過程である。
ピストンを往復運動させるために、ピストンを引き戻す必要がある。そのために今度はシリンダをゆっくりと冷やす。そうするとピストンは元の位置に戻り、気体の体積や温度も元に戻る。すなわち初期状態に戻るので、この過程を繰り返せば、連続的に熱は仕事に変換され、ピストンは往復運動する。
しかし、初期状態に戻ったものの、この熱機関から取り出すことのできる仕事は差引ゼロである。気体の膨張過程では与えた熱がすべて外部への仕事に変換され、圧縮過程では奪った熱がすべて気体への仕事に変換された。この熱機関を搭載した車は、前進してもその分後退してしまう。これでは役に立たない。
車を前進させるために、シリンダ内の気体を膨張させるとき、ピストンが押し出されきる前に熱を与えるのを辞めてしまおう。そうすると、ピストン内の気体はその圧力が外気圧と等しくなるまで膨張し続けるが、仕事として引き出されるのは熱運動による運動エネルギーである。この過程を断熱過程という。
その後、ピストンの位置や気体の状態を元に戻すために、等温過程と断熱過程によって気体を圧縮する。そうすれば、初期状態に戻しても気体が外部へした仕事が残る。
なぜか。それは、気体の圧縮過程での圧力が膨張過程の時の圧力と比べて低いので、圧縮過程で気体が外部からされる仕事が膨張過程で気体が外部にする仕事より小さく済むからである。
気体が外部に仕事をする過程は膨張過程にある。ピストンの位置や気体の状態を初期に戻すために圧縮過程が必要なのだが、この過程は気体が外部からされる仕事である。したがって、膨張過程で行った仕事が圧縮過程より大きければ、熱機関が外部に行う仕事が完全にキャンセルされずに残る。車は前進しながら後退するが、確実に前進する。
このように、等温過程と断熱過程からなり、準静的な過程を経る熱機関をカルノーサイクルと呼ぶ。
等温過程では与えられた熱をすべて仕事に変換し、断熱過程では熱運動の運動エネルギーを仕事に変換する。
では、カルノーサイクルを用いれば、熱はすべて仕事に変換できるのであろうか。
結論から言うと、カルノーサイクルで熱をすべて仕事に変換することはできない。なぜなら、熱機関ではピストンや気体を初期状態まで戻すための圧縮過程が必要で、等温圧縮過程では熱を奪わなければならないからだ。
熱力学の話をしよう。
熱力学とは、熱を機械的仕事に変換したり、機械的仕事を熱に変換したりすることを考える学問である。
熱とは、なんだろうか。
結論から言うと、熱とは、2つの物体の温度差を利用して一方の物体から他方の物体へエネルギーを引き出したり移動させる方法である。
機械的仕事とはなんだろうか。
機械的というのは、決まった動作を繰り返す行う様子を指す。例えば、ピストンによる往復運動や歯車による回転運動を指す。
仕事とは、力と距離の内積で定義された物理量であったが、同時に力学的エネルギーの変化量でもあった。例えば物体を床に滑らすと、物体と床との間に働く摩擦によって止まる。これは、物体の運動エネルギーの減少分が摩擦による仕事に変化したためだ。
熱の表現と対比させると、仕事とは、2つの物体間で温度差を利用せずに一方の物体から他方の物体へエネルギーを引き出したり移動したりする方法であると言える。
すなわち、仕事と熱はそれぞれエネルギーを移動させる手段であり、エネルギーの移動という観点から考えれば等価である。これを、熱力学第一法則とよぶ。
また、もしある物体(それは複数あっても空間を含んでいてもよく、まとめて「考える対象」としよう)が、その対象以外のもの(周囲やほかの物体)と熱や仕事のやり取りをしなければ、「考える対象」がもつエネルギーは保存される。力学的エネルギー保存の法則は、「考える対象」とその対象以外の間で仕事のやり取りが無ければ成立するエネルギー保存の法則だが、熱力学第一法則はエネルギーの引き出し手段を熱まで含めたエネルギー保存の法則だ。
つまり熱力学は温度差を利用して熱の形で引き出したエネルギーを往復運動や回転運動のような仕事として取り出すことを考えたり、その逆を考える学問である。
そもそも熱力学は、蒸気を熱したり冷ましたりすることで得られる体積変化を利用してピストンを動かした蒸気機関の原理や効率を追求するために誕生した学問であった。
読んで気づいた内容を忘れないように、備忘録として記録します。
ポーターによると、競争戦略には、大きく分けて3つある。
コストリーダーシップ戦略、差別化戦略、集中戦略の3つだ。
コストリーダーシップ戦略とは、業界で最大の累積生産量をベースに、競合他社より安い価格で製品を提供する戦略だ。例えば、カシオの関数電卓がある。
差別化戦略とは、価格以外の要素で顧客から違いがあると識別される何かで差をつけて競争する戦略だ。例えば、シャープのヘルシオが該当する。
集中戦略とは、特定の買い手や市場、製品の種類などの資源を集中する戦略だ。
例えば、高級オーディオメーカーのアキュフェーズが該当する。
集中戦略と似たようなものとしてニッチ戦略というものがある。
大手企業がその市場に入ろうとしても、市場規模が小さすぎたり、資源の有効活用ができなかったりと、参入しても利益が出ないような市場で展開するというものである。
例えば、製図用高級文具メーカーのステッドラーが該当する。
高級路線は差別化戦略の一つである。
価格が高いのだから利益も多く出る、というわけではない。
高級なイメージを維持するために、設備や人件費に費用をかけなくてはならない。
また、高級とは希少性である。すなわち、大量生産・大量販売できない事業である。
従って高コスト構造になりやすい。
例えば利益率では、帝国ホテルより東横イン、百貨店よりユニクロのほうが多い。
高級路線を維持したまま利益を出すには、安くオペレーションする仕組みを作るしかない。
販間費などの見えない部分を削り取る。
低価格ブランドを設立しそこで利益を稼ぐ、などの方法が挙げられる。

世間はゴールデンウィークで、授業も休みである。ただし、27日の土曜は通常授業で、28,29日は集中授業があった。集中授業の名は、マネジメントゲーム。朝9時から夜の9時半まで、途中休憩をはさみながら一日中授業と、かなりハードなスケジュール。
マネジメントゲームというのは、その名の通りゲームである。チームごとに分かれて仮想の製造業を運営し、チーム間で成績を競う。すなわち、経営戦略を考え、工場を建て、材料を購入して生産する。あと他には、市場調査をしたり、広告を投入して販売促進をしたり、営業マンを雇って市場に配置したりする。
注意しなければならないのは、ゲームのルールが複雑でやってみなくてはわからないこと、キャッシュアウトすればペナルティがあるのでキャッシュフローの計算を常に見ておく必要があること、限られた時間の中で意思決定をしなくてはならないのでチーム内で情報を共有するこ とが挙げられる。
やってみた感想は、とにかく財務諸表がわからないと会話にさえついていけない。何をやっているのか置いてけぼりにされてしまう。あと、意思決定は大事だが、意思伝達も大事であるということだ。
ビジネススクールに通い始めて1か月が過ぎた。
仕事をしながら勉強をするという二重生活が非常に大変である。疲れもだんだんたまってきた。
しかし、その疲れがなんだか心地よく感じる。
以前の開発プロジェクトで経験した、あのだるくて重い残業の疲れと全く質が異なるのだ。
なぜか。
ビジネススクールで学ぶことが、非常に楽しくて刺激的であるからということに尽きる。
入ってくる知識量がものすごく、授業の展開に理解が追い付かない。
講義中は常に脳をフル稼働している状態である。
特に討論型の授業では、講義内容を理解するだけではなく、生徒の発言に反応し返さなくてはならない。
人にわかりやすく的確に、しかし瞬時に伝えることが非常に難しい。
それでも何とか発言しようと挑戦してみる。
講義終了後には、心地よい疲労感が蓄積されている。
一方、講義後の復習が大変である。
ノートを見直して講義内容をまとめる。
一日は人を他人にしてしまうので、当日の復習が必須である。
復習だけではない。レポートなどの課題もたくさん出る。
授業がない木曜日や日曜日に時間を充てざるを得ない。
午後11時半に帰宅し、食事後に机に向かう。
就寝が午前2時になるのが当たり前となった。
こうして疲労が蓄積していくのだが、それでもだるさは感じないのは、楽しいからに違いない。