ピックアップに拘るの、なぜなんだとは思わない? | Honolulu Music Society byなかじー

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出自は日本生まれの日本育ち。
米国籍を取得してハワイに在住する音楽家であり実業家。3児の父。

今までの日本人には発想出来なかった独自の視点と解釈を元に展開されるちょっとだけ凄いブログ。
更新不定期。

​Aloha!


『続きは次号で!』とか言いつつ全然『次号』じゃないっていうね。

まぁテレビだって急な特大ニュースで番組が翌週に流れたりするからいいでしょう、というボッサリ具合。


でもフェルナンデス破産のトピックについてはみんなノスタルジーにかまけて中古品ばっかり買ってるからメーカーが1つ潰れたんやで!ってのはひと言物申したかったので、まぁ由(ヨシ)としてください。


さて今回はエレキギターというものを構成している部材の中で最も中心的なものとして認識されているピックアップと言うものについての考え方を取り上げます。


※その原理とか機構とかっていうのはググれば幾らでも掘れるので各自よろしくです。僕の記事ではいくらググってもココ以外では決して出て来ない事しか書きませんので。


​ピックアップって、なんですか?


たとえばこういうのとか、


こういう感じのとか、



こういうような部品を言います。


もちろん『Electric』である以上、ベースギターにもピックアップは付いている。


もちろん僕のEpiphoneにだって。


どんな『Electric Guitar』であっても新品で買った時から絶対に付いているのが『ピックアップ』という部材になります。


ところがこのピックアップと言うのは基本的には素人でも手軽に交換可能な部材ゆえ、全く異なる性能の物と交換したり増設したりするっていう消費者の意向に合わせたアフターマーケットが半世紀近くも前から存在していたりします。


僕もこのEpiphoneのピックアップは過去において2度ほど交換していて、それは僕のギターの使用環境が比較的過酷である事と、使用頻度がわりあい多めだっていう事に依ります。


つまり壊れたから載せ替えたというわけです。


ところが、ピックアップのアフターマーケットの需要とは大半がそうしたニーズとは違っていたりします。


別に壊れたから交換、というわけではなくていま普通に使える状態のピックアップをわざわざ外して、人によっては1個で何万円もする新しいピックアップに載せ替える、だなんてことがフツーにある世界です。


不思議ですよねえ?


そしてその動機というのは概ね以下の通り。


​もっとパワフルなものに替えたい

​見た目を好みに変えたい

​ギターヒーローのと同じのに変えたい


いろいろな理屈はあるでしょうが、概ねこの3つが動機となってピックアップと言うものを交換するっていう方が多いのでは?と思います。


それがいいか悪いかは僕にはわかりません。ただ、僕はそういう動機でエレキギターを改造するっていうのはあんまり興味がないってだけで、個人的にはちゃんと弾けて音が出るならなんだっていいという人間だからなのかもしれません。


逆を言えば、僕の感覚としては、


こんな音じゃ練習する気にならないとか

こんな音じゃ創作意欲が湧かないとか

こんな音じゃ人前でギターなんか弾けないとか、


僕自身がそうした気持ちになった事が無いからなのでしょう。そしてその理由としては今まで散々人前で演奏して来た中で、ギターの音がショボいからクビ!みたいな理由でギャラやチップを貰い損なったりした事は1度もないからなのかもしれません。


​改めてピックアップについて考える。


ピックアップって何ぞ?って考えてみた時に改めて1つの疑問が頭をよぎります。


ピックアップと言うものには、必ず特定のジャンルに於いて高く評価されているマスターピースが存在するんだよなということに。


そしてそれらの名作と呼ばれるピックアップは70年以上の時を経てなおリイシュー、再現をされながら現代でも求められているという事実。つまり単に古臭いモノではなく時を超えて再評価され続けている名作であるという事実。


それらの傑作と言われるピックアップには、ある共通点がある事に皆さんお気付きですか?


手前味噌ですはあるのですが僕はコレ、今から30年くらい前に気づいていたのです。


ですが今までソレを明かした事は一度もなくて、今回は初めてソレをシェアさせてもらおうと思ってます。




Gibson P.A.F


Gibson P-90


Gretsch filter tron


Danelectro Lipstick


Teisco Goldfoil


これらの『ピックアップのマスターピース』は性能の面でも、得られるサウンドの面でも、搭載されるギターの使われるジャンルも全く異なりますよね?


だけどたったひとつだけ共通点があるのです、皆さん。


それはなにか?


マスターピースとされるピックアップの全ては、

歪ませることを前提として開発されていない、ということ。


おそらく現代の感覚で言えば、ギターのサウンドを歪ませないで使うなんてあり得ないという意見をお持ちの方が99.99%ではないかと思います。


しかしながらこの現代に於いても未だ尚、名作、傑作の名高いピックアップとは、その開発段階、製造された段階に於いてはアンプをオーバーロードさせたりエフェクターを用いることで歪ませて弾くっていう前提がなく世に送り出されて来たという『事実』があるわけです。


わかりますか?事実なんですよ、コレ本当に。別に僕が偏見で物申しているわけではない。


それがたまたまアンプのサチュレーションを引き起こす事で倍音を増やしてサウンドの荒々しさと温かみを得る音色。コンプレッションによるサステインの増大が得られた事を契機としてギタリストがソレを重用し始めたわけです。


だけどソレってピックアップと言うものが設計された時には100%考慮されていなかった問題なんです。


じゃあ、仮に『歪ませること』を100%前提として開発された現代のピックアップ。


ソレがP.A.FやP-90を超えるようなものが開発されているのか?と言えば……?


人によって意見は異なるところなんでしょうが、これまでに僕はそうしたマスターピースとなったピックアップが載せられたエレキギターを超えるような近年モノって見たことがありません。


『パワーがあってよく歪む』

『歪みの粒が細かくて滑らか』

『アタックにバイト感がある』


現代に於いても『イイね!』を貰えるようなピックアップには、いろいろ評価軸でのインプレッションが伴う中での評価なのだとは思うのですが、いかんせんどのピックアップも凡百というか、それらのどれを使ってみたところで結局のところ『何かが足りぬ』になるわけです。


そう、


結局のところ『ピックアップなんて関係ねぇな』っていうところまで自分の感覚が達観して行かないとギターの練習なんて身が入らないわけですよ。


『音』を良くする事に気を取られて練習が疎かになるって、まるで勉強する前に鉛筆の削り具合に納得行かなくて熱心に鉛筆を削って、削って、綺麗にカタチを整えるところまでやったら気が済んで眠くなっちゃう子供みたい。いや、そこは勉強しろよ(笑)


結局ね、ピックアップのマスターピースだってそれら全てというのは歪ませない前提で開発、設計されたということ。


そしてそれらは初めから『こういうもの』として使われて名曲、名演に用いられたってこと。


そしてそれを演奏して来た名演奏家というのは『ピックアップなんてこういうもの』って思い、特段に頓着しないでただただギターを弾きまくってそういう境地に辿り着いているのだ、ということ。


ピックアップにこだわるとギターが上手くなるんですか?

弾けるレパートリーって増えるんですか?

人々を感動させられる度合いって増えるんですか?

喜んで貰える人数って増やせるんですか?

お金っていっぱい稼げるんですか?


おそらくはそのどれもが『NO』であるはずです。


現代に於いてリプレイスする為のピックアップはたくさん売られていますが、そのどれもが『気持ちよく歪む」を前提として設計されたものが売られています。


しかしてその『気持ちよさ』とは人によって違う。


だからその多様化というのはある意味必然であるかのようには見える。


だけど世間で言うところの『傑作』と呼ばれるピックアップのどれもが『歪ませないこと』を前提として造られたという事実。

コレだけはどうしたって揺るぎようがない。


つまり、リプレイスピックアップというものの大半がある種の矛盾を孕んだ製品なのだという事に気づくわけです。


歪ませた時にいい音に聞こえるように設計されたものが、結局は歪ませないことを前提として開発されたモノを超えられていないという現実。


そして、多くの偉大なギタリストがそうであるように、たくさん練習して演奏が上達、熟達して行くとまず間違いなく『ピックアップなんて別に何が付いていようがこのままでいいよな』って境地にに辿り着くという現実。


そういった現実を『どう思うか』で多分ギターを手にする人間としての属性の違いって事に繋がってくる気がするんですよ。


僕は別にピックアップなんてちゃんと機能してくれてるなら、メーカーとか気にはならない。


あるとしたら、弦に対する高さのセッティングの問題であったりポールピースがちゃんと弦の下に位置しているのかとか、ボリュームやトーンを弄ってちゃんと効くのかどうかって部分さえしっかりしていれば本当になんだって構わない。


僕はもともとアコギでギターを始めたクチだから音って自分の手元で作るっていうそういう属性のギタリストであるし、

ギターを弾いてソレがフツーに音が鳴らせるなら、ソレはそのまま合奏に用いるってだけだし、音楽として演奏された時の『音の良し悪し』は僕が決めることではないし。


僕の役目は弾かなきゃいけない楽曲をキチンと練習してキチンと弾くだけなので。


そして幸いなことに僕のEpiphoneで鳴らす音がダメ出しされた事はこれまでに1度もなくて、ソレはピックアップの交換をしたいずれのタイミングでも言われた事はないのです。(ピックアップのメーカーはその都度違います。Epiphone純正→Jacksonかなんか→Peaveyのギターに載ってたなにかって具合いですので。)


だいたいに於いて音楽を愉しみたい側の人達聴く側の人達はギタリストが弾いている楽器の部品がなにか?なんて誰も気にしてないですよ(笑)


ギターを弾く側の人間の『ピックアップはこれじゃなきゃ』とか、むしろ少し自意識過剰気味なんじゃないのかなぁと。


ほとんどの場合YOUNG GUITARの読み過ぎなんじゃないでしょうかね。



もしかしたら、ピックアップにこだわるというのは勉強する前に鉛筆の削り具合にこだわるって事と同じなのでは?っていう割り切り方をするとイイのではないかな、と僕ならば思うわけです。


その方が練習は捗るかもしれないと感じるからですね。


ご参考までに。


Mahalo!

(さて皆さんはこの記事でピックアップを見た回数とオッパイを見た回数どちらが多かったでしょうか?)