『メガテン』が綺談に成れぬ理由(ワケ) | Honolulu Music Society byなかじー

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出自は日本生まれの日本育ち。
米国籍を取得してハワイに在住する音楽家であり実業家。3児の父。

今までの日本人には発想出来なかった独自の視点と解釈を元に展開されるちょっとだけ凄いブログ。
更新不定期。

​Aloha!



過去に書き溜めてあった記事なんですが、ふと読み返してみたら案外悪くない内容だったのでお蔵入りならぬお蔵出しをします。



【以下、本文】


困った事に、最近ATLUSのゲームがつまらないんですよね。


ナンバリングタイトルの真・女神転生V(5)は一周で終了、派生タイトルのデビルサマナーソウルハッカーズ2なんか買いもしなかった。


『買いもしないでつまらないとか言うな』ってのは的外れな意見で、事実同作品のレビューは酷評の嵐。

だいたいあんなソシャゲくさいキャラクターデザインにペルソナもどきなUIを与えただけのゲームが面白いわけがないっていうなかじーの予見は見事に的中したわけです。



とはいえ、僕はきちんとやるべき事はやって来ている自負があった上でこうして文句を垂れているわけですよ。


そもそも僕がATLUSゲーにハマったのはナンバリングタイトルである真・女神転生(真1)からなんですが、そこから真2をやり、あまりのバグの酷さに挫折してその直後にリリースされた外伝である『if』をクリアした事に始まります。(真2はその後プレステ版でクリア)以降様々な派生作品も遊び尽くし、さらにはゲームから派生した様々なエンターテイメント作品まで貪欲に楽しんで来ました。(ちなみに僕のiPhoneにはゲームのサウンドトラックがiTunesにてダウンロードされているので日常にATLUS作品に触れている人間だったりします。)




そしてそれらのナンバリングタイトルに於ける世界観というのは、いわゆる聖書に於けるヨハネの黙示録に因んだ終末論を下敷きに創られたモノであり当時日本人であった僕にとっては全く未知の知見に満ち溢れた世界だったワケです。

そしてそれをベースに当時のクリエイター達の趣味の世界から摘んできた様々なパーツをコラージュするように仕上げられた作品こそが『メガテン』であったワケです。


それは永井豪先生のデビルマン(原作)であったり、山田風太郎先生の魔界転生(映画版)であったり、荒俣宏先生の帝都物語(映画版)、デヴィッド・クローネンヴァーグのThe Flyといった数々の綺談から明らかにパクってインスパイアされ、それらの断片的なイメージをコラージュするようにゲームに昇華した作品が『メガテン』であった、と。


しかしながらに、そうした重厚な作りのゲームであるにも関わらず、ある日その世界観が根底から瓦解してしまうワケです。



​ヌルッと訪れてしまった西暦2000年



そう、


『メガテン』がまるで現実世界に侵食するように皆が錯覚した背景には先述した一般社会への終末論の浸透が挙げられるんです。その背景には3つのファクターが当時の日本にはあったからだ、と考えられます。


①世界的な伝統宗教たるキリスト教教徒達による度重なる『終末は来る、神を信ぜよ』の辻説法の日常化。

②メディアによるオカルトブームを背景としたノストラダムスの大予言の普及、浸透。

③敗戦→復興→経済成長→公害問題→日米通商問題→プラザ合意→バブル→崩壊→不景気によるアメリカ(科学、経済、政治力強者)へのルサンチマン。


そんな『下敷き』がありつつ、


『来るはずだった終末』は待てど暮らせどやっては来ず、アッサリと1999年は過ぎ去ってしまったワケです。


おそらくは『メガテン』に心酔していた人達も『メガテン』を作っていた側の人たちも共に膝をついてへたりこんでしまった事でしょう。


だって『メガテン』は1992年10月にリリースされたゲームなわけで、井の頭公園バラバラ殺人事件より1年半も前に同作中では同じ場所での謎の殺人事件が起きて物語の発端として描かれていたわけです。


つまり、ゲーム内で描かれた出来事があたかも現実の社会に侵食しはじめたような感覚を与えるゲームだったワケで。


そしておりしもその次節というのは終末論が世間にジワジワと影響を及ぼし、マスメディアではオカルト特番が普通に組まれ、街では怪しげなカルト宗教の勧誘が跋扈する世の中であったわけで、『メガテン』は時代の空気にガッチリはまり込んである種の預言めいた啓示を含んだカリスマ性を帯びたゲームとして認識されるようになったワケです。


ところが、ホントに何事もなく1999年はアッサリ終わりを告げ、世の中は何ひとつ変わる事なくヌルッと新世紀を迎えてしまうワケです。


​だからこそのNocturne(真3)


西暦2000年を迎える前、毎年年の瀬になるとキリスト教徒の人達が街頭に立ちデカデカとした看板を掲げてマイクを手にして大声で叫んでいたのを思い出します。


『イエスを信じなさい』『来たる審判に備えなさい』『神はいつでも見ています』『神を信じる者は救われます』


新興カルトがやっていたわけではなくて、世界的な伝統宗教がやってたんですよ?


当時、別に神様なんて信じてない人だってこうした街頭演説を聞いていて鼻で嗤うようなことも無く、心の底では漠然とした不安を抱いていた人も居たんじゃないでしょうか?


ところが…何も起きない。




『メガテン』の物語っていうのは『真1〜真2』までの間、一神教に於ける唯一神の勢力と、それに貶められた多神教の神々との勢力争いに人間が巻き込まれて、その定めに抗ったり準じたりする主人公の物語として描かれてきました。



結果、物語の行き着く先として創造主たる唯一神を討ち果たすところまで行ってしまっていたので、1999年末に何事も起きずに済んだ現実世界には単なる『絵空事』に堕ちてしまった。


21世紀となった今になって『ノストラダムスの大予言』を読み返しても何ひとつ響かないのと同じで、あれほどのカリスマ性溢れた真1も真2も非常に子供騙しなストーリー(ゲームとして面白いのは確かだが)としか受け取れなくなってきたという時代の空気の変化に因んでアップデートされた『メガテン』こそが真・女神転生3Nocturneだった、と。





唯一神の勢力を『法と秩序の勢力=Law』とし、唯一神の勢力によって邪神、悪魔として貶められた土着の神々を『混沌の勢力=khaos』とし、プレイヤーはそのどちらに加担するのか?というのがゲームの物語に於ける分岐点に当たるわけで当然ながらそのどちらにも与しない事も選択が出来る。


しかしながら、それって1999年までの終末論が醸成しつくされた世の中のピークで突き詰められた方法論でしかないわけで『何事も起きずに迎えられた新世紀』以降の現実世界に於いては文字通りの絵空事でしかない。故に、真3では『神と悪魔の争いに巻き込まれた人間』ではなく、『人間同士の思想信条に於ける争いに加担する神々と悪魔』という図式にリビルドされた。


ソレは明らかに新世紀の現実世界の在り方に相応しい『いまのメガテン』だったはずなんです。


だのに、ねぇ?


​屁理屈だらけで退行するだけの真・女神転生4&4final

『これぞメガテンだ!』真・女神転生4の開発者チーム(マニアクスチーム)はリリース当時はそんな風に思っていたかもしれませんが、実際蓋を開けてみればソレは真・女神転生3(真3)から大きく退歩した作品でした。


ハードがPS2から3DSに移行したのは『オトナの事情』という事である程度看過出来るとして、キャラクターデザインは改悪、グラフィックは粗くファミコンレベルに下がり、音楽は全く『ゲーム音楽』の域を出ないアマチュアレベルに下がり、物語は一度脱却したはずの『Law対khaos』の図式に逆戻り。


しかも、


真・女神転生1&2に於いてLaw勢力に与する登場人物を『ヨシオ』

khaos勢力に与する登場人物を『ワルオ』としていたネットミームに倣って、


『ヨシオ』『ヨナタン』『ワルオ』『ワルター』と名付け、その見た目の印象とネーミングに対して何の捻りもなく物語に配置してキャラクターを単なる『ゲームの筋書き』の駒として動かすという愚を展開してしまうという浅さ。ソレをまた得意げに作って披露して来たマニアクスチームの面々。


ネットミームに倣って『ネットの皆さん、我々はわかってますよ〜?こういうのが喜んでいただけるんですよね〜?』っていう下卑た根性が透けて見える媚び方をして悪ふざけをぶち込むという愚。


あのね、あなた達(ATLUSさん)は、


自分達のやることがネットミームになるような作品を作るのがお仕事なんであって、


先達の作った作品に因んだネットミームの後追いをしてウケを狙うのがお仕事ではないのよ。




プロならば、クリエイターを名乗るならば、


そんな浅薄なレベルで歴代メガテンをプロデュース、ディレクションして来た人達の代役が務まってるなどと思うなよ?と、ワテクシは強く言いたい。




​メガテンの本懐。

『メガテン』ってのはそれがナムコ名義でリリースされた当初から革新性に溢れる作品だったはずなんですよ

世の中なかった概念、世の中にはなかった哲学、世の中にはなかった世界観、世の中にはなかったゲームの戦略性、世の中にはなかったゲームシステム、世の中にはなかったキャラクター造形、それらの全てが1つのゲームに集約され、いつしか現実世界を侵食しているという『ゲームを超えたエンターテイメント』


そこがメガテンのメガテンたる所以であったはずなのに、それらの革新性は安易に繰り返されることによって散々手垢のついた『お約束』だらけの陳腐なものに成り果てた。



だってね、ゲームの仕組みを『逆算』して考えたら、


❶ 創造主たる唯一神に従い悪魔(他の神々)を討ち果たして人間が神の法に縋る世界を目指す

❷ 創造主たる唯一神を討ち倒し悪魔(他の神々)と混沌の中で生存競争をする世界を目指す

❸ 創造主も悪魔も討ち倒し、人間が縋れるモノを一切失って生きて行く世界を目指す


この3つのゴールしかないと言える『ルート』があらかじめ厳格に決められた上で、設定された登場人物やキャラクターと機械的に『戦闘』し、排除して行くのがいまの『メガテン』なわけでしょう?


そして物語の発端というのが『突如崩壊する東京』という、コレまた『お約束』。


我々ユーザーがこれまでに散々追体験して来たゲームの世界の枠組みから何ひとつ進歩しない発想の数々。


(ちなみに真・4で提示された『ヨーロッパ風な社会風俗を持つ異郷の国の地下には、実は東京の街が…』っていう設定はメガテン派生作品ではないATLUSの『世界樹の迷宮』で既出。)


せっかく真3で提示された『人間同士の思想信条のせめぎ合い』という在り方から大きく退歩した『神々の争いに巻き込まれた人間』という手垢まみれな設定を何十年トレースして行くつもりなのか?


アレですかね?


真・女神転生っていうタイトルは『サザエさん』みたいなモンにでもなるつもりなんですかね?


『彼の国が日本に酷いことをした!』っていう被害者としての日本の首都、東京を舞台にアメリカを憎み、そのアメリカを投影した唯一神を討ち倒す事で日本のアイディンティティを保とうとする。


現在の『マニアクスチーム』の思想的体系には以下のようなものが根底にあると思える。


・日本が敗戦国であるという『ある種の挫折感や劣等意識』から逃れるために現在は同盟国であるはずのアメリカを唯一神に投影して討ち負かしたい。


・ゲーム内にそうしたパラレルワールドを構築する事で反米思想の醸成を図りたい。


・中国、北朝鮮、ロシアといった現代日本に実害を及ぼす隣国からの脅威については目を背けさせたい。


つまり、かつてはゲーム世界が現実世界とリンクしている部分があってそれがハマってウケていたのに、


現在の『メガテン』はありもしなかった『終末』を『あった事』にする為にいろいろな屁理屈をつけて、決まった結末に無理矢理進ませるためだけに設定された選択をわかりやすく配置して、プレイヤーを特定のゲームクリエイターの思想に適うように型に嵌めるっていう事しか出来ていない、と。


特定のクリエイターのエゴが原因で、あたかも穴の空いた履き古しの靴下に不似合いな自己満足という装飾を施して新品みたいに見せかけて高値で売ろうとするビジネスをしている。


ナンバリングタイトルというのはある意味に於いて王道でなくてはならない。


それなのに、派生作品であるペルソナシリーズやアバタールチューナー、果てにはデビルサバイバーシリーズの方が『はるかにメガテンらしい』と評される事が少なからずある、というのはどういう事か?



​どっちが現実世界とリンクしてるのか?







これらの派生作品ってのは真・1で描かれたような東京壊滅が起きなかったパラレルワールドという設定の下に作られているわけで、そう考えるとパラレルワールドとされている側の物語の方が現実社会に近くね?


っていう当たり前のことしか浮かんで来ないわけですよ。


つまり、より現実に即した世界観の物語の方がゲーム世界との境界線を曖昧に出来るので『そっちに軸足を移す方が健全じゃね?と。


・神と悪魔の闘いに巻き込まれて翻弄される人間

・Law Khaos という単純な対立構造に基づくキャラ設定と物語

・プレイヤーの『読み』を外せない凡庸なストーリー


これらは総じて『穴の空いた靴下』なんですよ。


足の爪をいつまでも切らずに伸ばしている人って、人目につく部分はある程度の手入れをしてても、人として根本的ところが疎かになりがちな人だと言えます。


そんな人が履き古された靴下を履き続けたら必ず伸びた爪がつま先を突き破って『おはよう靴下』になってしまうでしょう?


マトモな人間なら履き古された穴の空いた靴下なんて履いて出かけたりしないし、ましてやソレを後生大事にしまっておいて、ことあるごとに引っ張り出して来て周囲に自慢したりしないわけです。


ATLUSに於いてのマニアクスチームと呼ばれる人達が上記3項目を手放さないのは彼らが履き古された穴の空いた靴下を手放さないのと同じ精神構造だからですよ。


現実社会ってのは穴の空いた履き古された靴下の延長には無いんですよ。



古き骸を捨て蛇は此処に甦るべし。


ATLUSというのは昔から『完全版商法』というのをよくやっていて、新しい作品を発表すると数年の月日を経て各部のリファインと新規キャラクターと新規ゲーム要素を追加した『完全版』をリリースする会社なんです。


おそらくは最新のナンバリングタイトルである真・女神転生Vも程なくして(執筆2023年1月現在)『完全版』がリリースされる事でしょう。


そしてそれは『遊び易さ』という次元での多少のリファインが有るのはATLUSユーザーならば確実に想定出来るわけです。


しかしながら、ですよ。


せっかく真1〜2で『来たらぬ終末』という穴の空いた履き古しの靴下を脱ぎ捨てて構築された真3の世界線が神作として評価を得ていたのに、その地続きとしてでっち上げた真5はやはり穴開きの履き古された靴下だったという事実。


コレを見て思うのは、結局は穴開き古びた靴下に華美に見えるだけのセンスの無いムダな装飾をゴテゴテ貼り付けたモノを完全版として売るほか無いんだろうなぁという諦観しかないわけです。


ホントならね、


『穴の空いた古き靴下を捨て、ATLUSは此処に甦るべし』




コレをやらなきゃならない。


『神と悪魔の闘いに巻き込まれた人間の顛末』という穴の空いた靴下を捨てて、人間の物語を描くしかないんですよ。


というか、


散々書いて来たように20世紀末に起きるはずだった『終末』は実際には起きなかったんですから、現実世界に侵食して来るような物語っていう物の中にこそ新たな破壊と創世の物語を創るヒントがある。


いま、


日本のみならず世界を襲っている禍いの数々ってどこが震源地かと言えば、中国、ロシア、北朝鮮といったいわゆるレッドチームの国々じゃないですか?


それなのにナンバリング最新作では未だにアメリカを『彼の国』呼ばわりして敵対心を滲ませている。


沖縄の基地問題なんかもそうですがアメリカを敵対視して喜ぶのは中国、ロシア、北朝鮮ですからね、ATLUSさんが『そっち寄り』ならそうなんでしょう。そういう作風にならざるを得ないんでしょう。


いや、でも………………



ATLUSってセガサミーの傘下なんだったよなぁ。


セガサミー

パチンコ屋

北朝鮮


そりゃいつまでも穴の空いた履き古しの靴下を後生大事にしてるって事か。


現実の日本社会を明白に脅かしているのは明確に


中国、ロシア、北朝鮮ですよね?


北朝鮮にとってみりゃ中国、ロシアは『親』みたいなモノ。


親会社とその祖国、そしてその『親』との事情があって相も変わらずアメリカを偽悪化し、ありもしなかった『終末』にしがみついて唯一神とその他の神々の争いに翻弄される人間たちっていう穴の空いた古靴下を履いて得意になっている。


でもそれでなくとも日本社会はすでに『汚鮮』されているからなぁ。




そこを逆算して作るのやめたら?


要は今のメガテンがつまらないのは予定調和だからですよ。


Law対Khaosという図式があって、そのどちらに与するのか?またはどちらにも与しないのか?っていう結論しかないのはユーザーの誰もがとっくの昔に知り尽くしているわけでしょ?


そうした物語の結末から逆算して物語を作り、その分岐に必要なコマとしての登場人物を無機的に配置して、東京が壊滅する序盤に繋ぐだけっていう安易な作り方。


そんな安易な作り方しか出来ないから登場人物が活きないままどんどん居なくなったりタヒんだりするんでしょ?


それは最新作である5がまさにそれなわけで、その辺の物語の雑さっていうのは全て真・女神転生4から始まっています。


『戦犯』は誰かわかるってモノじゃないですか(笑)


相変わらず『メガテン』に於ける神作は1と2と3なわけじゃないですか。


世紀末を何事も無く通過した我々には1と2の世界観ってもはや現実を侵食して来るようなリアリティがひとつもないわけで、それを踏まえて真3が『人間同士の闘い』にシフトしたのは『神作』たる根幹であるわけです。(まぁその後山井さんがマニアクス、クロニクルエディションで3に穴の空いた靴下を履かせてしまったわけですが)


要はね、コレ断言しますけど穴の空いた古い靴下が好きなのは山井一千って人が陣頭指揮を執っている間はずっとずっと続くって事なわけで、『メガテン』が再び『神作』に返り咲くとしたらATLUSの中の『新しい靴下』を履きたい人が作るしかない。


かつてそれは橋野桂さんだったわけですが、ATLUSはRe-Fantasyが終わり次第、真・女神転生6の制作に橋野さんを駆り出さないとダメですよ。





そんな感じ!


Mahalo!


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