若者の『ギターソロ離れ』って話題について。 | Honolulu Music Society byなかじー

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出自は日本生まれの日本育ち。
米国籍を取得してハワイに在住する音楽家であり実業家。3児の父。

今までの日本人には発想出来なかった独自の視点と解釈を元に展開されるちょっとだけ凄いブログ。
更新不定期。

Aloha!


今日も今日とて…



さて、僕が日本語の鍛錬の一環として行なっているこのAmebaブログなんですが、たまにレコメンドされて来る記事というのも大抵はギター絡みだったりします。


正直なハナシ、


新しくギターを買いました、愛機を紹介しますとかは勿論、改造しました、機材買いました、等々のトピックって僕にとってはかなりどーでもよくて、『どーでもいい』ってのは失礼な物言いかも知れませんけど少なくともそこには『学び』はないかなーと思っているので大抵の場合はスルーしています。


僕はその辺りの経験ってもうかれこれ10年以上も前に僕は通過もしくは卒業をしていて、それは多分首席クラスとしての卒業だったのだろうなと我ながらに思うので。


しかしながらAmebaのレコメンドに関するアルゴリズムの関係でか、ギターと名のつく記事が次から次へと画面に並ぶ。


多分僕の記事だって全く誰にも読まれていない可能性はあるわけで、それは全然いい。


人生は有限だし、僕らが『暇』と認識している時間だって本来なら自身の寿命の一部なのでね、自分の人生に無益なことのために時間を割く意味なんて無いしましてやそれを他人に強いたり期待するのなんて間違っている。


冗漫なイントロやギターソロが聴く人の人生を豊かにするならオッケーだろうけど、演奏者の自己顕示欲や承認欲求を満たすためにプレイされたモノを聴かないとダメだっていうのは楽器を手にする人間の傲慢なのですよ、多分。



​若者のギターソロ離れって?


僕はギタリストなので、逆に若い人達のギター離れだとかギターソロ離れって言われることには非常に分かり味があります。


えっ?


って思う方もいらっしゃるかもしれませんが、僕個人の認識を述べさせてもらうなら、


ギターソロって必要無くね?という気持ちの方が非常に強いというのが大きいんですよね。


意外ですか?ギタリストがそんな風に言うのって。


誤解が無い様に前置きすると、


ギターソロって言うのはそれが必要な楽曲にとっては必要なんですよ。


そしてそれは楽曲がより良いものとして成立するために、必要とされる最適解として存在していなくてはならないという大前提がある。


ところが『ギターソロを無理くりぶち込んだような楽曲』っていう類いの演奏の方が世の中には圧倒的に多い。


それはね、別にわざわざ時間を割いて聴くようなものでもないし聴きたくなるように上手く構成されているならハナシは別かもしれませんけど、そんな崇高な意識でギターを弾く人はそうそう居ないんです。


他方、最近の若い人はYouTubeの動画視聴を倍速で再生したりサブスクで聴く音楽のイントロを飛ばしたりするってのがあるらしくてそれを憂いているような論調の方もいらっしゃるようなんですよね。


なに言ってんの、そんなの当たり前でしょうが?


別に僕が若ぶる気持ちは全くなくて言うんですが、そもそもYouTubeって収益化される動画の再生時間が決まってるわけですよ。誰だって基本的にはYouTubeって収益化したくてやっているんで、本来なら5分程度にアップ出来る内容でもワザとムダな話をしたりゆっくり喋って10分以上にエクスパンドして動画を作っている。

だったらそんなもの倍速で再生すれば無駄な時間を費やさずに済む。


配信者だって冗漫に作った動画をそのまま視聴されて途中で飽きられて違う動画にスキップされるより、倍速だって最後まで視聴された方がいいに決まっている。


サブスクだって冗漫な楽曲を始めから終わりまで聴き切るのは無駄ってものでしょ?


僕は音楽が仕事だからどんな楽曲だろうと始めから最後まで聴き切る癖をつけているのでなんて事ないですが、普通に趣味として音楽を聴く人にとっては無駄に長いイントロ、ギターソロが含まれた楽曲を何曲も連続して聴くのはつらいはずですよ。


ウチの奥さんは飲食店で演奏出来るレベルのピアニストだったので一般の女性よりは音楽に対する造詣は深い方だと思うんですが、彼女にはギターソロを聴き分ける『耳』があって、そのソロが手癖オンパレードなのかちゃんと楽曲の中に活かされるメロディが弾かれているのかをきちんと区別出来るんですね。


彼女も特定の楽曲を聴いててソロをスキップすることがわりと多くて、スキップしない楽曲を見ると非常に『わかってるな』と思ってしまうんですね。いいものはいいけど悪いものは悪い、と。


同様に今どきの若い人ってそういうのがちゃんとわかっているから『ギターソロ離れ』になっているんじゃないかな?と思えるんですよ。


とにかくメロディを弾くのではなくて視覚的に覚えただけの手癖のオンパレード、演奏というよりは動作であり突き詰めるとそれは曲芸、楽曲のためというよりというよりギタリストの自己顕示欲をぶち撒けて、ヒーロー然と崇拝されたいから弾き倒しを是とする傲慢な意識の連鎖なわけです。


そういうのが透けて見えると聴いててホントに馬鹿らしくなります。


なんでお前の自己顕示欲やら承認欲求を満たすための単なる音の羅列に付き合って貴重な時間を過ごさなきゃいけないの?


そんな気持ちにならざるを得ないかもしれません。


​楽曲に含まれる想い。


楽曲というものには必ず聴いてくれる人に対して届けたい想いっていう物が含まれていると僕は認識していて、それが音楽を創ったり奏でたりする行為の根幹であると僕自身は認識しているんですね。


勿論そうじゃない楽曲ってのはたくさんあって、それは無機的に生産される音の羅列という物もあるにはあるとは思っているんです。


演奏技術の研鑽に利用するために作られる楽曲などはその最たるものです。


そういうもので運指やピッキングの動作を習得して、それを習得した人はなにかしらの楽曲のキーとサイズに当て嵌めながら併せて弾くだけのギターソロ。


それって楽曲の中に含まれている想いであるとかイメージを増幅させるような演奏と言えるんでしょうか?


違いますよね。


エレキギターの黎明期からギターソロってものがちゃんと音楽の一部としての役割りを果たさず、ギタリストが手癖オンパレードを是として来た歴史があまりに長かったからこそ聴き手は気付いてしまったんですよ。


ギターソロ、要らねーじゃん?と。


よく、音楽や楽器の演奏をする行為を『自己満だよ』と開き直る人がいます。


いや、だから廃れるんでしょ?


音楽にお金を払って愉しむ人にとっては楽器を演奏する人間の自己満やら自己顕示欲を充すことに付き合わなきゃいけない義理は無いんですよ。


僕もギタリストなので、ギターの演奏を愉しんでもらえるような社会がもっと醸成されればいいなと心から思います。





だけど無理っぽいですよね(笑)


かつて音楽が貴族や大富豪達のためだけに成立していた芸術であった時と違って、我々の接して来た現代音楽と言うのは不特定多数の庶民を相手に売り買いされる大衆芸能の一部です。


『お客様は神様』ではないけれど、同時にロックを含む現代音楽は間違っても芸術ではない。


大衆に支持されない音楽家が『俺がやっているのはアートなんだ』とか強がっても現代音楽は芸術的にはなれても芸術そのものにはなれないんですよ。


芸術というのは大衆のためにではなくパトロンが自身のために創らせるものだからです。


不特定多数に複製が可能な音源を買ってもらわないと成立出来ないようなモノ、不特定多数にウケる事を想定しないと成立しないようなモノは芸術だなんて言ってはいけない。それは芸術に対して失礼ですよ。


他方、聴き手がお金を払うものには払うなりのニーズを充すなりの何かががある。


冗漫なイントロや手癖オンパレードなギターソロにはそれが無いって普通に考えたらわかる。


音楽の中に表現すべきイマジネーションを持たずに、ただ与えられたキーとサイズに併せて手癖をひけらかすだけのものを聴き手に強いるだけの傲慢な意識の産物でしかない『ギターソロ』なんてのは廃れて当たり前でしょう。


そこに聴き手に伝えたい想いはあるのか、そもそも音楽として伝えたいこととはなんなのか、それを敢えて楽曲の中でギターソロとして弾く意義って果たしてホントにあるのか?


僕はとても懐疑的なんですね。


だから僕は『若い人』がギターソロを忌避する事に対しては『わかってるじゃん』としか思わないんですね。


音楽の聴き手として人間は進歩した、という証なのかもしれませんね。


そんな感じ!


Mahalo!


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