DECADE. | Honolulu Music Society byなかじー

Honolulu Music Society byなかじー

出自は日本生まれの日本育ち。
米国籍を取得してハワイに在住する音楽家であり実業家。3児の父。

今までの日本人には発想出来なかった独自の視点と解釈を元に展開されるちょっとだけ凄いブログ。
更新不定期。

​Aloha!


最近は妹の結婚式の準備でてんやわんやです、


なかじーです。


さて、今日も雑談枠です。


その前にコレはある日の記事別閲覧数なわけですが、直近の記事よりも明確に過去記事が多く閲覧されていますよね。


しかもこれらの過去記事って概ね10年くらい前、つまり僕が日本在住の日本人で、しかもプロの演奏家ですらなかった時期に書いていた記事だったんですね。


面白いことに、ギターの話題って当時はそんなに集中して閲覧されていたわけではなくて、むしろ新しい記事が更新されたらそちらの閲覧数が伸びているというのが僕のブログの在り方であり、おそらくそれは僕だけに留まらず概ねどの方にも当てはまるスタンダードなんじゃないか?と思うわけですね。


ところが、ここ最近では過去に投稿されたギターメーカーに関する批評が極めて多く閲覧されている。


閲覧数を稼ぐ為に必死になった事は一瞬たりともない自分の駄文に毎日少なからぬ閲覧者が訪れることに違和感をを感じてしまうのは僕だけでしょうか。


だって10年前ですよ?


僕は当時は今とは違ってアマチュアであり、単なるエレキギターの愛好家であり、同時に収集家でもあった。


単に仕事で稼いだ金を趣味に注ぎ込んでエレキギターの可能性やその実質を探るための収集と試し弾きをしていく中で得た僕だけの知見を基にエレキギターやエレキギターメーカーについての批評を皆さんにシェアさせていただいていたに過ぎない。


しかしながらそれはおそらく10年前ともなるとかなりアバンギャルドな域にある知見だったかもしれず、おそらく多くの人に理解はされていなかったかもしれません。


10年前なんて『フジゲン製』だってだけで無条件にいいギターだ、なんて迷信がまかり通っていた時代ですからね。


TOKAIのLOVE ROCKはGibsonを超えたとか、本家よりも造りがいいって殆どのギター愛好家は本気で信じていた時代でした。


僕はその後、日本という国には明るい未来は無いと達観してハワイに移住しましたが、10年前に僕が危惧した日本社会の危うさというのはやはり近年俄かに顕在化しているようにも見えます。


10代だった人が20代になり、

20代だった人が30代になり、

30代だった人が40代になり、

40代だった人が50代になり、

50代だった人が還暦を過ぎる。


僕は直近の日本は昨年BABYMETALさんを観に行った時の様子しかわかりませんが、非常に暗澹たる気持ちになって帰路についたのを記憶しています。





武道館ライブの翌日、


誰も彼もが不機嫌そうな仏頂面で背中を丸めて歩いている。


『日本人の民度』という言葉とは裏腹に無愛想でだけども一方では非常に慇懃で、その実はあらゆる局面で事務的な対応に終始する人だらけな社会がそこにはあった。


僕はそれを10年前、いやそれ以上前からそうした社会の在り方を危惧してはいたけど、其れを他者とシェアしようとすると反日思想家かのような扱いを受けたし、あたかも単に社会に適合出来ない出来損ないみたいに言われる事だってあった。


自分的には当時からサラリーマンの平均的な年収の倍近い稼ぎがあったので、年収ベースで見たら明らかに勝ち組だったのは明白だったわけですが、ネットってそういうのは関係ないじゃないですか(笑)


ホントに社会に適合していなくて、朝から晩までネットに張り付いているような人が、その暇さとルサンチマンを原動力にして自分の気に食わない対象者の脚を引っ張る事だけを生き甲斐にしていたりする。


そういう輩の発言力が強く感じられるコミュニティでは偏った意見や間違いが散布されやすい。


そういう輩って自己顕示欲と承認欲求を充す為ならウソを拡散する事を厭わない。


Twitterなんかでもいたでしょう?『ウソ松』みたいな連中。


そうした輩だって既に10年加齢しているわけで、その10年で何かを成し遂げただなんてハナシは全く聞こえて来ない。


結婚はした?誰かを幸せにした?親孝行はした?子供は持てた?夢は叶えた?どれだけ稼げるようになれた?


10年ですよ、10年!


1週間単位で考えたって540週間です。


土日しか休みが無い人だって1,080日の休暇を取って今に至っている事になる。


自分の夢を叶えたり、向上したり、誰かを幸せにしたり、親孝行をするチャンスが1,080日もあったって凄くないですか?


自分が余命数ヶ月、となった時に無駄に過ごした1,080日が取り戻せるとしたら?


そんな事はあり得ない事ですが、もしもホントにそんな事が叶ったなら、おそらくどんな人だって心を入れ替えて自分のやるべき事や叶えたい夢を実現させるために努力をするハズ…


ってのはあくまで僕の考え方なんで、


正直な感想を述べればおそらく殆どの人はまた同じようにダラダラと生きると思うんですよ。


何に価値があって、何に意義があって、何をどうすれば自分が生きた証を遺せるのかを全く考えずに、自分がいまこの瞬間に満たしたい欲求を満たす事だけを優先して時間と思考と労力を費やしていく。


こういうのを現在志向バイアス

というんだそうですが、僕は今の日本人の形成する社会の問題点って日本という国そのものがコレに冒されているからだろうなぁと認識しています。


だから10年経っても成長出来ない社会だし、経済だし、政治だし、国民とその暮らしなわけです。


社会って結局は個人の集合体なわけで、その最小単位は家族なわけですよね?


自分を含める家族が少子高齢化していたなら、それは自分の属する社会が少子高齢化しているということです。


それが積もり積もって社会補償制度の破綻を招いているとするなら、それはそうした個人レベルでの社会設計を怠った人全員に責任がある。


つまり、


日本社会の不安ってのは、結婚しない、子供を作らないって選択をしている人全員が招いてるって自覚をもっと真摯にすべきなんですよ。


しかしながら、それに目を背けたり自分とは無関係に感じている人が圧倒的に多い。


でも殆どの人は自分の生き方を肯定的に思いたいものだし、男性には男性にしか出来ない、女性には女性にしか出来ない社会的な役割りを無視して、『自分らしく』とか稚拙で歪んだ夢物語を謳うわけじゃないですか。


いや、人間だって生き物なんだから自分らしさ以前に生き物としての役割りを果たさなかったら『種の繁栄』には寄与できないだろ?と。


『自分』という存在は、名前も顔も知らないような遠い遠い祖先がちゃんと『生き物としての役割り』を全うしたからこそいまここに在るという事実。


五体満足なのに結婚しません、子供居ません、ってのを自由意思で選択している人はそれを自分の代でブッツリと断絶させちゃうという現実。


僕はそんなのは耐えきれないなと思って遅まきながら結婚もしたし、子供も3人だけだけど産んでもらった。


僕と奥さんの2人がかりで子供が2人以下しか居ないなら、僕らが死んだ時に人口が減ってしまうじゃん?


だから最低でも2人、出来れば3人以上の子供が各家庭に産まれてなきゃいけないんですが、日本がこの先そういう社会になるとは思えない。


エレキギターの話から随分と逸れてしまいましたが、基本的に僕の言わんとすることって10年遅れてやっと皆さんに届き始めるって認識なんで、この記事に書いたようなことも10年経ったくらいに初めて日本の皆さんに認知されるのかな、なんて思っています。


『あぁ、あの時なかじーの言ったことをもっと自分のこととして真剣に捉えておけば…』


なんて10年後に思ったところで、嫁さんもらえない子供作れないトシになって後悔しても遅いですからね。


人は自分が『手遅れ』になった事は必ず正当化する生き物なので、そうならないように変なプライドは今すぐ棄てる事をおすすめしたいです。


僕はちゃんといいましたからね!


とりあえず自分の妹がちゃんと無事に結婚してくれるのがよかったです。


『子供は3人以上な!』と言うと、


『あらお兄ちゃん、私たちは5人は欲しいって言ってるのよ?』


負けた(笑)


我が家では妹の遺伝子を受け継ぐ子孫が増えそうです。


皆さんの遺伝子は未来に遺るんですか?


という素朴な疑問を唱えて今日はお仕舞いにしましょう。


Mahalo!


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