今、手作りピザを食べながら、これをまた書き始めました。

一週間ぶりともあって、次から次へと「思い」が溢れかえっているからだと思います。

私の中で、ここヤフーで尊敬しているブロガーさんがいらっしゃいます。

そこには「理想」があるからです。

私のブロ友さんでもありますが、「あこがれ」です。

あんな風に出来たらいいなぁ~(ブログについて)っていつも思っております。

記事更新は毎日10~20、もっとかな?

約10分置きくらいに更新されていて、「無駄のない」ブログ運営。

まさに私から見て「理想」そのものです。

時折、コメントも交わしてお話する。

私から見て、本当「あこがれ」なんです。

記事も「無駄」がない。

他ブロガーさんの転載もあればお家のお話、ご家族のお話。

そして、他ブロガーさんとの程よい距離感。

いつも為になる記事。

時々しかお邪魔出来てませんが、私もそんな風に出来たらいいなぁ~って思うのです。

ご本人様の了解を得ましたのでご紹介致しますね。

それはこの方です↓

尊敬しています。

いつも沢山の記事をアップされていて、それでいて皆様とも上手くやっていらっしゃる。

まさに「理想」がそこにあるんです。

私も記事を書くのは大好きなので、このブロ友さんのようになりたいと「夢」ですね☆

どうやったら、そんなバランス良く出来るのかな?っていつも感心しているんです。

あれだけの記事を書いてらっしゃる。

「あこがれ」です。

まさに「先輩」ですね^^

私の「夢」です。

「目標」です。

なので、そうなれるよう、私も努力したいと思っています。

運営を見ているとゲスブ欄は開けてらっしゃるようです。

私はこの「ゲスブ欄」が苦手です。

何故ならマイページに一度しか表示されないからです(コメントも同じですが)

例えばゲスブにコメントがあって、その後コメントがあったとして、マイページに表示されますが、一度確認すると後はわからなくなってしまう。

ゲスブはどんどん後へ後へと追いやられてしまう為、どこにコメントが入っていたのか?分からなくなってしまう。

それが私には問題でして・・・。

故にゲスブはずっと閉じておりました(ご要望で開いた時もありますが正直苦手です)

私の場合、それをどれで補うか?でした。

そこで考えたのが「書庫」で作る「ゲスブ」でした。

ここならマイページの表示が消えても、そこに行くだけでコメントが何が入っているか?把握できます。

後で訪問にも行けます。

それは実験でもやりました。

一度「ダメ」かな?と思いましたが、今となっては正解だったようです。

故に、このスタンスが今は良いようです^^;

ようやく私の中で「ブログの形」と言うものが確立できてきそうです。

ところで、今回私がこうして過去に拘るのはなぜだろう?と考えていました。

一つ、私の中で「消化」できないのです。

それは「親の言いなりになっていた私の人生は、無駄そのものだった」と・・・。

いつも「親の言う事さえ聞いていれば間違いはないんだ」と言い聞かせられて育ってきました。

反抗は許されませんでした。

仕事にしろ対人にしろ、全てに於いてそれは「命令」でした。

唯一私がブログをやっていたなんて親は知らないまま亡くなりました。

既に父は家出してましたし母も入院してましたから。

ですのでブログの中の私は「やりたい放題」でしたね。

日常の「常識」に論点を当てればそれは「無駄ではなかった」事もあります。

しかし私の「人生」に当てると私は「ロボット」でしたね。

高校の時、親友が私に教えてくれたのです。

「みぃって何でも親が親が、なんだね?あんた、はないの?」と・・・。

「自我」の事だと思います。

分かっていました、何を言わんとしているのか?を・・・。

でも「許されてなかった」から敢えて押し殺しておりました。

その反動が歳を重ねる度に、そして今「自由」となって「一気に爆発」しているのだと思います。

そして振り返る・・・「私の人生、なんて無駄ばかりだったのだろう?」と・・・

悔しくて悔しくて、たまらないんですよ。

何を根拠に私に言ったのか?

例えば「婿」の事です。

私は確かに一人っ子でした。

しかし家は普通のサラリーマン。

本家はちゃんとあっていとこ達が跡を継いでおります。

子供も何人も生まれておりますので本家の心配はありません。

家は分家の分家ですから、家を継ぐとかそんなの関係ありません。

それなのに「お前は婿でなければダメ」だとか「千葉県人じゃなければダメ」だとか「銀行員でなければダメ」だとか・・・

何を根拠に言ったのか?問いただしたくて仕方ないのです。

親の言う通りした結果がコレです。

来た婿は究極のアスペで「結婚」の意味もわからない人。

それなのに母は「私の息子になって」と手を握った。

あの日がよみがえってくるのです。

私はこの家から逃げたかった。

封建的な家から。

だから若さ故の間違いもありました。

急ぎすぎた。

好きな人いたけど銀行員じゃなかったから我慢した。

それが、悔しくて悔しくてたまらないのです。

生前それについて親に訊ねた事もありました。

「なんであんな事を言ったのか?」と・・・

「俺知らね~~~~、私知らないわ」それが両親の返事でした。

「だったら言う事聞かなきゃいいじゃないか!」とも怒鳴られました。

私の中では心が砕けました。

「意味のない事で振り回されていた私はいったいなんだったのだろうか?」と・・・。

吉川旦那との出逢いは正に運命で父に見せ付けてやりました。

父は私達を食事に誘い、お酒も酌み交わしました。

そこに「意味」があったのか?なかったのか?はわかりません。

しかし気付けば子供もいない。

「跡を継げ」と言っていた両親、それも私の代で終わりです。

本当、バカですよ。

私を自由にしてくれていれば、焦らずに済んで、「今よりは」マシだったかもしれない。

お嫁に行ったかもしれないけれど、子供いたかもしれない、孫も見れたかもしれない。

可能性はあったんですから・・・。

だから悔しいんです。

親の言いなりになって、それが未来に繋がったのなら諦めもつきます。

でも「無駄だった」んですもの。

だから今になって爆発しているし、聞きたくても親は既に死んでいる。

答えはなし。

無責任にも程があるんですよ。

吉川旦那は私に言いました「親の資格ない」と・・・。

まさに、その通りだと思いました。

人ひとりの人生、ぶっ壊して、何が楽しかったんでしょうね?

虐待以外のナニモノでもないのです。