長い間憧れていた大和めぐり。

一般常識レベルですが

あんなことこんなこと

自分の備忘録として

数回に渡り書いていきます


クローバークローバークローバー


八咫烏が神武天皇を

熊野国から大和国・橿原まで導いたという

その橿原に一泊し、

もう少し古代ロマンの旅を続けます



そもそもこのあたりに憧れていたのは

聖徳太子を主人公とする

「日出処の天子」(山岸凉子)という

漫画の影響なので

一部、聖地巡りのような面もあり…

ミーハーな旅です爆笑


画像お借りしました


朝いちばんに向かったのは

明日香村にある、石舞台古墳



7世紀初頭に作られたと推定され

もともとは土で覆われていましたが

今はその封土が失われ

石が露出している状態なんだとか





石室の中にも入れます

被葬者は不明ですが

巨石に囲まれた広い石室を目にすると

有力な権力者でなければ

このようなお墓を造ることは

できないだろうと率直に感じるので…

6世紀後半の権力者 蘇我馬子の墓、

という説に1票上差し






案内板に、造り方が紹介されていました


6世紀とか7世紀とか
1400年くらい前に造ったものを
今、目にすることができるって
すごいことですよね?

感動しまくりながら、
次に向かうのは飛鳥寺です

石舞台古墳の主であったかもしれない
蘇我馬子によって
596年に創建された
日本最古の仏教寺院です


飛鳥寺の鬼瓦



そういえば日本初の瓦は

百済から渡来した瓦博士により

飛鳥寺造営のためにつくられたそうです


ご本尊の釈迦如来坐像(重文)は
日本書紀によれば
推古天皇が
聖徳太子や蘇我馬子たちに詔して
鞍作鳥(止利仏師)に造らせた
日本最古の仏像、
飛鳥大仏と呼ばれています

鞍作鳥といえば
法隆寺の釈迦三尊像を手がけた人物

釈迦三尊像と同様
面長で目がアーモンドの形をしているなど
シャープというか、
奈良時代以降の仏像には見られない
特徴があります


お寺の方がいろいろ説明してくださり
写真撮っていいですよ〜
左から見るのと右から見るので
お顔の印象が違いますよ〜、と。


右側から見るとやや厳しい表情
左側から見るとアルカイックスマイル、
にこやかな表情に見えます

平安時代と鎌倉時代の二度の火災でも
なんとか焼失を免れた仏さま
修復されながらも約1400年間ずっと
こちらにいらっしゃるということは
飛鳥時代の人と同じ場所で、
同じ仏さまを拝んでいるということ…。
すごいことですびっくり

さて、飛鳥寺の近くには
蘇我馬子の孫、蘇我入鹿の首塚もあります

そもそも中大兄皇子と中臣鎌足の出会いが
飛鳥寺で行われた蹴鞠の会だったそうで、
乙巳の変で討たれた後、
その首が執拗に鎌足を追うので
この場所に首塚が建てられたそうです

その首は
皇子と鎌足がクーデターを話し合った
談山まで飛んで行ったという伝説も。

談山神社と飛鳥寺は
歴史上切っても切れない関係なんですね


御朱印をいただきました

釈迦如来を表す梵字(パク)



つづく。