寂しくて言葉も出ない夜は 君の笑顔だきしめて眠る 


二人なら土砂降りの雨 凍える朝

手をつないできっと歩ける


i believe 消えかけたあの日の夢 いつでも手をかざしなおる






いつになれば満たされるのか。


いや、満たされたいとは思わないので

せめて乗り切れるパワー欲しいよ

子供は感じている不安や恐怖を言語化できない。

だから

抱きしめるとか背中をさするとか大丈夫だよ
と言ってあげると安心します。

ちょっと考えれば、というか自分が経験していれば
そういうことが安心感を与えるんだって知っているはず。

そんなケアも、啓発していかないと出来ないほどの
貧しさなのか

なんか悲しいなぁ
最高位から、選択肢の一つになってるんだろうなぁ
子育てって。。

まぁ多様性といえばそれまでだけど。


ただ徹頭徹尾
親が一人の大人として生きていく方を優先して
贖罪される理由なんて無いはず





例えば



母子関係の様々な問題も児童心理学的に言うと
母親の子供への愛情が不足しているからと言うよりは
母親側が我が子がどれほど自分を必要とし
愛してくれているかということを
掴み取れなくなっていることが最大の要因なのです。

彼女たちは子供を愛せないって悩んでいるんですが
実際は、子供から自分がどのくらい愛されているかを知らないだけなんです。要するに今の母親たちは何より重要なのが自分の相手への気持ちでなく、相手からの自分への気持ちだと気づき事ができないんです。


発達心理の面から見ても、人間の愛情欠落の最たる要因は幼少期の愛情不測だと証明されています。だから、私は、愛することよりもまず、愛されることが大切なんだと思います。


とも説かれているし


クライエントを完全に見誤っていた。

確かに保育施設を増やすための予算は
親たちには有難かったと思うよ。

だけど、本来、教育のための国費というのは
これらから育つ子供たちのために使われるべきだろう。

クライエントは親たちじゃなくて子供たち自身のはずでね。ところが僕たちは、そんな子供たちのことを一切考慮せずに勝手に親の都合だけを優先する予算付けをしていまった。

要するに真の顧客の声を聞かずして
全く顧客のためにならないサービスを提供したってわけさ。

よく考えてみれば生後わずか43日の子供が親を手放して他人に預けることを可能にするシステム作りなんて、社会全体のために有益なはずがないよね。そんなことしたら子供がまともに育たないのは当たり前の話だ。なのに、それほど単純なことにも気づかなかったんだから、全くあの頃の僕たちはどうかしていたと思うよ。


なんていう資料もある


その一方で



女の幸せとは何だろう。
結婚だと言う人もいまだにいるが、そうとは思わない。




この時代、結婚=幸福という公式を覆す実例は山のようにある。
ただ、結婚が女性の幸福を保証しないからといって
未婚が女性にとって幸福かといえばそれは違う。


結婚=幸福、が確実でないにしろ
未婚=非幸福、という公式は未だにゆるがないのはなぜだろう。というのも、子供を持つということは、女性にとってかなりの確率で幸福なのではないだろうか。


未婚=非幸福、という公式が揺るがないの
未婚=未出産という通念が未だ
社会全体に罷り通っているからではないだろうか。


要するに「結婚=出産=幸福」という公式と「
未婚=非出産=非幸福」という公式があって
最終的に女性の幸福を論じるときに重要なのは

結婚・未婚の区別ではなく、出産・未出産の区別の方ではないだろうか、出産=幸福、未出産=非幸福、というカテゴリーには確かにある種の説得力がある。その点に着目すれば、結婚できない女性が不幸なのではなく、本当に不幸なのは、出産できない女性なのかもしれない。



どちらの立場からのバイアスもあるのだろうけれど

よくわかんない




治療は助けてもらうのではなく、

あなた自身が努力していく中の補助的サポートなのです。

この言葉の意味、医者なんか役に立たないんだ、自分がどうにかするしかないんだ、

ということに気づけたときからお医者さまは大いに力になってくれると思います。つきつめれば助けてもらえる段階までは自分であがっていくしかない、というのが経験から導き出された答えです。









悲哀のプロセスは感情のプロセスです。

悲しみは十分に悲しむことによって抜け出していくことが出来ます。もちろん悲しい気持ちは持続することが多いのですが、それが自分の今の生活を乗っ取るほどにはならなくなります。あった、という事実はなくなることはありませんが薄まっていく、占有率が下がっていくということなら可能なのです。

















寂しさ、離界感、寂寥感、怒り、汚い感情は全てかんじるのは

いけないものだと思っていた。



常に正しく精錬で清潔でなければいけない、弱い感情を見せたらみんな去っていくのではないだろうか、そんな思いに縛られて不安は不満と正面から向き合うことを避けて(まぁ人生はそういう場面を避けて生きていける可能性は皆無だけれど)感じないように感じないように生きようとしたし生きたかったのだと思う。




だから感情を感じないですむ方法を選んだのかもしれない。




何も感じない時間を作りたかったんだ。


そういう意味において過食嘔吐は本当に私を救ってくれていた


過食嘔吐によってギリギリまで落ちて失ってしまうのだけれど、その存在のおかげでまた、ギリギリで耐えていられるというのも、なけなしの事実なのだろう。



自己肯定感とか自信を持つとか

そういうのは全く無いし誰かに認めてもらっているなぁと思える感覚も全く無い。



常に自分で自分を評価しなければならない状態(自分しか認めてあげることが可能な人間が居ない)にいるにもかかわらず、どうしても「ある」ことには価値を見出せずに「いる」という価値を得ることで存在に意義を見出そうと常にがんばっていたのだと思う。それは、あったらいいなぁというレベルではなく、飢餓感に似た飢えのように乾いた欲望だろう。





もっと、こう、存在を揺るがすくらいの根底にあるべき安心感。強い人なら生涯に渡って追い求められるのだろうけれど、たった10年にも満たない期間でダウンしてしまう人だっているのだ。だからね、自宅療養とか、安心できるであろう環境を整えたところで自分の心から逃げられないから、ニートになろうが親のスネをかじろうが、安息の時間は訪れない。そういう時間との折り合いがつかずに過食嘔吐に走り全てなかったことにしたいと思ってしまう。








この症状の厄介なところに

食事と言う交友の始まりについて気の感を感じ参加、あるいは誘いをネガティブに捉えなければならないと言う事もある。




高校生くらいまでならまぁゲームでもして遊んで時間をすごしてもいいのかもしれないけれど大人は、じゃあ今度ごはんでも、という取っ掛かりから始まることも少なくないのはご案内のとおりです。それに参加できない、というのは次にもつながらないし誰ともつながれないということ。





これは本当にしんどいのではないだろうか。誰とも会いたくない周期もあるし見せられる姿ではないこともあるでしょう。けれども、そんなどん底の状態でも、誰かに会いたいという感情は絶えず持っているのが厄介なのだ。誰か、という理解して受け入れてくれる人のことを指すのだけれども。。






だってさー本当に孤独なんだよ?ただでさえ、人間らしくない行動をしている自分に疲弊し絶望しているのに一方で誰にも近寄らないで欲しいってアンビバレントな思いの中で押しつぶされているのに誰からも手を差し伸べなれないなんて。でも実際、どういう風に助けられてら感謝できるのだろうと考えると、きわめて難しい気がする。やっぱり、うるさい!ほっといて!!って言ってしまうのだろう。何を頼りにすればよいのでしょう?そうなればやっぱり、薬だったり過食嘔吐という自分を苦しめ助けてくれる存在にすがる、そういうループに入ってしまうのは、至極当然なのではないだろうか。

ペットボトル症候群は

急性の糖尿病性ケトアシドーシスを招くリスクの高い症状です。


清涼飲料水にスポットが当てられますがこれは清涼飲料水に限らず

糖度の高いコーヒーや紅茶飲料なども同じです。


ガブガブ飲むのは絶対に辞めましょう。

震災地の方々もできれば避けていただきたいです。





髪にお悩みがある方は朝パン食派ですよね。ね?ジャムおじさん(笑)



トランスファットの毛根つまりやフィチン酸による亜鉛欠乏+糖化に気をつけて、食べるなら天然酵母パンを。マイナスをカットして、たんぱく質やCa、鉄分、亜鉛、V.B群などをしっかりと







糖類は砂糖だけでなくブドウ糖・果糖・乳糖・ショ糖・麦芽糖など種類があり

シュガーフリーとあっても果糖や乳糖なら含んでもフリーと書けますし

人工甘味料も糖類扱いではないので入っていることもあります。


甘味料は胎児や脳への影響が指摘されています。

Cal・シュガーフリーの場合、人工甘味料を多く使うものですが

ブドウ糖果糖液糖やショ糖etc…は血糖値を高めることから


肥満の原因になると米国で指摘され、摂取し続けるとインスリン抵抗性体質を招きます。


でも糖類ではないので厄介なんです

食物繊維不足だけでなく、とくに子どもを中心に低血糖による便秘はすごく多いと思う。身体が使えるエネルギーが極度に減少して、それが脳に優先的に供給されれば腸の蠕動運動が後手に回り、排便機能が鈍るのは当然のこと。現代人は過剰な栄養と不足している栄養のアンバランスが大問題


高GI低たんぱくはしんどいです。炭水化物メインで低たんぱくは非効率なだけでなく、負荷も大きい。基本は低GI&GL高たんぱくです。鴨×ネギ・豚×ネギの最強コンビの鴨南蛮蕎麦(小麦粉少なめ)、肉そぼろ豆腐、豆腐ハンバーグ、納豆に魚や卵や色々混ぜて海苔でいただくプチばくだん丼etc

肝臓の保護にはまず食生活です。解毒の必要のないものを中心にとり、その上でサプリを併用してください。肝臓内の酵素を活性化するには亜鉛やセレンなどミネラルが必須です。B1、B6、アミノ酸も必須です、これはグルタオチンが解毒の作用を助ける為です 。また、乳酸分解も肝臓内で行われるので、分解に必要なB1、亜鉛。そうなると、やはりアミノ酸、マルチビタミンミネラル等ベースサプリをまず




予想通りの優等生のアンサー  ≒ ggrk(ry


最近は、趣味は何ですか?という最も苦痛を感じてしまう(無いから!)質問についてリフレイミングというか拡大解釈をしてみようかなって。。

なんで苦痛に思ってしまうのかを紐解いてみると

趣味=その分野について知識経験のゾウケイが深い

というフレームだったので、そんなのないなーって

でもね、もし自分が相手に同じ質問するときの事を考えてみると(もちろん定番であり間を持たすには無難かなという思いもあるが)やっぱり相手が何に興味を持っているかということと、時間が空いたら何に多くの時間を割いているのか、という、もっと表面的なことが最初の段階では知りたいのだなーって。最初から深さを求めていないんだなーって


よそどおりの優等生のアンサーは何も生まない気がした。訊ねるというのは、興味があるからであって別に答えなんか知りたくない。本当に知りたい知識ならggればいいだけだし。正論なんか諭されても、そんなこと本人が一番自覚して悩んでいるっての。そういう意味で、というか日本語的なコミュである裏にある気持ちを読んでほしいという甘えにも似た思いがあるからコミュスキルが高い人と話すのは気持ちがいい


だから、ggrksという単語は極めて悲しい単語に思える。

もちろん、1分ですごい額を稼ぐ能力があるひとに、調べればわかるような質問したりツイートしたりすれば起こられるのは当然だし、仕事のような公の場所では準備しておくのがマナーだとは思うのですが(橋本府知事が中学生の質問に、そんなの自分で調べろと言って泣かせた、みたいな記事読んだかもw)


まぁ生産性というかお金を生むための集まり(会社とか)なら知識を調べておくのは大前提なのかもしれないけど

プライベートというか集まり飲み会では、あなたの事を(とりあえず)興味ありますよ、という意味だと思えば別に正解というか趣味なんかなんでもいいというか、嘘でもいいし、探してるけど見つからないけど前はこんなことやろうとしたとか、そんなことでいいんだと思う


つまりひとつの単語でも
過去の経験から培われた辞書やフィルターをもっていて
それを尊重しあうことが価値観の多様性を認めるということなのではないだろうか。

人間とのトラブルで悩んでいるときでも
なんであの人は、私とはまったく違う考え方なのだろう?きっと別の経験をしてるから捕らえ方が違うんだなーくらいに思えれば、もやもやが軽くなったりあるいは解決するかも

イライラとかモヤモヤって形が無いから形にするために、誰かに聞いてもらって言語化してみると(できるレベルの心境ならばにあるのならば)自分がどんな思いにあるのかを把握するためには大切なのかも!

誰かに聞いてもらうというのは、聞いてもらうためには言葉で伝えなきゃいけないから理性的に思考を働かせて感情を整理する作業がどうしても必要だから、その作業の過程で自分の感情を自分でも正しく理解するためにも田井せつなステップなのかも。それで運河よければ解決策を授けてもらえるかも。まーだから話を聞いてもらえる相手がいるだけで結構問題は処理の方向に向かっているのかもねー


柔軟性を持った私たち
見てろ明日はトップランカー!ww


もうダメだと全てがイヤになって
逃げ出そうとした時も
思い出せばこうして沢山の支えの中で歩いてきた




重ねた日々が導いてくれる


情けは他人の為ならず=偽善

ぜーんぶ自分へのリターンを期待する事が唯一、優しくなれる方法かーもねー




答えを探して旅に出たいなぁとか思ってみても
答えなんてすぐ傍らにあることを、なんとなくわかっていても遠くにあるはずだという逃避行を繰り返すんだよなーまぁリラックスも必要だから無駄な時間だとは思わないけれど、どんなに遠くに行っても結局答えは自己内にあるんだなーどこまでいっても自分からは離れられないー

これだこれ、と私は思う。私の欲しいものは
自分の体を空っぽにして彼の感じている全てを容れる容器になりたいのだ。

そして彼の感情を自分のもののように味わうこと。私が求めていたのはこれなのだ。
だから私は彼のそばにいるのだと、と理解する



何をしてもしなくても、彼から逃れるのは無理なのだと悟った。

体の中には常に彼が居て住み着いている、
気配を感じずにはいられないのだ。

不安感はいつの間にか足元を浸し毛細血管を通って静かに全身を駆け巡った、


血液のなかに嫌な虫を飼っている気分だった、
その虫が内蔵やら筋肉やら骨やらたくさんの卵を産み付けているようだ。





出産はスッキリするわよ。自分の中の嫌なものを子供が全部もってってくれなし、
良いものは倍に残してくれた





全てを明らかにしないでおこうという、自然な沈黙を共に守り続けられるのは互いに信頼する仲間だからだそれぞれの欲求を果たし合うような利害ではなく相手の存在に触れる純粋な喜びなのだ





健康な心とは自分には多くの可能性や選択肢があるだとマイナスの固定観念に縛られずに感じられる状態

心の病とは思った通りにいきられなくて困っている


自分の生き甲斐をはっきり認識させてくれる潜在が

現代社会には必要=精神対話師による積極的傾聴。



相手に寄り添い話を全て受け入れ気持ちに共感して相手が自分を

まく整理して問題解決に向かえるように手助けする




原因を理性でわかっているのならばそれはトラウマではない。トラウマとは理性で気付いていない部分、わかってあげられないところで起きているから。理性で分かっていたら意識的に努力してとっくにトラウマを解消している







コンプリメント=誉める労う=相手が認めてもらいたい部分を適切に観察読み取る!

人と人とのつながりというものは関係が終わってしまえば化石ほどの値打ちもないと思い知らされる。どんなに深く知り合えたとしても。

これくらい普通だ、いちいち気にしてはいけないと自分自身に言い聞かせて無理に笑ってやりすごしたり心の苦痛にじっと堪え忍んでいる人が大変に多いのでは

思春期やせ、拒食症の根底には自己愛的アイデンティティーをかけた絶対的な痩せが自己愛的に固執されている病態。であるのかに対し近年増加している移行型過食嘔吐は恐怖に対する昇華としての意味が隠されている

笑えなかったら笑わなきゃいいんです。沈んでたら沈んでいればいいんです。一番ダメなのは、無理やり自分を変えようとすること。笑いたくなる時は必ずくる。動きたくなる時は必ずくる。それをゆっくり待つこと、今の自分に付き合うこと、今の自分を認めてあげること。それが大切ね。




女は浮気しない、っていう幻想はどこから?むしろ経済的に自立してて、自分で責任がとれるようになればなるほど、浮気しやすくなるじゃんねー?浮気はね、一回したらやめられないんだよね。背徳感が恍惚に変わる。麻薬だよね。




事実なんてない、あるのは解釈だけだ。