生きる意味が分からないくらいで死にたいと思うのは純粋だから

普通、人は欲望を満たすために生きている。

純粋すぎて生きている意味を真剣に求めすぎてしまうと自分を追い詰め、

ひきこもり、精神疾患、最悪の結果に至り兼ねない


他人より自分を傷つけてしまうし

何かを傷つけて犠牲にしないと私たちは上手く生きれないのあも
















人は誰しも自分は普通以上だと思っている節があるから、あなたは普通の人以上に人に気を使うとか言われると、この人は分かってくれると思ってしまう。ここに占い師のコールドトーキングの秘密がある。最近、金銭トラブルがありますね?とか誰にでも当てはまりそうな質問で。借金じゃなくてもモットお金あればなぁって思ってるよね??


美人は撫すと同じ土俵に立つことはプライドが許さないので譲る。

ブスは美人と張り合って負けたくないから応援するという形をとって自分を守る


レストランはいいけどお惣菜は女の敵かも、って、なんか艶っぽい////






痛みを痛みとして認めなければなかったことにできる

感じないように認知しないようにという防衛反応が精神病なのかも

精神疾患は命を守るために現われてくれる













努力するのが苦痛ではないことが何かひとつでも見つかると人生が豊かに。

そうすると、人と比較しなくなる









先天性だったらと羨んだ事もある、

その人たちには障害者としての枠が用意されているから。










大抵のものは本当に大切な人には供給されない。ゴミとして捨てているものを宝物だと思える人には届かない。













影で響く力、あなたの知らないところで、あるいは影響されている本人も気付かないところであなたの影響力がささえになっているよ!


戸惑うことに時間を費やすことを無駄だと思っている人が最近多いらしい。まぁすぐけっかが出ればらくなんだけどさぁ大抵の事は、ドレも正解でドレも不正解なんだよね。正解にチェンジさせていく作業を努力と呼ぶのでは






心が変な状態を受け止めるのが恋、変な自分を受け止めるという、果てない地味な作業を乗り越えたときに初めて、きっと相手にも届くよ


負担だ重荷だと相手に配慮して抱え子でいることでも相手にとっては頼られて嬉しいという実感として感じられる重たさかもしれないよ




相手をだます → 良心の呵責に悩まされる

自分をだます → 心体の不具合を引き起こす







日が昇って何かが起き、月が出て一人部屋で孤独に耐える

そしてまた日が昇る。そうやって明日というプレゼントが造られて行く






私たちはスマートにいきたいと思っている。良い部分だけに焦点をあて、良い部分だけを表に出して生きたいと日々努力している。だが、きれいなライフなんて、どこにもない。ギタギタで汚くてドス黒い感情や思惑、裏切りやだましなど、濁っている世界に居る。そうやって私たちはライブ、生きている。濁ったライフを送っていくのが人間の姿






今を捨てると何も残らない

未来を捨てると今が残る、まぁつまり未来なんか勝手に訪れてくれるから

あんまり神経質にならずに目の前の事に集中しろって事!






形あるものは形無きものの影である







打ち勝とうと動き回るより、時機を窺いながら、ただ待ち耐える方が絶対に辛い

ただ、待つという作業は本当に孤独で辛いんだよ、動きたくなるんだよ








何かをすると必ず出逢うのは逆、向、追、そう風だ

風を感じる場所に居ないと私たちは腐ってしまう。何が?魂が、さ。


まずは壊すことから始める、触れなきゃ分からないこともある


太陽の光とあなたの泪で種は育つ




























自分ひとりが幸せになるんじゃなくて周りのみんなも幸せになって欲しいと思う気持ちもわからないでもないけれど、ちょっとそれは贅沢すぎるのかも。


人間は誰だって自分が幸せになるだけで精一杯なんだ、下手したら妻や息子の幸せにだって手を貸してあげられない。ただ、誰にでも幸せになる権利があると思う。


けどそれは自分は不幸でも構わないから他人が幸福であれば、それで良いという考えは、どう考えても不自然でしかないという理由で、そういう権利は誰にでもあるはず


人間は死に掛けたときは自分で自分を守るしかないし他人の事なんか本当に動でもいいんだって、そう思ったって全然構わないと思った(心の病を経験して)それは自分が一番大事というのとは、ちょっと違っていて、自分の命が脅かされている時、人は、とことん、自分勝手になっていいと思う。自分を守れて始めて、他人を心配する権利が得られるのだと思う


人間は自分というこの狭苦しい、別に面白くも何ともないような弱っちい世界から

どうしても抜け出すことが出来ないだ

だから、枠にとらわれないように、幸福は人それぞれのそういう折り合いの付け方でしかないんじゃないかな


形あるものは形無きものの影である








☆良い人間関係というのは誰と誰の関係であっても、与えているのと与えられているものとが相互で等しい価値を認識し合っている ー エリクソン










●あなたは安心して他人に頼れますか?頼られますか?




思春期は親の保護の下から巣立っていく準備をする時期です

そもそも自立とはどういうことなのでしょう


自分ひとりで生きていけることでしょうか…


親も子供も、自立という事を間違って解釈しているのではないでしょうか


親が子供に求める自立は一人でたってあるきなさいよ、という厳しいものです

子供は子供、そういう風に求めたら、自分ひとりで生きなきゃいけない

それが自立なんだと思ってしまいます。

しかし本当の意味は他者と安心して依存し合えることです

つまり、相互依存できるかどうかによって自立が決まってくるのです


依存というのは

「自分が望んだ事を望んだとおりに受け止めてもらう」体験の事。

「安心して甘えられること」といいかえてもいいでしょう


人は他人に受け止めてもらえているかどうか確認し、受け止めてもらっていると思える人には安心して依存することができます。そして他人に安心して依存できる人は自分も誰かから依存される、信頼される人間になりたいと思うのです。これが相互依存です


逆に言えば

他人に安心して依存することができない子供はなかなか自立することが出来ません


あなた自身はいかがでしょう。誰かに依存できますか。心から信じられる人は?反対にあなたを頼りにする人は何人いますか?


相互依存を適切に行えるようになるには


まず、自分自身が周囲に対して心を開くことです

人の善意を信じ、自分も他人から信じられる人間になることです


人間は相互依存の中で生きているということを、子供は親の姿を見て、学び取っています。

また、親が人を信じられなければ、子供もまた、人に心を許せないままそだってしまいます。親子関係というのはそういうものなのです


わが子が本当の自立、相互依存の出来る人間に成長するためにもまずはあなた自身が人との関係の仲でくつろげるような人間に成長するためにも人との関係の仲で寛げるような感性を育てていきたいですね


人間関係がどんどん希薄になっているなか、人によってそれはとても苦痛なことかもしれませんが、大事なことです











●劣等感と優越感はいじめと深く繋がっている













自尊心の低い子は自分を信じられないばかりか他人を信じることも出来ず人間関係を築くことが苦手になって生きます

子供の自尊心は親から愛されている実感を得られることによって育まれます

まずは子供の希望を満たしてあげること、そこから信じる力、自尊心は大きく育っていくのです


だから例えば、親に否定されてばかり育つと

自分も他人も否定するような態度をとってしまう



自分を好きになれない子は他人の事も好きになれません

自分よりも優れているものをもっていると自覚すると

それが劣等感に鳴り蔑みのたいしょうになったりします


ただ、その裏返しには優越感があることも見逃せません

ある部分について自分のほうがちょっとでも優れていると思うと優越感を持ち

逆に叶わないと思うような人の前に出ると卑屈なまでに劣等感を抱いてしまう。

その延長線上にあるのがイジメです


つまり、自尊心が損なわれるような育て方をしてきたために

自分を信じる力が弱く、他人の事も信じられない。劣等感が強い

だから他人を攻撃することに抵抗が無いのです


人間は他者と共感する気持ちがしっかり育たないと他者を傷つけてしまうことがあります

いじめる子供は基本的に人と共感することができません

そのために、自分より優れていたり劣っていたりすると相手に対し劣等感や優越感を感じ、それがイジメにはってんしてしまうのです



いじめの構造は全て、優越感と劣等感の裏返しの構造です

自分の中の常識・価値観を押し付け、相手にも同じ辞書があるんだと思って接するのは危険なのだなと言うのと、過去を詮索するのではなく、現在のその人の事を深く理解するには現在を構築している過去にフォーカスを当てざるを得ないということ、つまり話し合うこと、向かい合うことが不可避だということ




試験の合格通知が来た!結婚が決まった!就職が決まった!!耐えて努力した甲斐があったなぁ~…けど、この状況で、ツラい人がたくさんいるのにそんなことで喜んでいいのかしら、という想いが私の周りでは蔓延している。日本の方って本当に自己犠牲というか横並びが好きなんだなぁって、理解は何となく出来ても納得できない、不全感が。


きっと、この問いに集約できると思うのですが

「そういう罪悪感を感じて誰が得するのでだろう」ということ。


もちろん、日常の水準と大差のない生活をしていて良いのかな?なんだか申し訳ないな、色んな人が色んな犠牲を強いられて、自分を家族を犠牲にして闘い耐えているのに…、という思いがないわけではないのだけれど、私はそこまで悶々としていないというのはネジがユルイのでしょう。


でもなぜ、心配だぁ何かしなきゃと、過剰なまでのポーズをとるのかと妄想してみたところ、「喜ぶことで誰から非難されることを恐れているのでは」というトコロに行き着きました。

全力で否定したいという気持ちはお察ししますが残念ながら、その気持ちの過剰な溢れ出しは、ツラい状況の人たちを尻目に喜びを味わうことを後ろめたく思い、回避しようとすると防衛機能だと思う。あんな状況の人が居るのに、お前は自分だけ喜んでいいの!?という批判からの防衛。。


被害者の方々に対する申し訳なさではなく

そういう人たちがいるなかで幸せになるんってという周りからの非難

恐れているだけ、それが怖いのに

申し訳ないという感情にスリカエテ、

私はそんなに不謹慎でない、ちゃーんと慮ってるって自己正当化をしているのでは。



かに偽りの犠牲感によって

ちっぽけなプライドは護られるけどそんなことでは誰も救われない。

被災地の方々はお腹をすかしているからオレも断食だ!って3食の牛丼を我慢すれば1000円の義捐金を送ることは出来るから、確かに効果があるように感じるけれど、断食をして、その人は日常や経済活動を食べているときと同じ水準に保てるのでしょうか?


その犠牲間によって仕事に身が入らずお金が入ってこない、家族も食べれない、感情の起伏が激しくなる、まぁそんな人間の絆はそんなに単純なものではないと思われるが、そういうことがもし起きてしまうとそれは、自今満足的な犠牲によってひきおこされる二次災害に他ならないのではないだろうか。それで被災された方は心から感謝してくれるのだろうか…。


だからさぁー、思いっきり喜んだらいいって思う。


だって幸せっていう感情を、、滅多に感じられない感情を、感じることに罪悪感を感じてしまうことほど、不幸なことなんてあるのでしょうか。きっと、ピンチな時ほど人は強く、日常を感じ感情を正常に持っている自分を感じることが大切だと思う。そうして気に掛けながら、祈りながら、日常を維持していくことがありていに言えば被災されたに負担をかけない方法のではないだろうか


思いや願いは届くらしいですからね♪























だからせめて

こわいよねーつらいよねーと受容を。

怖いよね、不安だよね、とか節約してエライね、とか


行為の貢献度に関わらず

その行為そのものを行動した人の思いを受け止め、受容したあげてほしい


怖い体験をした方はそれを誰かに話してください。

話を聞く方は「怖くないよ」ではなく「怖かったねぇ」受け止めてください。

できれば手を握ったり抱き締めたり。

怖いという感情を受容し、許可してほしいのです。


今できる最善の事です。


もっと大変な人達がいるのに自分は情けない。何も出来なかった。と思うことからPTSDになる人がとても多い。そんなことない。皆怖いし無力。ショックを受けて当然。自分を責めないで!自分に優しく














しかしやっぱり、そういう犠牲感、助けあい、いわゆる和の精神がなければもっと壊滅的な被害が起きていたのではというという懸念は拭えないので、日本の精神って結構すごいのかも。外国の方もポジティブ評価ですしね




でも、助け合いの精神は大切だし重要なのだし助け合い、相互扶助の精神は誇れることなのかもしれないけれど、疑問符が付くのは犠牲間が自己肯定に使われていることが何か日常での肯定感が満たされていないことの象徴であるような気がする






























被災された方々は勿論、そこにいる方と一人でも繋がっている方々のツラさや不安に対して心よりお見舞い申し上げます      


以上

翼の折れた天使たち 空/Yoshi
¥1,200
Amazon.co.jp
















☆与えること



人が生きていくために求めるものー


それはときにお金


それはときに、夢


ときに愛


でも、

それが叶わないとき


人は誰かを責め、嘆き悲しんでしまう



でも、気付かなければいけない

求めるより与えることの難しさを。

与えることの苦しさを


そして、何より大切なことは

自ら人に与えてみることだろう


きっと、求めるだけでは

気付かなかったことが、あなたにも


みえてくるから






☆たいせつなもの



人は目に映るものを信じてしまう

それは分かりやすいものだから


人は目に見えないものを疑ってしまう

それは、心の中にあるものだから


疑うということは

その心に期待している裏返しでもある


そして時に人は生きているうちに

大切なものを見失ってしまう


でも本当に大切なものは

きっとすぐ身近なところにあるもの。


まるで空気のように見えないけれど

たしかにそこにある



大事なことは少しだけ立ち止まって

自分の近くを良くみてみること


きっと

大切なものが見えてくるから







☆本当の姿



自分を変えるのは、とても難しいこと

自分を変えるのは、とても勇気がいること


でも、気付いて欲しいのは

本当は何かにかえるわけではなく

本当の自分になるだけだということ


そういうものが自分にあるからこそ

変われるのだから



そして「変わりたい」と思えることは

心の中に本当の自分が居るということ。


そして本当の自分が居る限り

きっと、いつか変われる、戻れるはず



そして、もう一つ大事なことー

それは自分自身を信じること



決して自分の心を自分自身で決めつけてないこと

決め付けてしまうと、




本当の自分が見えなくなってしまうから









・聴く事

子供は自分の中に答えがない(解を予想していないから)

まっさらな気持ちで相手に質問し、その回答を受け取れる=どれだけ相手に興味を持てるか

期待と反する話や態度と、

自分の意思に反することや認識にギャップがあることは

基本的に人は受け入れにくい→

聞いてはいるけど聴いてない(右から左え~)

他者に反応するということは自分の中に意識があるということ

解決ではなく話し自体を決着させる=気持ちを受け止めることも大切



メンタライゼーション →


自分自身や自分にとって大切な(愛着対象である)他者の気持ちの中で

起こっている事(気持ち、感情、意図、葛藤)にしっかり気付き、概念化する心的機能の事




クライアントがセラピストを喜ばせる為に

未解決の問題も全て悩みがなくなりましたと偽りの日常を語り

それをセラピストも喜んでしまうという心理


つらいこと、不安な事があったら

子供は不安を語るはずだ、訴えてくれるはずだと勝手に期待している大人が多すぎる

精神的苦痛については語りたがらないものだ

問題を見ないよう、感じないよう、抱え込まないように振舞うことに必死で

起こった事象も感じないことでなかったことにしようとする防衛機能を無意識に働かせて

心と体を守ろうとする

不安を直視しまいと防衛機能を働かせていると

ときに、やっかいな行動(暴力・攻撃化)にはしってしまう

スポンジケーキ=半分空気

FF店=氷を大量に入れてカサ増して原価率抑制(Sイゼでも一杯15円くらいの原価なのにねw)

大衆一般薬は医科処方の廉価版(トウモロコシでんぷんが50%?)だから研究開発費は0に抑えられていて薬効は薬1錠の1%くらい。つまりドル箱。DSは食品で呼び寄せて薬でガッチリ!




あるがままの心で生きようと願うから

人はまた、傷ついていく

あるがままに

大事に大切なモノだけを護りたいはずなのに

助け合いの精神とか、もっと辛い人が居るからとか

そういう義務感が

ありのままに生きようと、生きたいのじゃまして

人の心を蝕む

だから、また傷ついていく

日常が与えてくれていた安心感って本当

実は有り難い感覚だったんだなぁ。

何か無いかなぁなんて、ちょっとしたスリルと痛みを求められるのは、

日常という安心感に包まれていたからなんだって。

日常の尊さと意味を知る。

まぁ、こんなことでも起きないと、そんなことにも気付けない自分の情けなさも痛感するわけだけど。。。

罪悪感がハンパない><

飲食物で困っていて

命を救えるはずの材料なのに

カショオをするための材料としか見れなくてムダにして。

いつも思ってるけど日常だと何となくムダという感覚も麻痺してるけど

有事の時は己の無力さ、無価値感、を痛感

むしろ、居ない方が世界のためだと改めて思う

消えたい。誰か、救われたい命と取り替えてください><





摂食障害で護る人も護ってくれる人もいなくなった

本当に心から心配する人も心配してくれる人もいなくなった

自分の事もできてない人間が他人を慮るのは間違っているかもしれないけれど

それでも、きっと、人間は、いや私は誰かを心配したいのだと思う

一人なら自分のみだけを護っていればいいという気楽間はあるのかもしれないけれど

それでも誰かを心配したい。というかもう、自分のためだけの人生は疲れた

というか、正直に言うなら

もう、自分の事なんか投げ出したい

投げ出して何かに依存して自分の意識なんて

もういらない!何も考えたくないし何も感じたくない

病気なんて置き去りにして誰かに感謝されて存在を感じたい

痛みや症状だけが

ここにいる証拠なんて、もう疲れたし無力感でいっぱい

残念ながら精神疾患は擦り傷とか切り傷みたいに

簡単には治らないよ。


密かに静かに苦しみが溜まってコップが溢れて

身体症状に発展する。




ながーい時間、人間の防衛本能が働いてきたのに、

それを超えて罹患したのだから、傷つけられた心と体は

そんなすぐには癒されないよ


〈br〉

〈br〉

でもさー一つ一つ階段を登って、

やっと新しい日の目を拝めると思ったら

、また自分に裏切られてまた孤独になって、


どれだけ耐えろっての?



確かに精神疾患になるくらいだから我慢強さには自信あるけど

何もご褒美の無い耐えるという好意は本当シンドイ。


サウナだって、発汗して新陳代謝が良くなるわけで

見返りというか何の為にとか、何で私がって思いたいよねー




〈br〉

〈br〉

病んで書く、表現の為に病む、

病める時病めれば病められる

何か信号にならないけど

留めて置くのは辛いよー

という身体からのサインなのかもしれない

〈br〉

〈br〉

潜伏期間、表に現われて期間を含めても

病気を受容してからの期間は差があるけれど

受容しないで治そうとしていた時間は

苦しんだ時間であって治癒の為に使われた時間には

カウントされないのかな?

バケツに穴は開いてたけれど

それでも水を溜めようとしていたのは事実だから

神経は磨り減っているのに費用対効果については

浮かばれないなぁ

まぁ受け入れてからは

回復の速度は考えられないくらい段階が濃縮されているのけれどね

それでもなぁ

だれかの為に

生きているのか、誰が認めてくれるのか

絶望はイチイチ辛い

行けると思ったのに結局、たまたま良かっただけで

むしろ人並みの標準には到達していないのに勘違い

そしてまた落とされる

〈br〉

どれだけの屈辱というか

役立たず感、自己不肯定感に

押しつぶされて小さくなって死にたくなって失敗して

いつのまにか、劣等感の中でしか生きられてなくなって

妙な気を遣う様になって言いたいことも結局言えなく

叶えたい願いとか病状によって意識の奥底に追いやられて

なんのために呼吸をするのか分からなくなって

終わらせたいと思っても、やっぱり症状のループの中で

症状を中心にした時間の流れで振り回され

何をしたいのかというより強迫観念の生活をただただ繰り返して

良くなる感覚なんて全く無くて…

こんなば続けば何かをしたいなんて思えないし

誰とも会いたくなし誰も会ってくれないから

孤独を望んだフリをした寂しがり家は

ますます一人の世界に固まって誘われている

傷ついた数だけ優しくなれるというのなら

優しくなんかならなくていいから

そろそろ解放して欲しい

〈br〉

もういいんじゃない?

まだ、ダメ??

この期間の時間の存在を

意味づけできるようになるまで

私は苦しみ、耐え、周りの犠牲を伴って

仲良くしなきゃならないんですね

何を望まれているのか

それを見つけるまで

病む世界を大切に進退していきます

ほんとーにたまーに

いい事もあるよね

きっと健常者の日常に溢れているような

良い事が

それを良いことと捉えられるのは幸せだよって

そんなの可能なら味わいたくないよね

もっとレベルの高い日常と

レベルの高い幸福の基準のまま

過ごしたかったよね

普通の尊さと意味を知る

相手に受容的・共感的な感情で向き合うということは

相手を人生の主人公として、主体として、個人として尊重するということ


カウンセリングを受ける人が増えるのは

日頃から感情ルールに従って一生懸命感情を造って生きているのだから

自然な本来の感情をどこかに置き忘れてしまって

自分がわからなくなっているような人が増えているのではないでしょうか



最近の若い人たちは

自分たちの人間関係は嫌なことやしんどいこと、つらいことは排除した

明るく快適なものでありたい

そんな風に問題を排除するような「いいとこどり」で薄っぺらな人間関係が

現代社会の中でとても際立っているのでは


しんどいことやつらいことを排除せず、自分たちの人間関係の仲に抱え込んで

一緒にしんどさやつらさを解決していこうという

懐の深い人間関係が失われているのだと思います




カウンセリングを語る―自己肯定感を育てる作法/高垣 忠一郎
¥2,100
Amazon.co.jp



欠乏動機→差異動機


皆と違ってもいいんじゃないの → 


みんなと違ってなきゃ、個性的でなければダメという強迫観念が





自己実現社会は

一皮むけば人材として欲求される能力を次から次へと学んでいかないと

捨てられてしまう社会。だから生涯学習というか捨てられないために頑張ってね、みたいな。。。





今、良い子の枠の中に自分の心を閉じ込めて

一生懸命生きている、そういうしんどい生き方をしている子供がイッパイ居る

そのしんどさが登校拒否や摂食障害になってあらわれたり

リストカットなどのイロイロな問題になって現われます


ですから

そういうカウンセリングの場合は

社会や学校のシステムの中に

子供を適応させるというよりも

子供たちが過剰にシステムに適応するために

知らず知らずの内に抑圧していたその心を解放していくのを手伝うのです



心の悩みの

ただ一つの本質的な要因は

思った通りに生きれない!

これに尽きる!!

トラウマの本当の犯人は

言いたいことを理性的な判断であろうと思って決断をした

自分を裏切った自分自身だった!

プロカウンセラーの「心理の達人」マニュアル/前田 大輔
¥1,470
Amazon.co.jp


現代の人間社会の中での欲求での欲求成長過程、最も難しいのは

自我の欲求→自己実現の欲求の移行です。

基本的に人間は

自我の欲求で終わります

仲間ができ、組織ができ、リーダーになった

その次に、何があるというのでしょう

定年退職してウツになる人たちが典型的です

自分で自分の人生の目標を決めないで

会社に決められた仕事や作業のノルマをこなすだけでの毎日を送ってきた証拠です

その証拠に、ご苦労さん、もう来なくていいよといわれると

どうしていいかわからなくなる

ただ、自己実現というのは

それほど大げさなことではない

簡単に言えば

オレはこれでいいんだ!という達成感があればよい

人間が最後に求めるのは

自分が信じている自分だといってもいいかもしれません

地位や名誉やお金などを手に入れることではなく

自分がなりたい自分になる

自分がそのレベルになる、その状態の自分を目指す、といった心理状態のこと

自己実現とは端的に言えば、他人に左右されない自分を見つけるということ!

人の心を理解する、というのは

その人が何を欲しがっているかをわかってあげること

全ての行動派何かを期待することから始まる

相手の望むこと、恐れることをすばやく把握すれば

円滑なコミュニケートが!

他人の自我状態を分析するときに

注意しなければならないのは

まず自分自身がアダルトであることを確認することです

冷静に、事実に対して正しくて分析できるからこそ。。。

世の中には相手にお世辞を言われていれば

少々損してもかまわないという人間(ペアレント)がいる

このペアレントとチャイルドが望むものは現実以外の尊敬であったり

お世辞であったり評価で合ったりする

一方、アダルトの最大の関心後とは現実です

あくまでも事実に基づき、現実を重視します

可能か不可能化、手に入るのかはいらないのか

それが一番の関心ごとなのです

現実のトラブル、不能率、判断の間違いや損失、そいうものを非常に恐れる

ペアレント…優位に立つこと、一目置かれること

チャイルド…人気者になって好意を持たれる事、恐れるのは嫌われること、相手にされないこと

アダルト…目的を達成すること、目先の感情に左右されず儲けたい、得したい、そのために冷静な思考を。。

責任の取り方について

P…権威的であれが自分が劣勢になることに強い恐れがあって責任転嫁を

C…争いが嫌いなので責任問題そのものを回避。責任?そんなのいいじゃない、わざとじゃないんだし!

A…誰が悪いかよりも、何が原因だったかを考え、責任の所在を明確にしようとする

子供はお母さんが大好きだ

だから子供はいつも親の事を気にして生きている

お母さんは元気だろうか

お父さんの機嫌は良いだろうか

私は親の役に立っているだろうか、と親に必要とされているかどうかを。。

子供にとって親は

子の世界で自分守ってくれる唯一の存在である

だから大事にしたい、なんでもいいから役に立ちたい

笑顔を返す、学校で楽しかったことを報告する

いい子にするのは精一杯の感謝の印である

12さいの頃までは子供は無心に親を真似て、生き方を学び

それに従っていくし親を信じて疑わない

全ては親は基準である

それはやがて大人になって生きていく時の

大切な心の基盤となる

しかし親も完璧なにんげんではないから

気持ちの偏りや悪い心、嘘、つらい気持ち、間違った生き方を抱えている

子供はそういった親の心の矛盾もまた無心に、まるごとコピーする

親の心の矛盾がそれほど大きくなければ

子は幸いである。コピーした生き方は辛いものではなく

心の矛盾にも大して煩わされること無く

親の庇護の元で安心して自分の興味を広げ、能力を伸ばしていくことができる

一方

親の心の矛盾が大きいと

それを取り込んだ子供は親と同じような苦しみを生き始める

もちろん、子供は無理なことを教えられているとは気付かずに、それに従う

親に教えてもらった生き方が間違いなど無いと思っているから

しらずしらずのうちに我慢を強いられてるとは思いもしない

それがあまりにストレスで耐えられなくなると

夜尿症、チック、などになって出ることもあるし

そこを耐えたとしても思春期に爆発してしまう事もある!

子は親を救うために「心の病」になる/高橋 和巳
¥1,785
Amazon.co.jp


生きなければならない。頑張らなければならない。

それは誰でも抱えている強い感情。怒りをも含んだ根源的な感情

辛い感情を背負っていると、その怒りの部分だけが強くなって

他の穏やかな感情が相対的に抑制されてしまう

怒りと他の感情の配分は

この世界に適応していくときに決められる

成人期になって配分が固定すると

そこから溢れた、感情と出来事の記憶、は意識の下に。。

途切れた記憶は失われた勘定である

子供は時々、変なことを覚えている

それはまだ

感情の配分が固定されていないからこそである

人が生き直す時

感情の配分が変わり、そぎおとされていた感情が復活し記憶が回復する

ずっと語られなかった自分の気持ちを言葉にする

自分の感情を聞いてもらい、認めてもらい、

自分がいることを認められるようになると不安と恐怖は弱まり、さらに、

自分がいてもいい、いきていてもいい、と感じられるようになれば

固い頑張りと自分を否定する気持ちは和らいでいき、子供からのメッセージがとどくようになる

母親は娘からのメッセージに気付き、

生きる喜びとそれを共有する確かな存在感を受け取る