3人兄弟の一番上の子どもとして
わたしは生まれた
ひとつ年下の弟はとしごで
弟が生まれたときのわたしの気持ちは
もちろん記憶にはないが想像できる
きのうまでわたしに注がれていた
母の愛情が別の赤ちゃんに注がれる
そのことをわたしはどうやって
乗り越えたのだろう
一つだけ覚えているのは
4歳から入園し2年間通うはずの幼稚園に
わたしは3歳で特別に入れてもらい
3年間通ったことだ
小さなわたしはとてもおしゃべりで
いっときもじっとしていなかったという
「それにしても、言葉の進歩はいつも
非連続的な性格を持つものであって、
これまで知らなかった語法が
習得されるときには、
一種の危機状態が訪れ、突如
ある分野の表現法全体が
一挙にでき上がってしまうのです」
〜メルロ・ポンティ『幼児の人間関係』
母の愛が遠くに行ってしまったと
感じたわたしは、
赤ちゃんことばを使うのをやめて
両親や周りの大人たちの言葉を
一気にマスターして
この危機を、嫉妬を
乗り越えようとしたに違いない
しかしこの話には
もっともっと大きな伏線が存在していた
今わたしはそれについて触れようとは
思わないけど
いつか話すことのできる日が来ればいいな
話は変わるけど
薬物依存症の自助グループなどでは
つながって3ヶ月くらいを目安に
ミーティングでの司会進行などの
役割が回ってくる
自助グループでの自分の立ち位置が
突然ステップアップしたように感じる
ミーティングで司会などをすると
今まで以上に仲間の話に
耳をそば立てて進行をコントロールする
こうして今までミーティングや
スポンサーシップの中で
聞かされていた言葉が
あっという間に
自家薬籠中のものとなるのですね
3日前に描いた絵
