薬物依存者と言ったって

いろんな薬物の使用があって

各々の薬物は固有の作用を持ち

また流行や法律も絡んだ社会的背景がある。

 

私が一番深入りした薬物は有機溶剤で

商品としては、接着剤、ラッカーシンナー、トルエンである。

これらは一般的に「シンナー」の一語で表されることが多い。

30年ほど前には自助グループにもシン中の仲間はかなりいて

覚醒剤の仲間とほぼ同じくらいの割合でいた。

しかし、時を経るに従ってシンナーの乱用者は減り始め

1995年以降は合法ドラッグ(危険ドラッグ)にとって変わり始めた。

手っ取り早く法律的にも厳しく罰せられないというのは

その薬物の流行にとっては必須の条件である。

シンナーにも危険ドラッグにも牧歌時代があったのだ。

 

シンナー依存症者は今では業界では、

絶滅危惧種、生きる化石ともからかわれ

 

私は笑ってごまかすがたまに穴があったら入りたい気持ちになる。

しかしながら自分が使ってきた薬物に

誇りを持てないのは「致命的」なのである。

 

保護観察所で実施してる薬物再乱用防止プログラムなどでは

その多くが覚醒剤事犯者で中にちょろちょろっと

大麻取締法違反の人たちが混じっているが

たまに毒物劇物取締法違反者(シンナーの人ですね)がいても

グループワークの中で自分がシンナーの使用者だとは

決して明かすことはない。

それくらい恥ずかしいことなのかもしれない。

使用薬物によってカースト制度があると仮定したら

最下層の薬物使用者がシンナー依存症だという自己認識を

当事者が持ってしまっていることが容易に想像できる。

私自身がそう思うことがあるからきっとそうに違いないと思うのだ。

 

シンナーと鎮痛剤の依存で精神科病院に入院した時、

「有機溶剤は機械の食物で、人間の食べ物ではありません」

と主治医に言われことがある。

覚醒剤にしても、ヘロインにしても、大麻にしても、お酒にしても

一応、薬物として製造されているのに

シンナーは、工業製品として作られたプロダクトであり

薬物としては「代用品」として使われるものだ。

また、その摂取の仕方が他の薬物と大きく異なる。

数時間、呼吸と共に摂取する姿が周囲に与える動揺も大きい。

 

実際にはシンナーの脳に与える悪影響は

覚醒剤どころではなく超ハードドラッグなのだが

「シンナー遊び」という言葉に象徴されるように

ティーンエイジャーがいっとき悪ぶってやる

お子様ドラッグであり

覚醒剤へのゲートウェイドラッグという

社会的位置づけが教育関係者の間でも

かっては浸透していた。

 

つまり多くの子供たちはシンナーを卒業していくのだ。

にもかかわらず、20歳過ぎても25歳過ぎても

シンナーをやめられない「大人」が手にしているのは

大人のおもちゃより恥ずかしい子供のおもちゃなのだ。

私の中にあったのはそういう意識だった。

 

自助グループにつながった時

私はこのような恥の意識、

自分を最下層民だという認識を持つことから

脱出することがまず最優先だと思った。

ミーティングで正直に話す以前の前提として

シンナーを使った自分に誇りを

持てるようにならなければならない。

そういうことだった。

 

野坂昭如の小説「騒動師たち」に出てくる

釜ヶ崎の騒動師たちはアメリカのサンフランシスコに渡り

LSDなんかで飛んでるヒッピーたちの前で

シンナーを吸いこれはジャパニーズL S Dだとのたもうた。

あの心意気だ。

必要あらば荒唐無稽な幻覚の話も動員した。

 

覚醒剤モデルに集約された

行政や病院で実施している薬物再乱用防止プログラムは

ますますヤク中マイノリティの存在を疎外化しつつある。

シャブもクサもアンパンも十把一絡げに「薬物」と

したところでそれぞれ違うものは違うのだ

人種が異なるように、薬物の種類ごとに

本来異なった薬物体験を所有しているのである。