卵胞ホルモンを摂取し始める前の私は
両性具有的肉体を備えた存在を
憧憬の念でロマンティックに思い描いていた。
だが自分がそういう体になってみると
男性と比べてみても
女性と比べてみても
中途半端な肉体だとしか思えない。
わたしは今の自分の身体が好きじゃない。
小説や写真集を見ていると
空想が広がっていって甘美なS Mも
実際のプレイとなると
空疎な感じなのに似ている。
手術をして傍目だけでも女の体になれば
戸籍の変更もできるし
社会的に女性として認められる。
でも
わたしは全身麻酔の手術が怖い。
女の身体になっても
自分が受け入れられなかったら
・・・・・
結局トランスジェンダーって
社会が作り出した様態であって
わたしの欲望の産物とは違う。
社会では男と女の間に1本の線を引く。
意外な場所で突然
ピンと線が張られると私はつまずき
いつも転がり、倒れる。
その細い線がぐるぐると首に巻きつき
挙げ句の果てにはそのまま宙に
吊られてしまう悪夢しか見なくなる。
そんなこんなとらわれに
しょっちゅう心を痛めていた矢先、
今朝、ダムタイプの古橋悌二さんの
昔のインタビュー記事を読んだ。
――自分のセクシュアリティの問題で
悩んでいる人に何かアドバイスするとしたら?
古橋 アドバイスなんてそんな大それたことじゃないんですけど、僕が言いたいことは、人間は「個人」なんだから、第一のアイデンティティにセクシュアリティをわざわざもってくることはないと思う。セクシュアリティとかは付随してるもんだから、レズビアンでもゲイでも、それが自分のアイデンティティだっていうふうに、盾をつくっちゃうんじゃなくて、それだとどんどん人間の壁をつくっていくだけだから。まず個人というのがあって、それに付随しているなかのひとつに、レズビアンとかゲイとか、職業とか、背が高い、とかがくる。だから、まず、個人の、ひとりの人間の身体というのを考えた方がいいかな。レズビアンとかゲイとかいっても、それは自分がつけた意味じゃなくて、社会がつけた意味でしょう。だからそういうのにとらわれているのは損。
雑誌「ブルータス」(1994年11月15日号)
自分の身体と
いつになったら
仲良くなれるだろうか?
また、わたしは第一のアイデンティティに
アディクトをいつも持ってくることにも
不自由を感じ出している。
このブログでは仕方ないのだが。
