姉が生きていた時は、“自死”とは、遠くの別世界の出来事のように思っていました。
そして姉の気持ちよりも、心の病を抱える姉といつも側で心の闘いをしてきた母の心配ばかりしていました。

姉を自死で亡くしてからは、姉の苦悩を自分なりに理解しました。
そして私はそれを母に伝えようと必死になり、それが伝わらないと今度は母を責めました。

そして自分のお腹に小さな命が宿った今、私は今度は娘を失った母が負ったとてもとても深い心の傷を、言葉に出来ない程の哀しみを、自分なりに分かり始めた気がしています。

母にもきっと思い描いた未来予想図があって、たくさんの夢もあっただろうな。

一人目の子を流産で亡くした母の元に来てくれた新たないのち。わたしのお姉ちゃん。

姉が生まれる時、父は職場から飛んで来て、無事に生まれた後もしばらくその場を離れなかったそうです。

まさかその先の未来で、その大切な娘が自ら命を絶ってしまうなんて想像なんてするはずもなかったよね。

たくさんの幸せ、歓び、希望がそこにはあったと思う。

でもきっと、姉自身もたくさんの未来を夢見ていたのだと思います。 
やりたい事、叶えたい夢、たくさんあったよね。

分かる、分かってた。
分かってたつもりだったよ。

絵を描くことが好きだったお姉ちゃん。
それだけでやっていくことは難しいと、わたしたちはいつも、否定するだけでした。
もっと色んなかたちで応援してあげられたら良かったよね。
亡き今、わたしは時々あなたの描いた絵に励まされているのだから。


母の夢、姉の夢…
途絶えてしまったことは変えられないけど。
お姉ちゃんの代わりなんていないけど。
わたしに出来る事で、叶えられないかな?

母の傷み、姉の傷み。
二人の傷み、私もいま心に刻む。
ふたりはきっと、そんな事させないと言うと分かっているけど。
自分と赤ちゃんの事を一番に考えなさいと言ってくれると分かっているけど。 

姉の妹であり、母の娘であり、母親になる準備をしている今。
母と姉、それぞれの立場を思うと胸がいっぱいになります。

母だけでなく、姉の大好きだった祖母や親戚もまた、心にたくさんの涙をしまい込んでいます。
姉から以前贈られてきた部屋の飾りを指差し、涙を流した祖母。

お姉ちゃん、いつも笑顔の、あのおばあちゃんが流した哀しみの涙はとても辛かったよ。

自分の中で“姉の分も…”と抱えて生きていく事は少しのプレッシャーでもあり、かなしく苦しくもなるけれど。
母や祖母の涙を、少しでも喜びの涙にかえられることがあるのなら、わたしは私に出来る事をしていかなくては。わたしは私の人生を生きていかなければ。

いつだって、姉を感じながら。

お姉ちゃん、
今日は十五夜なんだって。
うさぎのお団子買ったよ。
満月が好きだったお姉ちゃん。

樹木となって月を見上げているのかな?
それとも、今はもっと近くで見れているのかな?

でも今夜は、一緒に見ようね。