あの日 | ねこねこ にこにこ ~龍馬とねねと~

ねこねこ にこにこ ~龍馬とねねと~

ねこをなでて暮らす
ねこといっしょに
にこにこ暮らす

  毎朝ちゃんと家族を必ず玄関まで見送ろうと決めたのは
  あの日からだった

地鳴り 震動 激震
押し入れの襖がはずれ 中の物が雪崩のように飛びだしてきた
何だかよくわからないままに両脇に寝ていた子供たちを抱き寄せる
揺れというよりも
箱の中に入っている物を確かめるために振ってみる
そんなふうにされたような激しい震動

  子どもの生き方を
  遠くのゴールに向かって我慢させるようなものにすまいと思った
  あの日
  明日が当たり前のように来ることがあたりまえじゃないとわかったから

暗闇の中を懐中電灯を探しに行き
玄関ドアを開けたほうがいい、と思い玄関へ向かう
自分のうちなのにまるで自分のうちではない
暗闇の中を手探りで進む
どこからも光が漏れてこない暗闇

  理不尽なことは不意に襲いかかってくる
  その人の生き様なんておかまいなしだ
  その日の悔いはその日のうちに清算しておかないと。
  あの日から臆病で泣き虫になった

明るくなってから見てみると
私が裸足で歩いた床にはガラスの破片が飛び散っていた
子どもに家の中でとりあえず靴を履かせる
食器棚から飛び出した食器が割れて散乱し
金魚の水槽からこぼれた水
倒れた戸棚 落ちたテレビ
しばらく子どもを抱えてソファに座り込んでいた

でもやがて次々に報道される街なかの状況を見て
うちは家も壊れず けが人もなかったことが
どんなに不幸中の幸いであったかを知ることになる

震度7だった

電気はすぐに復旧したけれど
ガスも水も一ヶ月以上途絶えた
最寄りの駅に電車が通るようになったのは半年も経ってからのこと
周りはどんどん親戚などを頼って離れていく
2月になって再開された学校に戻った子は半分ぐらいだった

  子どもを亡くしたお母さんが
  呆然とつぶやく
  あんなに楽しく暮らしていたはずなのに
  悔いばかりが残る
  もっとああしてあげたかった、こうしてあげたかった・・・と


遺体安置所になった体育館
1000人以上のひとが避難していた小学校の校舎
日々、新聞に掲載され増えていく死亡者名簿
そこに見つける子どものクラスメートの名前・・・
見聞する様々な惨状

もっと何かできたはず
18年たっても思うことは同じだ

私は震災後1年ほどで
まだ日常を取り戻すために必死になっている人たちを残して
西宮を離れることになった
帰る場所のあることにやましさすら感じながら
そこで生きていかなくてはならない友人たちの笑顔に見送られた

もっと何かできたはず
その場を離れてしまったから
18年たっても、その穴は埋まらない

6434人の犠牲になった方たちのことは忘れないし
毎年1月17日にはそっと手を合わせなくてはと思う
でも、辛くて悲しかったことは
もういちいち引き出しから取り出して眺めるようなことは辞めよう。
色んな物を失ったけど
引き換えに得たものも沢山ある
それらを胸に刻んで。

あの年に産まれた子どもたちはもう18歳だ。


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