悩んだり、苦しみを感じて、いろんなことを、思いっきり罵倒したりもした日々が、続いた。
なんなんだ、と、地団駄踏みたくなるような、声を出さずに思いっきり枕に叫んだような日もあった。
自分を生きるってなんだよ、って叫びたくなったりもした。
味方なんて誰もいないと思った。
人を信じられない運命だ、
こんな運命だもん、そうだもん、と、不貞腐れた時間を相当過ごした。
一つの選択に、自ら終わりを選ぶことも、付け加えてた。
だけど、それは選ばなかった。
選べなかった。
きっと、命は決まってる。
そう思った。
真剣に向き合った、わたしの心との目に見える対話のノートは、数十冊になった。
早い時は一週間経たずに一冊のペースで、わたしの言葉を文字にした。
私たちは、知ってるのだと思う。
奥の奥の、奥の方。
全てがどこかで繋がってて、全てを知ってて。
だけど、そんなの、わからないし、確信持つことも、結局、何も説明なんてできないこと。
これからだって、色々あるだろう。
だけど、愛おしい。
わたしは、この世界が愛おしい。
それは、ずっと前から思ってたような気がするけれど。
腹立つことも、ムカつくことも、悲しいことも、虚しさを思うことも、喜びも、いろんなこと、
どんなことも、すべて、わたしである。
例えていうならば、わたしだった。
そこに尽きるのだ。
ずっと知っていたような、懐かしいような、そんな記憶。
全ては完璧だという。
どんなことも、完璧だと。
決めたこと、願いは、本当になるのだという。
ならば、どうか、優しい世界であるように。
幸せな世界であるように。
きれいごとと言われようが、なんだろうが、
理想は実現するためにある、それが本当だと思う。
理想を思い描くことは、未来を記憶から引っ張り出すことと、同じように思うんだ。
記憶を、現実に。
世界が幸せであるように祈る。
心より、祈る。
全ての人が、その人の幸せを生きれる世界でありますように。