はじめまして。わにといいます。つらいときにつらいと言えたらどれだけ気持ちが楽になるか、いつもそう思います。私は助産師で、妊産婦さんの訴えを「受け止めて、否定しない。」ということを心がけているつもりです。職業人として、自分の感情は表にださず、冷静に、いつもにこやかに・・・・。とは思っていますが、他人からみると全くなっていないかもしれません。





わにさん、はじめまして。
つらいときに、つらいと言える。それができればどれだけ楽なのだろうと思いながら、多くの仕事場では、逆に、本当の自分を出すことは許されないのでしょう。特に、助産師さんは、自分を押し殺してまでも、妊産婦さんを「受けとめ」、新たないのちを「見守る」ことが、常に要求されてきた仕事ですものね。

上司から頭ごなしに感情をぶつけられ仕事が左右されたり、医師に納得のいかないことを言われても、はらわたが煮えくり返る思いを我慢して、妊産婦さんの前では笑顔で!受け止めて!こんなことを何年も続けていると自分がおかしくなってしまいそうです。

感情を出すということは、必ずしも悪いことではないと思いますが、出し方やルールがあります。少なくとも、働いているひとりひとりを思いやり、受けとめることができない、そんな現場で、妊産婦さんを受けとめなさいは、やはり、無理があるように思います。
それは、受けとめられている自分だから、相手も受けとめることができる、と思うからです。



産婦人科医師と、助産師の問題は、話していくときりがないのですが、結局は、同じ現場にいながら、見ているものが違うということにつきると思います。これは、医師と患者でも同じです。だから、言葉もちがうし、生産的な話し合いができない。アプローチは違っても、せめて、同じものを見れるようになれればなあ、と、いつも思っています。

こういう状況というのは、まだまだ封建的な医療の世界では珍しいことではありませんが、今の時代、普通の職場だったらパワーハラスメントの典型ですよね。これまでの医療の世界では、それを耐え抜けることが、ある意味、美徳とされていたのかもしれませんが、やっぱりそれは、違います。
わにさんが「おかしくなってしまいそう」と思うのは、とても、自然なことです。逆に、そう感じられなってしまうことのほうが、心配なのかもしれません。

こんなことで助産師を続けていてよいのかな、と最近つくづく思います。

そう思うことも、決して、おかしくないですよね。でも、読ませてもらっていて、わにさんは助産師としての資質も、プロ意識も十分に備わっているかただなと、感じました。
日々、頭ごなしに押さえつけられていると、人は自分が何を感じ、考えているのかが、見えなくなってきてしまうものです。考えること自体ををやめてしまうものです。もし、あなたが、そういう迷いの中にあるのであれば、今の職場を離れることも考えたほうがいいのかもしれません。
でも、これは個人的な願望もありますが、助産師は是非、続けてほしいなあ。

自分がしっかり充実していないと、よいケアも提供できない、そんな気がしてなりません。人の話を聞くことはできても、自分の気持ちを吐き出すのは難しいし、本当に自分を受け止めてくれるかどうか見てしまい、結局発散できずに胸の奥に溜め込んでごまかしています。つらいと吐き出すのはそう簡単なことではないですね。

そうですよね。わたしも、そう思います。
ところで、わにさんにとって、自分が充実しているというのは、どういうことなのでしょう?
幸いなことに、わたしは今、充実していると感じますが、周囲からは「あいつは何をやってるんだか?」と、思われているようです。わたしはそんなに、強い人間ではないですから、「まわりにどう思われても気にしない」ということはなく、まわりの目はとても気になります。それでも、周囲に迎合することなく、わたしのままいれることのほうが、心地よいし、充実できることを知っています。
わたしにとって、充実しているということは、自分が見えているという状態です。だから、ひとも受けとめられるし、その違いも尊重できるような気がします。自分の意見や、弱さもちゃっかりと、うまく出せているのだと思います。



あなたが求めている答えは、かならず、あなたのなかにあります。こんなふうに、感じられる、わにさんです。きっと、迷いながらも、開けてゆくはずです。



お話しを聞かせてくれて、ありがとう             竹内 正人