よねすけさん、こんばんは

今日(11月29日)茗荷谷での研修を拝聴しました。
3時間以上に及ぶ講演を、真剣に真剣に聴きました。
つらい体験を寄り添い受け止めると、
対象の人が次に受け止める側になって下さるという言葉は
自分自身の経験にあわせて考え強く共感しました。

「赤ちゃんの死」の都の研修会。保健師さん、保育士さんが中心で、
200人近い方がいらしてくれました。
でも、3時間以上ですものね、話すほうはまだいいけど、
聞くほうはエネルギーいりますよね。
真剣に聞いてくれてありがとうございました。

今日の講演を受けて1つ先生にお伺いしたいことがあります。
「死産・流産をなかったこととはせず、
でてきた感情は受け止めていく」
私も大切だと思い、仲間にもそのような支援を対象に
して欲しいと思うのですが、「意味があるの?」という
反発を買うことも予想されます。
先生も、今日の講演の中で「写真をとっているときに何をやっているの」
と言われた時期もあったと話されてましたが、
反発を買った時、先生はどのように乗り越えられ、
自分の思いを信じつづけられたのでしょうか?
やはり、それなりの効果を求められる時代。
説得力をもって、まわりに説明するには、
どうすればいいか???
お返事をいただけると幸いです。

そうですね・・・ 
最初に自分が流産・死産のケアにとりくみはじめたとき、
周囲からあまり、受け入れられなくても、淡々とやっていたかな・・

産科医としての限界を感じていたわたしにとって
自然な流れ、自然ななりゆきで、このケアにたどりついたので、
説明はしても、あまり周囲に主張したり、要求したりするという
ことはしなかったと思います。



ただ、この領域は、みんなどうしていいのか、よくわからなかったし、
表面的な関わりしかできず、できれば、避けたいと思うところだったので、
わたしの行為が奇異に映っても、反発はあっても、そのままにしてくれていたのでしょう。



そんな風にしているうちに、関わらせていただいた女性、家族の表情がいつもと違う。
そんなことに気づいたスタッフがちらほらとでてきた。そんなところから、
少しずつ、皆の意識もかわっていったのだと思います。



うまく機能する、根づいていくのに大切なのは、理想論かもしれないし
時間はかかるのかもしれませんが、やはり、それぞれの気づきがあること。
皆がやらされているという意識をもたないことだと思います。

私は、新しいことに取り組むときは、説明はいくらでもするけれど、
説得してまで、やってもらおうという感覚はありません。
まずは、自分が信じて、本気でとりくむことで、その本質に気づいてもらう。
そんな意識を周囲にふりまくことができればと、いつも、思っています。



今もいろいろな取り組みに携わっていますが、だからこそ、
どんなことに取り組むかという基準は、それは自分のやりたいことなのかという
直感にたよっています。