私は病院を恨んだりしている訳ではありません。ただ、選択肢が欲しかった。「赤ちゃんの死」という、予想だにしなかった事実を目の前にして、私たち夫婦は知識もなく、ただただ病院から指示される通り出産しました。赤ちゃんの写真を残す、手形足形を取る、解剖をする等、もっと赤ちゃんに関することの選択肢が欲しかった。
そうですよね。よく、わかります。
ぷくさんが通っていた病院では、こういうことが起こることを想定していなかった。だから、自分たちでも、どうしていいのかもよくわからず、選択肢を示す余裕もなかったのだと思います。
このような状況に遭遇しうる大きな病院でも、誕生死のケアはまだまだ普及していないのが現状です。特に、組織として取り組んでいるところは少ないと思います。
ただ、ぷくさんと一緒に泣いてくれた看護師さんのように、助産師さんや看護師さんのなかには、関心をもってくれるかたが増えてきていると思います。
でも、無知であった私にも責任はあると思っています。一人の人間を産むという意識がとても低かった。赤ちゃんを授かる前の身体づくり、精神面での成長の無さ。病院側とのコミュニケーションをもっと取って、信頼関係をきちんと築いておくべきだった。そうすれば、今でも病院側ともっといい関係でいられたのではないかと思います。
どれだけ医療がすすんでも、残念ながら、私たちはすべての赤ちゃん、お母さんを助けることができません。日本は、確かに、妊娠、出産の安全性においては世界でも最高水準のレベルにきていますが、それでも、悲しみがなくなることはありません。これまでは、そういう悲しみは切り捨てられてきたんです。だから、医療者も「仕方ない」と、ここに向き合ってこなかった。でも、決してそれは「仕方ない」ですまされることではないと、わたしは思っています。
そして、今、そんな産科医療が崩壊しようとしてきています。残念ながら、もう医療者と行政だけでは、どうすることもできないところまできてます。産み場所がなくなっていく地域で、住民が行政に「医療の不平等」訴えて、医師の確保を叫んでも、医師の確保ができない状況をむかえています。
ぷくさんが言われるように、これからは、それぞれが、ひとつのいのちを授かり、生むということの意識が高まっていくことがかかせない。
そういう意識の高まりに、わたしたち医療者も正直に語り応えていく。そうやって、お互いの知恵出し合いながら、あらたな関係、信頼関係が築けてゆけないと、産科は本当にたちゆかなくなるでしょう。
医師も決して条件で働こうとしているわけではありません。逆に、条件をいくらよくしても、それは急場しのぎにすぎません。
産科は、本来とてもやりがいのある仕事です。こういう意識が高まっていくことで、燃え尽きてしまい産科を離れていく医師も減り、また現場に戻ってきてくれる。そして、新たに産科を選択する医学生も増えてくると、信じています。