昨日、週刊誌の読売ウィークリーからの取材を受けました。福島の産科医の逮捕、起訴を受け、今回、なぜ多くの医師から抗議があったのかを知りたいということでした。たしかに、社会に対し医師が、今回のように声をあげたことはなかったのではないでしょうか。
今回、最初に声をあげたのは既存の組織ではなく、「これは、おかしい」「警察や検察の暴挙を見過ごすすることはできない」と、各科の医師たちがインターネットで一気に集まることによってできた、勝手連のようなグループであったことは注目に値します。個の医師がこのような形で、自分たちの名前を公にしてまで、意思表示をするということは、大学の医局や医師会にまだかなりの力があった10年前には考えにくいことでした。医師の世界は、いい意味でも、悪い意味でも、他の世界にまして封建的で、以前であれば、所属する医局、教授の許可、医師会との相談なくしては、このような活動はできなかったと思われるからです。そういう意味で、あらためて医局の時代は終わったな、と、わたしは感じました。
今回、最初に声をあげた医師の多くは、逮捕された医師と同様、地域の現場で働くものが中心でした。
逮捕された医師はたまたま自分ではなかったけど、まったくをもって、人ごとではないからです。理不尽はたくさんあったけど、医局や医師会は、これまでは何があっても、自分たちを守ってくれていた。でも、今は、組織が個を守ってくれないことを、身にしみて感じているからです。患者さんとの良好な関係性を築きにくくなり(なぜだと思いますか?)、信頼関係に基づいた全人的、包括的(ホリスティック)な医療でなく、表面的な医療しか提供できなくなってきているという閉塞性を、年々、感じてきた医師にとって、今回のケースが通ることで、さらに萎縮した医療を余儀なくされてしまう。そうした中で自分の医師としてのモチベーションやアイデンティティーを持ち続けることができるのだろうか、と危惧しているからだと思います。
もちろん、医師の中にも、大きな温度差があり、声をあげるということは、そうした壁を知るということでもあります。さらに、医師がグループとなり発言することは、それが善意によるものであったとしても、逆効果になるリスクも高く、からまわりした善意や誠意の収めどころに苦慮している医師も多いと思います。
それでも今、声をあげずして、いつあげるのだろうか、と、感じる医師たちが、個のレベルで動き出しているのだと思います。わたしも、少し異色かもしれませんが、その中の一人です。
昨日はこうした内容を、膨らませ、記者さん(30台の男性です)と2時間ほど話しました。最初は、どうして?なぜ?だったのでしょうが、最後は、きっと、わかってくれた、お互いにわかり合えた思います。そう、信じています。わたしも彼と話すことで、いろいろなことを知り、学ばせてもらいました。今回の一連の報道は、先[2.産科医が逮捕されたのを受けて]の記事のも書いたように、当初は医師に対するかなりの偏見を感じました。しかし、徐々にメディアの伝えるニュアンスも変わってきています。同じもの書くにしても、書き手の意識、認識により、記事はまったくの別物としてひとり歩きし、伝わってゆきます。今回のわたしの話は直接掲載されないとしても、彼がどのような切り口で、記事を生み出してゆくのかを、楽しみにしています。ちなみに、再来週の月曜発売の読売ウイークリーに載るそうですので、気がついたかたは、ちょっと見てみてくださいね。