治療の中止を支持したとされる先生は昨日、新聞社のインタビューに、
「互いに強固に信頼し合う関係だったと思う。わかって頂けていると思っている」
信頼関係は形のないもの。(呼吸器を外すことに関しての)同意書にサインしてくれとは申し訳なくて言えない」と応えたそうです。



たしかに、これまでの医療は、目に見えない信頼関係をもとに、医師の裁量というものが暗黙の了解のうちに、認められていました。
現在、そんな不確実で透明性にかけた、医師の裁量など認められなくなってきています。



本来、生と死はとてもパーソナルなもの。当事者、個と個にしかわからない状況があるはずです。
さらに、安楽死、尊厳死、延命治療の中止の基準を決めたとしても、万人に受け入れられるものなど到底できるはずがありません。それなのに、その時代のコンセンサスをもってでしか、生と死を受け入れられないというのは、仕方ないといえ、窮屈だよなあ~と、わたしは思います。



状況が許すなら、自宅で生みたい、死にたいと思う人がますます増えているという話しを聞きました。
なるほど、そうだよな。それは、とても、健全です。