「坂の上の雲」
読み終えましたー
凄かったです
そして長かったです。汗
単行本全8巻は伊達ではないですね。
3ヶ月半もかかってしまいました。
(作家の恩田陸さんは昔3日で読んだらしいですが信じられないです😅)
この小説を一言で言うなら
「物語風 歴史書で勉強していたら、いつの間にか物語の中にいた」とかでしょうかー
いや
「歴史好きの物知りおじさんの長い話を聞いていたら、知らぬまに3ヶ月半」
とか😁
日本が明治維新を機に近代化を果たし、日清、日露戦争へと進む歴史
それを3人の個性的な主人公の青春を追いながら見ていくという話
最初は史実を書いている感が強く、分からない言葉も多く、調べながら読んだりして、大変だけど、3人の少年時代の話に和みながらなんとか読みすすみ、でも途中から、もちろん史実なんだろうけど、物語性が増して世界に引き込まれていく
同時に歴史の勉強にもなる
そんな感じでした。
ここから感想を細かく書いていきます
見たくない方はスルーしちゃって下さい
めちゃ長いです😅
まずこの小説
日露戦争の事をメインに描いていて
戦争を賛美しているようにも見えるけど
この時代には帝国主義が悪という常識がなく、現在とは価値観が違うと、作者は繰り返し言っているそうです。
書かれたのは
1968年-1972年でSNSなんかはなかっただろうけど、見当違いな批判をする人もいたんですかねー
この時代、世界では帝国主義が普通で、植民地になるか帝国主義になるかしかなかったそう。
そんな中ロシアは不凍港を求め南へ進出、日清戦争に勝った日本に対して、三国で干渉し、領地を採らせず(勝った物が賠償金と領地を取るのはヨーロッパでは慣例だった)
その数年後にはロシアが領地をとってしまう
その上対馬にきて
嘘までついて奪おうとしてきた
このままではいつか日本は属国にされる
それを防ぐ為
日本は、あんな大国に勝てるわけもないのに、必死に戦った防衛戦争なんだといいます。
さて
僕が思うこの小説のよさは
・3人の主人公それぞれが個性的で、そのこだわりや人生観が興味深い
・他の登場人物や、逸話として出てくる人物の話もおもしろい
・戦争シーンに出てくる戦艦や、武器を想像すると格好いい。男は萌えるかも
・戦争の残酷さを事実として表現している
・これらが資料や取材に基づいた史実であり、汎用性という意味で価値が高い
(資料の選択やその真偽、解釈によって歴史は変わるものではあるけど)
等です
そして
司馬遼太郎さんが強く言いたかったのは
先制政治、官僚政治の悪さ、悪いだけでなく、その脆さ。
後に日本陸軍が陥る
神秘主義の否定
根性とか小よく大を制すが好まれるけど、本来戦術は物質的戦力と人的組織、性能とか数字が大事だということ
日本の武士道の美しさ、それが残っていた時代の人々の素朴さ、人生の素晴らしさ
なんかではないかと思いました。
3人の主人公
主人公のうち僕が一番すきなのは秋山好古(あきやまよしふる)です
この人はかなり極端な人だったみたいで、服装は適当、履き物の緒が切れたら裸足で行け!といったり、戦闘中に前線で酒を飲んだりというような人だったみたいです
「おれは単純であろうとしている。余事というものを考えたり、やったりすれば思慮がその分だけ曇り、みだれる」
余計なことはしないで人生で何を成すか、だけを考えて生きていたみたいですね
それもあってか結婚には反対で、「軍人でも学者でも嫁をもらうと堕落する」「科学や哲学はヨーロッパの僧侶の中から生まれた」と真之に言っていました
まあ結局、本人も真之も結婚するんですけどね😁
彼は
貧乏な家でも、勉強したいが為に軍人になるのですが、仕方なくなったその道で努力して出世しました。地元の殿様に頼まれてフランスに着いていった時も、当時軍の先端はドイツだったからフランスでは😱と出世を諦めかけた時も、そこで乗馬術の優れている面を見つけ、後の騎兵になる道へと生かしていきます。
作戦は彼が考えぬいたオリジナルで
騎兵といえば、その機動力を生かして奇襲、ヒットアンドアウェイみたいのが定石なんだけど、日本軍のやり方、日本人の体格なんかを考えると勝てない
勝つために、騎兵なのに馬を降りて穴を掘り、当時日本では珍しかった機関銃を調達して防戦するという手法をとったそうです
この人柄は、かなり灰汁が強そうに思えますが、どこに行っても人気だったみたいで、清にいたとき仲良くなった袁世凱から酒を送られたり、戦前ロシアへ見学に行った時は、図々しく聞きまくり「あの岬にはどの程度砲台がある?」と聞いたときには相手が思わず本当のことを言ってしまったりしたらしい😁
晩にはロシアの騎兵隊達と酒を酌み交わし、「このウォルノフ程の騎兵適格者が日本に何人いるだろう?」と相手を尊敬し、「われ、快酔せり、なんと気持ちのいいやつらだ」親交を深めたみたいです
この騎兵とやがて戦場で戦うことになるんですが、それが悲しいとかではなく、ロシア騎兵には騎士道があり、日本騎兵には武士道があり、戦場での勇敢さを美しいと称える、そういう気持ちのほうが強かったみたいですね。
そして好古の弟
秋山真之(あきやまさねゆき)
真之は家が貧しくて、生まれた時に、寺へ預けられそうになりましたが、兄の好古から止められて家に残ることになりました。
ガキ大将でイタズラ好きで、母親をかなり苦労させたみたいですが、兄の好古にだけは頭が上がらなかったらしいです。
学生のころから頭がよくて、先生の過去のテストから出る問題を予想して、的中させたりしていたみたい😆友達からも重宝された
友人の正岡子規と共に文学の道を志したりもしたけど、家の貧しさ、兄好古の薦めもあって軍に入隊、
後に東郷平八郎の参謀になりました。
彼の発想も好古と同じくオリジナルで
物事の要点は何か?過去のあらゆる型を見たり聞いたりして敵の出方を予想する。
そんなものだったそう。
これは先生のテストを予想するのからきているんですかね😁
軍に入った真之は、
戦略に関する書を読み漁り、ブルーメの戦略論とか、マカロフの戦術論、山鹿流軍書、上杉謙信や武田信玄に関するもの、古い能島流海賊古法なんて海賊の本なんかも読んだそうです
それら過去のおびただしい戦例を詳しく検討して、原理を探し、今度はその原理原則に基づいて戦史を再評価、実戦を批判したりして、戦術力を磨いたみたいですね。
アメリカにいた時に、ちょうどアメリカ艦隊がスペイン艦隊をキューバのサンチアゴ軍港に閉じ込めたことがあって、真之はこれを分析、
後に日本軍がロシア艦隊に使った作戦のヒントに。
艦長マカロフ
スペインの民族性を勉強したりも。
スペインはかつて世界の海を席巻したけど、なぜ衰退したのか?
まだ誰も世界の海に出ていなかった時代、スペイン人の熱血で向こう見ずな性格がピッタリはまったから席巻できた。
でもやがて、他の国も世界へ出だすと、イギリス人の組織的な面が有利になり、イギリスが世界を牛耳ったのだといいます。
そういう民族性も、影響するんですね
驚きました😱
ちなみに日本人は対外的華やかさを好む民族だそうです。わかる気がする😁
こういうのは
他の学問とか仕事にもいかせそうですね
そんな真之の戦術論は認められて、軍学校の教官に選ばれ、元々真之の先生だった人が、生徒になり喧嘩になったり😁だいぶ引かない性格
色々あったけど、東郷の参謀に選ばれ作戦を任されます。
文学を志しただけあって
軍にはいってから、その文才に注目が集まったりもしました。
敵のバルチック艦隊を発見したとの報告を受けて発進する時に、大本営へうった電報の文が有名になったそう。
飯田という少佐が「敵艦見ユトノ警報二接シ合艦隊ハ直二出動、之ヲ撃滅セントス」という電報を打とうとしたら、真之がこれも付け加えてと
「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」この名文が生まれたそう。
このガキ大将の真之、意外と繊細さもあったのか、考えすぎたのか、靴を履いたまま寝たり、呼び掛けても目は開いてるけど返事がなかったり、かなりまいっていたようで、日露戦争が終わったら僧になると決意したそう。
(結局仲間に止められ辞めず、後に息子が僧になったとか)
これには、この戦争が奇跡としか思えない出来事もあって勝てた。そこから神の力を信じるようになったということもあったんだと思います。
で
3人目
正岡子規(まさおかしき)
なんて日だ!w
正岡子規は
わりと早い段階で亡くなってしまいますが、序盤、わりと静かな秋山兄弟にかわって物語に彩りを与えてくれました。
彼は子供の頃苛められて
妹のおりつに助けられるような子供でしたが、その精神は強くて、日本の俳句、短歌に強い影響をあたえました。
俳句の革新運動を行い、それまでは漠然としていた俳句の評価をして、世間で評価されていても、自分で駄目だと評価した俳句ははっきりそう言って、叩かれたりしました。
当時も人気だった松尾芭蕉の句
「五月雨をあつめて早し最上川」よりも
与謝蕪村の
「五月雨や大河を前に家二軒」
のほうが優ると言い衝撃を与えたそうです
たしかに僕も蕪村のがすきかな😁しらんけど
どうも写実的なものがよかったみたいです
「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」
これは正岡子規が病をおしての旅の途中で書いた俳句ですが、情景がそのまま浮かんできますよね。そしてそれぞれに感じるものがある
彼は
当時不治の病だった結核にかかってしまい、血をはき、布団で寝ながらもその活動を続けたそうです
真之や知り合いが戦争にいって
自分も行きたいと、無理して記者としていった日清戦争
成果はあまりなく、帰ってきたら大喀血してしまいました。
「喀血、その自分の衝撃と悲痛さを他人のそれであるかのように客観視してながめる強さをこの男は持っていた」
真之に語る時には、喀血の話をまるで岸辺にしゃがんで、水の生態でも写生してゆくような調子で語ったそうです。
このへんの悲痛さを客観視する目が、俳句を客観的に写生するという形に影響したのかもしれませんね。
他の登場人物
他にも魅力的だったり、許せなかったりする人物が多く出てきますが、何人か書きます
明石元二郎(あかしもとじろう)
スパイとして、ロシアを内部から破壊工作した人物です。
かなりかわった人だったみたいで、山県有朋と話していた時、熱中し過ぎて小便を漏らして、なのに気づかなかったとか😱
フランスにいた時「近頃わしは歯を磨くようになった」といったりw
この人に百万円(今だと2億五千万円)を渡して、スパイ活動をさせたそう。
長岡外史も「あの男に百万円も渡して大丈夫か?」と心配したけど、これが成功。
語学は得意で、各国に行った時、家にこもって語学を勉強したあと、その国の歴史を勉強。
最初はどうしていいか分からず
貴婦人に近づこうとしたけど、もてずに失敗。
革命家のとこに行って、偽名も使わず会いたいといったり、(殺されてもおかしくない)
でもこれがうまくいって、カストレンやシリヤクスに会うことができスパイ活動の協力をしてもらえることになりました。
レーニンにも会ったそう
歴史に詳しい明石が言うに
「ロシア史は、皇族と貴族による人民私有の歴史である」当時農奴の売買なんかも当たり前だったそう。
(この日とは琵琶湖で切りつけられて以来、日本人をマカーキ(猿)と言って憎んでいた)
そんなロシアに振興され憲法停止まで強要されたスウェーデンやフィンランドの独立運動家達が協力してくれたようです、
他にもアメリカのユダヤ人の富豪がロシア内部のユダヤ人差別(キリスト教に改宗しないと川へ落とす等)に抗議、金を貸すからやめてくれとロシアに言ってもまた繰り返す
そんな事から日本の軍費になる外債をかってくれたりしました
もちろんこんな国家では内部にも不満を持ってる人は多くて、その活動に協力することで、ロシアを内部から追い詰めようとした立役者だったそうです。
他の
気になる人物として
ピョートル大帝
この人は直接出てはこないですが、ロシアの逸話として出てきて、凄い人だったみたい。
ロシア君主なんだけど、子供の頃から機械いじりが好きで、君主であることをかくして船大工に弟子入り。(なんか映画みたい)
当時は命懸けだった仕事をして船に詳しくなり、航海術も学んだり、数学、鉄砲、砲術も詳しくなったんだとか。
この人のおかげでロシアはよくなったんだろうけど、その後の世襲の皇帝は、ただ血が繋がってるというだけで、二流、三流でもやめさせることができない。
先制政治はやはり脆いんでしょうね
あと
許せない人物として
伊地知幸介
乃木希典の参謀だったんだけど、この人のせいで無駄に何人死んだことか😡無能
ロシアの守る要塞化された堡塁を攻める時
要塞なんて大砲でつぶせるわ、それに日本軍には大和魂があって鉄壁をも溶かすんだって
(このへん、軍の認識も甘くて砲弾は砲一門につき、月50発でいいやろーって1日でなくなった)
正面突破させようとして、失敗
日本の旧式の大砲で撃っても敵のベトンで作られた堡塁は壊れないし、上から丸見えの兵士達は機関砲で撃たれて人肉ミキサーに。
1万五千人以上が死傷したのに
また2回目同じやり方で突撃
また五千人近くが死傷したそう。
これじゃ落とせないって、本部にもっと兵隊を寄越せと言ってくる。
無能!
そして海軍が、うちで使ってる強力な砲を使えと言ってくれてるのに、いらない、陸軍でやる、
だいちそんな砲を設置するのに2ヶ月かかるやん、俺砲の専門家やし、と断る。
また海軍が、203高地という高台を見つけて、あれを奪えばそこから全部を攻撃できるやんと言ってくれてるのに、いや やらんという
頑固!
何回も言われて
じゃあ余剰があるなら攻撃してもいいと
中途半端に203高地を攻撃して、敵にこの地が重要だと気づかせてしまって、警護が堅くなってしまう。
あほ!
で
同じ感じでまた攻めて、敵が強大になっていて、また兵隊が大量に殺されるっていう
さらには
毎月26日に攻撃して敵にバレバレ
その理由は、導火線が1ヶ月たつと風邪をひくから 前に突破できて縁起がいい、26は偶数で割りきれるから
ばか!
自分は
前線からめちゃくちゃ離れた位置で作戦たてて、見にもいかない、
機関銃ってすごいらしい
報告できくだけ
聞いた内容で地図の上に見方の情報を書いてるから、同じ部隊が2個いることになってたりして😱
結局
児玉源太郎がやってきて
伊地知を恫喝「無能 卑怯 臆病 頑固 鈍感 無策」
といい
乃木から指揮権を借りることに
児玉指揮のもと
海軍の砲を設置
2ヶ月とかいってたけど、1日で設置
砲で部隊を援護しつつ攻撃
203高地を一時間二十分で占拠、
そこから旅順港に隠れている戦艦をうち、真之らの戦艦の仕事を助けた。
児玉さんかっこいいんだ
この人の事も色々書きたいけど、長くなったんでやめとこう。
それにしても
こんな無能に命令されて、死んでいった兵隊達、言うこと聞きすぎ。
この時代の人はわりとそうだったみたいですね
他に
寒くて凍ったおむすびを食べながら、眠らずに歩き、そのまま戦闘したり
撃たれながらも、なんとか敵の塹壕にたどり着いて、目を指で突き刺されても、敵の喉に噛みついて絶命したり
沖縄でバルチック艦隊を発見して、それを伝える為に命懸けで船を出した人の話もあったんですが、
国家機密だから他言しないようにと言われて、なん十年も黙ってたんだとか。
名声のためでも金の為でもなく、言われた通りに命をかける、ちょっと心配になっちゃうけど(^-^; 素晴らしい人格です
そして
戦闘シーン
正直陸軍の、北方の戦い 遼陽とか奉天の戦いは分かりにくかった
地名が中国で分かりにくいし、互いの軍隊の種類も人物も多すぎ
軍 軍隊 師団 旅団 それがいくつもいくつも😅
時にこっちの軍のこの旅団が臨時でこっちの軍にーってワケわからん😱
地図もついてたけど、何回か読まないと分からないと思います。
それに比べて
海軍の方はまだ分かりやすく、なかでも興奮したのは最終決戦バルチック艦隊との戦いですね。
「タタタ タタタタ」
という暗号が送られてくる
「敵艦見ゆ」という意味だ
「はじめて近代的艦隊が、互いに全滅を賭して戦う決戦
木造の帆船をもって行われた過去の大戦トラファルガー大戦とどう違うのか、世界が注視していた」
三笠から大本営へ電報
「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」
「敵艦見ユトノ警報二接シ合艦隊ハ直二出動、之ヲ撃滅セントス」
撃滅、こんな大げさな表現は滅多に使わない東郷が明治帝に言った言葉だという
一艦でも残すと あとあと陸軍への補給に困る
全部沈めなければ勝利ではない。
その覚悟から出た言葉なんだろう
目標地点に早く到着した三笠のところに
敵のバルチック艦隊が団子になってやってくる
先頭は旗艦スワロフ
距離は見るまに縮まる
9000…
「時間と空間が次第に圧縮されてゆく。刻々縮まってゆくこの時空は、この日この瞬間にだけ成立しているものではなく、歴史そのものが加熱し、石を溶かし鉄をさえ燃え上がらせてしまう」
8000…
「どちらがわで戦うのですか!?」
東郷「取舵」
「とおぉぉぉ りかぁじ!」
最初は事務的?とさえ思えた司馬さんの文体が、段々と燃え上がって、このクライマックスに最大の炎をあげたと思いました。
戦闘中に死んでいく兵士達の描写も
できるだけ押さえてたものが破裂したかのように克明に描かれていました
(あえて書くのは止めておきます)
小説中、戦争の残酷さを残酷に描写するというのも、ある程度必要なんだと思います。
そして大勝利
本当に撃滅したのだ
この激しい戦いで
敵の弾がかすめる中
東郷はずっと艦橋にいたんだそう。
やっと動いた時
東郷の足あとだけが乾いていたんだとか
それはこの作戦への執着を表しているのだ。
(対するロシア側司令官は官僚的で、国内の立ちまわり方ばかり、ろくな作戦もなかった)
すごい
すごいね
司馬さん乗ってるね
大興奮でした😆
この大勝利を機に
講和を渋っていたロシアも応じ
日露戦争はおわりました
東郷は日本へもどると
捕虜になっていた敵の司令官ロジェストウェンスキーを見舞います
この司令官は遠く地中海から恐ろしい距離を様々な苦労をしながらやってきました。
まるでこの病院で寝る為かのように
ロジェストウェンスキー
その姿から
「戦争が遂行されるために消費される膨大な人力と生命、資本のわりにその結果が勝敗いずれにせよ虚しい」
そう語っています
ほんとにそうですね
多くの人命を費やして
なんの意味があんのかな?
3人の主人公の残り2人の
最期を描いて物語はおわるのですが、
この長い物語でも
最後えもいわれぬ余韻がありました。
良い小説って
やっぱそうなんですかね
以上
長くなりましたが
坂の上の雲
僕の感想?
ほぼまとめかな😁
でした、
でも
めちゃくちゃ学ぶ事があった作品でしたよ
時間がある方
おすすめします😆
ではでは