教育相談行ってきた | はやおきハムズのブログ

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行ってきました。

 

はじめのうちは、やはり「何が問題なのかしら?」という

感触を、先生(相談室の)は持ったようでした。

 

実際に教室を見てみると、

他にも遅い子は何名かいるのと、

最終的には最近は自分で作業完結するようになってきてるので、

特別に問題があるとか

困っているとか、ないと思ったようでした。

担任の先生は、

朝泣いていることがあって、理由を聞くと

「お母さんに怒られた」と答えたので、学校のことは

問題に関係はないと思う、と言っていたそう。

確かに。

 

朝、準備があまりにも進まずに、とても怒ってしまうことが

時々あって、そういう時は泣いているのかもしれない。


しかし、一年生では泣いています、ということは聞かなかったので、

二年生になって出てきたことなんですよね。

 

ちょっとこれには、担任の先生に少し不安を覚えました。
お家の問題で学校では対応する必要はない?と

考えているのかな?

ここに関しては、昨日の日記でかいた

「学校に相談しない方がいいです」をちょと思い出してしまった、、、。

でも、でも、学校に相談しなかったら、

学校でのことって子どもが自分でどうにかすればいいということなんでしょうかね?

私もちょとそう思う部分はあります。

 

手助けしたら、自立できなくなる。とか。

 

でも、でも。

 

教会でいろんな子を見て、接してきたんですが、

人間って、いつでもお互いに支え合っているものなんですよ。

 

1人で立ってなんでも解決している人は、皆無です。

 

他者との関係のなかで、傷つけ合うこともあっても、

結局一緒に問題に取り組む誰かがいて初めて、物事が改善していく

ことの方が多いんです。

 

そして、親子の関係が壊れている大人のケアの大変なことといったらないです。

 

そこは親子で話そう。受け入れあったり、本当の間違いを正して行こう、

という非常に丁寧な作業をしていくわけですが、

ここでは嘘は(嘘も一つの大事な、状態をみわける症状なのですが)

なるべくなくし、正直にむきあっていこう。

 

というときに、子ども(10代後半から20代以上の)がやっと

目を向けてその作業をしていこう、生まれ変わろうとしても、

 

今度は親が逃げます。

 

面倒臭いとか、受け入れられないとか、理解できないとか、

自分は悪くないとか、いろいろあります。

これは肯定したくないけれど、クリスチャンであっても

「自分は精一杯やってきた。何がいけなかったの?

 そんな話は聞きたくない。こんなに労力もお金も裂いたのに。」
って態度でつきはなす親御さんを見てきました。

それをみて、単純に家族の関係は、「子育て終了」しておわりなのではなく、

関係は緩やかに変化して存在し、

その中での正しい「自立」があるのだなと。

と、脱線しましたが、


教育相談の先生に、そこで、息子の家での変化についてお話しました。

 

そうしたらだんだん、だんだん、
あ、学校では相当頑張っていて、無理するくらい真面目に

やろうとしているんだということ、

 

本人が頑張れればいいけれど、学校についていくことに

不安を覚えていることがわかってきました。

ここはもう見栄を張らずに正直に、自分もたくさん失敗してきたことも

話しました。

1人で対応するのに、かなり苦心していることや、

追い詰められるとこっちも自己のコントロールがきついことなど。

 

とにかく、負の連鎖をなるべくとめたい。

 

人間の性質から考えて、「成功」とか、「完全に」ということは

いっさいありえないと考え、

 

ただ「負の遺産」をへらし、より本質へ近づける努力をしたいです。