オラパリブ(処方→服用→中止まで) | 「腹膜がん」になって13年目

「腹膜がん」になって13年目

腹膜がんステージⅣから始まって
13年目となりました
現在5回目の再発中.....

✿初発から現在までの治療歴は、サイドバーに書いています✿

オラパリブ前の治療は

2017年10月2日に再再発の手術(T病院T先生)

2017年10月手術の後から2018年3月まで化学療法(N病院K先生)

ドキシルとカルボプラチンを全6クール脱感作療法で終える

 
オラパリブ処方まで
手術も脱感作も関東の病院だったから
経過観察をしてくれてた地元の病院(K病院)に
オラパリブ処方の相談をしたが処方不可となる
理由は・・・・・
2017年8月10日(手術前)のCTと
2018年4月12日(化学療法後)のCT比較の結果
原発巣である骨盤底の腫瘍が軽度増大となっていたから汗
(軽度増大といっても20%以内だから現状維持じゃないの???)
この時の再再発の手術は、膀胱腹側にできた腫瘍の摘出のためで
この骨盤底は触ってない・・・
となると、骨盤底の腫瘍は少なくとも8月10日のCTを撮った時から
化学療法を始める10月末までの約3ヶ月間
腫瘍の大きさの確認はできてないことになる
その約3ヵ月の間に大きくなった可能性が考えられるむかっむかっむかっ
私の場合は、腫瘍が大きくなりだすと速いからさ・・・・
本当に約3ヵ月の間に大きくなっていたとしたら
軽度増大は、認められないよね
化学療法の前に増大したものということになるからね
 
何とかならないものかとファイリングしてた
画像データをチェックしてたら
2017年9月5日に手術前のMRIを撮ってたのを見つけた
もしかしたら、これで判断してもらえるんじゃないの?
しかし撮ったのは関東の病院あせる
遠すぎるし色々悩んだけどねあせる
でもね望みをかけて再び関東の病院に相談に行ったのです
そしたらさ、タイミング良く、すぐにMRIを撮ってもらえて最短で診断結果
なっなっなんとビックリマーク
オラパリブ処方可になったのです
諦めなくて良かったとちょっと泣けたのを思い出す・・・・・えーん
 
お陰様で処方はしてもらえたけど・・・・・
処方の為に、2週間ごとに関東に行くのは流石に無理・・・・・
何とか地元の病院で処方してくれる病院を探さないといけない
悩んだ結果、初発から再発が分かるまで
お世話になった病院(S病院)に相談に行くことにした
その時(7年前)の主治医は、頼りなかったからさショボーン
初発の手術の時、主治医と組んでくれてたもう一人の先生を訪ね
この病院でも画像診断を受け、処方の継続を引き受けてくれることになった
「あなたみたいな人は、またどうせ色々な病院に行くんでしょうけどね」って
言われながらも処方継続してくれることに感謝はしてた
そしたらさ再再再発が確定した10月、もっとびっくりすることを言わちゃったあせるプンプン
このこと(S病院のK先生)については、また別記事に残すことにする
 
オラパリブ服用(副作用)
そんなこんなで
オラパリブは、5月中旬から再再再発が確定する10月9日まで服用した
約5ヵ月くらい服用できたのかな
副作用は、倦怠感と少しムカムカするくらいで
化学療法の副作用のほうが断然、辛かったから
このまま服用できることを願ってた
服用して1ヵ月はプリンペランを食前に飲むことで吐き気は抑えられたみたい
薬に慣れたころを見計らってプリンペランはやめた(先生の指示のもと)
その後どうしても気分が悪くなったのは数回程度あったけど
食後にプリンペランを飲むことで吐き気は治まった
骨髄抑制もなく順調だった
同時期に母の闘病が始まった
心労と疲労は徐々に増していくもそれでも体調がすごく良いときもあって
オラパリブ効果を実感してた
母も私もまだまだいけるビックリマークそう信じてた
 
オラパリブ中止
2018年8月9日CTで異常なし
素直に嬉しかった。体調もぼちぼちな感じだったし
まだまだ頑張るビックリマーク頑張れるという気持ちでいっぱいだった
しかしお盆が過ぎたころから母の病状はどんどん悪化していき
9月3日に最愛の母との別れ・・・・・
身体に電流が流れたようだった
母も珍しい進行癌だった
このことについても別記事に残しておこうと思う・・・・・
最愛の母を亡くし私の中で何かが崩れ落ちていった
そしてオラパリブ処方の外来日9月20日
血液検査でクレアチニンが0.96
エコーで左腎臓の腫れを確認
急遽CT、泌尿科も受診、PETの結果
10月9日、再再再発確定となりオラパリブ中止
再再再発確定の内容は、また別時事に残そうと思う
 
 
一旦諦めかけたオラパリブ
今回も病院や先生によって違いがあることを体験しました
3年前、再発した時も病院や先生によって治療の方法が大きわかれたことが思い出されます
あの時あの出会いがなければ、あの選択をしてなかったら
私は今生きていなかったと思います
私にとって治療の選択は延命に大きく影響する状態です
病院や先生をただ批判するのではなく
現実を伝えたいだけです
ありのままを伝えたいだけです
 
また母の闘病と重なったから自分が悪化したとは思っていません
ただ、心労は体調の変化に影響しやすいのかなと思います
私は、自分の命を削ることになっても母には全力で後悔の無いように
看病することを誓いできる限りのことはしました
でも、どんなにしてもしてもしても
母を救うことはできませんでした
この心の大きな穴は埋まることはなく
いまだに何かもっとできることがあったのではないかと思うのです
母とはもっと一緒にいたかった
お母さん・・・・・・
もう一度あなたの声が聞きたいです