彼は生粋の関西人なので、人を笑わせたりするのが好きだから いつもアホな事や冗談ばかり言っていました。
そして昭和の男だから 好きだとか愛してるなんて言う事は皆無。
私のどこが好きで一緒に居たのか今でもよくわからないけれど
『ほんま天然やなぁ。オモロい奴やな。不器用な所がオモロい。』と言われたけど、これは好きな所??悪口じゃないかい
まあでも、そんな彼が急に亡くなってしまったものだから 好きとか嫌いどころか何も語らず、お互いありがとうもさようならも言えず突然に終わった。
その苦しさから 自分を立ち直らせる為に頭の中では人には言えないような酷い事をたくさん考えて どこかに気持ちの落とし所がないかを探し続けていた毎日でした。
とても耐えられない痛みだっただろうけれど、気を失うまで短時間だったんじゃないか。
病気で闘病を続けたりした訳じゃなく、好きな事が出来て好きな物食べられて、それはせめてもの救いだったのかな。
誰かを巻き込む事もなかったし。
巻き込まれて亡くなった訳でもないし。
亡くなった事も肯定したいから、
彼は自由に生きていきたかった人だから これからの人生が重い障害を背負って生きていく方がきっと死ぬより辛かったからこういう結果になったんだ。
酷い自分勝手な想像。そうやってなんとか心を保とうとしてたんだと思います。
新型コロナで亡くなった方や震災で亡くなった方、交通事故、犯罪に巻き込まれたり、自死など、、
突然に忽然と居なくなられるこの辛さ。深く考えてしまうと自分が壊れそうなので 考え過ぎないようにするのが上手くなってきたように思います。
そしてありがとうもさようならも言えなかったけれど、
私の事どう思ってたの、一番楽しかった事って何だったの、これからどういう人生にしたかったの
聞きたい。でも聞けない。
いつか私がそちらに行ったらたくさん話したいよ。