こんにちは~

 

「よっちゃんの幸せレシピ」では、本当の自分と自由に繋がれ人生を輝かせるための情報を発信しお届けしています

 

前回は、

 

基本的な生理的・物理的な欲求を満たす第1段階の幸せ=依存型の幸せと書きましたが、

 

第1段階の依存型の幸せには、所属と愛情の欲求、承認や自尊心の欲求を満たすことによる幸せもあります(マズローの欲求5段階説の下から三番目と四番目)

 

例えば、人から愛されること、人の役に立つこと、人に褒められること、人に愛されること、人から必要とされることなどによる幸福感です

 

確かに自己重要感が満たされるのは大切なことだし、

 

コミュニケートすることで味わえる幸せは、

 

物質的な欲求を満たす幸せから

 

自分と他人、自分と自分を結ぶ見えない精神の欲求に向かう道の入り口だといえます。

 

しかし、これらが究極の幸せと勘違いしてしまうと、

 

自分をある種よく見せようと必死になったり、

 

嫌われるのを怖れて言いたいことが言えなかったり、

 

ある意味ずっと仮面をかぶって生きるようになったり、

 

こんな自分では駄目だと自分を抑圧、否定したり、

 

自分を我慢して人に尽くすことが幸せだと自分に言い聞かせて疲弊してしまったり、

 

はたまた、それが思い通りにならないと怒りや執着に繋がっていき、

 

いつしか気がつくと幸せからかけ離れて、こんなはずではなかったのに、、となったりします

 

真面目な人は、頑張れば頑張るほど疲れて、うつ病になったり、悩んだり苦しんだり、、

 

なんてことが、結婚とか職場や家族などの人間関係で日常的によく起こりがちです

 

これら第一段階では、自分と自分以外の外側との関係において生じる欲求満たすという

 

「欠乏欲求」を満たすことによる幸福感です

 

次にその段階から、

 

あるきっかけがあって、実は、自分は世界があって、その中に孤立した存在ではなく、

 

自らの力でいかようにでも「自分の世界を創造していく」ことができる入り口にたどり着きます

 

 

自分のハートに従って内的な自己実現の欲求をみたし

 

本当にやりたいことに目覚めそれを怖れを手放して、

 

挑戦して、失敗、挫折、葛藤を繰り返しながら自分の夢を達成してゆく

 

充実した時間と空間を味わえる第二段階の幸せ=自立型の幸せを書いてみました

 

 

例えば、ある日フツーに働いてフツーの暮らしをしているある種フツーのサラリーマンが、

 

何かが人生に足りないことに気づきはじめて、

 

何らかのことをきっかけに(出逢い、大病、うつ病、辛い別れとか、絶望とか、、)価値観のシフトが起こり、

 

自分の心に従い

 

本当に自分のやりたいことに目覚めて

 

その困難な夢に向かって、チャレンジしていき自己実現を果たしていくというストーリーが展開されはじめます

 

人に何を言われようが、自分を信じてひたすら道なき道を切り開いてゆく姿は、

 

最も美しく心を打たれますし、

 

人々に感動と共感と勇気を与えてくれる、本当の自分に近づいていく入り口だと言えます

 

何かを目指し、チャレンジし続けた末に手に入れる幸せであり絶頂感、昂揚感であり、

 

チャレンジや鍛錬、修練をしなければ手に入れることはできません

 

そこには、葛藤や怖れ、自分自身、自我と向き合うことで自らを変えていくことで手に入れていく幸せです

 

この自立型の幸せは、エンドルフィン的幸福とも言えます

 

 

尊敬する福島正伸先生の言葉にもある通り、「夢しか実現しない」

 

   最も美しい姿は

 

         困難に挑んでいく姿

 

最初は、努力や一生懸命の頑張りで切り開いていって結果をだすのもいいし、

 

怖れを超えて自分をプレゼンをして応援や支援を募るのもいいし、

 

楽しんでチャレンジしていくのもいいでしょう

 

ここでの段階においても、いくつかのステージが在ると思うのですが、

 

最初は、結果をだそうとして、努力したり、一生懸命練習、修練するわけですが、

 

そこには、結果や達成のための努力になってしまうので、どこかに損得勘定あるいは

 

こんだけ努力したのになんで結果が出ないのか、とか、どこかに無意識的にでも

 

取引的な要素が入り込んでくると

 

苦しみや迷いの森に入ることになり

 

満たされるどころか余計に結果をだそうと必死になり、

 

さらに苦しみの世界にはいることになります

 

こんなにやっているのに何故結果が出ないのか?どうして運は味方してくれないのか?

 

 

そもそもなんでここに来たのか?何のためにここにいるのか?

 

自分とは何なのか?

 

自己の探求に入ってゆくわけですね。。

 

因みに最近引き寄せの法則などはこの辺のことを指し示すものかもしれません

 

どんな困難な道でも、手法は100万通り、

 

自分が諦めなければ、ありたい未来はすでに今ここに存在している

 

それを見える形にしていけばいいのです

 

「何かを引き寄せて幸せになる」という発想から、

 

色々な価値観や観念に気づきそれを手放していくことにより

 

心も身体も軽くなっていくので、

 

思ったことが、現実に起こりやすくなってくるわけです

 

そうするとそもそも、

その結果はどうでも良くなって、そのチャレンジのプロセスの楽しさの幸せに気づいたら、

 

いつの間にか、すでに現実がそういう結果なっていたというのが本来のいわゆる引き寄せの法則の本質と言うものです

 

引き寄せの法則というものはそういうものです

 

何かの願いを獲得するためのものではないのです

 

何かを得ようとすればするほど、それが、ものであれ夢であれ何であれ、

 

同じであってそこに迷いや苦しみが生じるわけですね

 

夢破れて、苦しみの世界のどん底の状態になって、絶望の淵で

 

本当の幸せはここには無いことがはっきりと感じられます

 

どんなに夢を達成しようと、どんなに勝利の美酒を飲もうとも、

 

どんなに成功しようとも、どんなに自己実現しようとも、

 

それは、一時的な歓び、快楽であってそれらが過ぎ去ってしまうと

 

また次のチャレンジを探してゆくわけでいつまでたっても

 

そこに終わりは無いことが分かってきます

 

 

でも、これは、本当に世間的には受け入れ難いものがあります

 

何故なら、僕らには、今ではない何かを目指すことが社会の仕組みとして

 

プログラミングされて育っているからです

 

それらが、心の奥底に杭のように打ち込まれていて

 

そこからありとあらゆる思考や行動や態度がその観念から生まれてきているからです

 

快楽や昂揚感が別に悪いと言っているわけではなく、そういうものは一時的なもので

 

それを真の幸せと感じてしまうとそこから抜け出ることが苦悩になります

 

何故なら心も身体も移り変わるからです

 

そのことに気づいてくると、自分の心、自分の中身、そもそも自分って何なのか?

 

自分の追い求めている幸せって何なのか?

 

 

ある時ふと、本来の姿(魂の自分)を垣間見ます

 

そこには何も依存するものがないのです

 

心というツールから抜け出た世界です

 

今ここにいるというのは、時間で言う今ではなく

 

時間と空間が無くなった今

 

そこに居続ける

 

何の解釈も意味づけもせず、ただあることに在る

 

そうすると、自分の感情は、なにも湧いてこないことに気づきます

 

いや、湧いてきても、そこに引きずられないことに気づきます

 

感情と思考は常にセットで動いていて、

 

色々考えては感情を沸き立たせ、その感情に思考がくっつき、

 

そのまた思考に感情がくっつくという思考と感情の連鎖をくりかえします 

 

これが、本来の自分を見失っている状態です

 

この思考と感情の癖、心の癖、心の欲求をみたす幸福からの解放が、次の魂の欲求のステージです

 

それが「安堵」です

 

考え事や感情からマインドが離れたとき、それが、ほっとした時

 

安らぎや安堵はこの瞬間にあります

 

それは正にセロトニン的幸福感

 

おかしな事に、自分(マインド)がなくなったところに本当の幸せがあるのです

 

本当に幸せなのは、自分が消えているときで、

 

皆さん寝ているときが一番幸せだといい、それが魂の状態

 

マインドからの解放を願っているわけなのです

 

始終ひっきりなしに騒ぐ思考、マインドからの解放

 

 

自分(マインドが)が消えれば消えるほど、自分は幸せに近づくのです

 

では、自分が消えてしまったあとに残る最高な幸せは、誰が感じるのだろうか

 

それは、本当の自分であり、魂の自分であり、自分の周りのもの全てであり

 

本当の自分とは、周りのもの全てであり、この空間と言っても良いし、この宇宙と言ってもいい

 

 

だから、本当の自分、魂の自分であれば、周りが幸せなのである

 

幸せそのものであることの、立ちふるまい、あり方でいれば、周りは幸せそのものなのです

 

だから、幸せは、なろうとするものでもなく、なるものでもない

 

赤ちゃんや小さい子供がそうです

 

赤ちゃんや子供は、幸せそのもので、幸せになんかなろうとしていないわけです

 

全ての存在そのものが、宇宙から祝福されているので幸せそのものなのです

 

「魂の欲求」を満たす真の幸せは、今ここにあるのです

 

幸せとか不幸せを超えたところに、真の幸せ=安堵、静寂がある。。

 

そこが、無条件の愛に満たされた真の静寂、安らぎ。。

 

そして、それは、いつも今ここにあるのです

 

少し長くなりました、、

 

読んでいただきありがとうございます

 

次回は、これらをまとめた総集編でお伝えしてみたいと思います