9月25日月曜日。晴れ。

今日はミミの命日。
2年前のあの日も今日のように暑い日だった。
旅立つまでの数日、その短い日々を今でも昨日のことように思い出す。
一縷の望みをかけてカテーテル手術(尿が出なかったため)に挑んだミミ。
正直、麻酔から目覚めることはないのではと覚悟していた。
わたしは家でひとり手術が終わるのを待っていた。
気が気が出なく不安に押しつぶされそうだった。
夕方になり病院へ迎えに行くと、奥のケージの中でじっと真っ直ぐ前を見据えるミミの姿があった。
何としても生きてまた家に帰るのだと、そう主張しているかのような目をしていた。
家に帰ると自らいつものソファの上に飛び乗った。
術後のうえ既に何も食べなくなっていたからかなり体力も弱っていただろう。
そして病院にいた時と同じように、真っ直ぐじっと前を見据えていたミミ。
その時はもう死を受け入れていたのだろうと思う。
今振り返れば、死へと向かう心の準備というか覚悟というかそういうものを秘めた目だったように思う。
ミミが旅立ったのは翌日の午前11時だった。
その日は土曜日で夫も在宅だった。
ミミはきっとこの日この時間に、住み慣れた家で旅立つことを決めていたのだろう。
必ず生きて帰るのだというミミの、あの生への執着と生命力に何かを(それは大きくて大切なものだと思う)教えられた気がする。
これから何十年経っても(わたしが死ぬまで)ミミと過ごした21年間を忘れることはないのだ。

19歳頃のミミ。

命日には忘れずに花を飾る。
ミミがいなくなった今でもミミには救われている。
そんなことを夫が言った。
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