ブログネタ:子供に花の名前をつけるとしたら?
参加中娘がいたならなぁ、と、よく想像する。
義理の姪っ子は「ホントの私はマミの娘~」と、29歳にして甘えてくれるし
その子供達も「マミがお母さんだったらなー!」と、絶賛してくれるが
やはり思ってしまう。
娘がいたらなぁ・・・。
11年前にオットと結婚した時に、実は心の中で
『私の娘』の名前を決めていた。
私の祖母の名前「菊」をもらって、そのまんま「キク」。
ミドルネームには、オットの実の母の名を頂いて「ヴァージニア」。
「キク ヴァージニア」ってどんな人生かしら、と夢の娘を
思いながら数年待ったものだ。
まあ、その夢の娘は出来なかったが、もう今更いいかなと
諦めもつき、姪っ子達を猫かわいがりしている日々だ。
それもいいんじゃないかしらね。
家族の縁は切れないし、この子達の成長を見ているのは
何とも楽しく悩ましいものだからね。
さて先程、ピグの代々木「旅エリア」で若い方々を眺めていた。
クリックすると、その人のプロフィールというか、一言アピールを読める。
面白い人が多いので、PCの前でニヤニヤしながら
拝見している。
で、イタリアンの親父みたいなお洒落な方をクリックしたらね
「会話はしない・ブログにて30男について書いている」とあるじゃない。
面白そうだなーと、断りもせずにブログを拝読。
ピグの外見からはわからない、せつないせつないブログだった。
ジェンダー(gender=男女の社会的な性差)についてだったの。
おそらく男性の外見を持つ彼は、内面の女性的パーセンテージが
高い方なのであろう。
世の女性に対し、至極真っ当な憤りを持ちつつ
「あたしには性別がない。あたしはあたしという性別。」
と誇り高く書いていらっしゃる。
ツーンと鼻の奥が熱くなり、思い出が流れ出した。
自由というものを語る人に対して、私は少々意地悪く見る女だ。
引き換えた物は何?と心狭く思ってしまう。
彼(と呼ばせてね)の文章には、自由という文字は出てこない。
が、精神的に自分でそこまで築き上げ、こだわりつつも
傷ついて磨き上げた「自由」な精神が感じられて、
なんともせつない。
言葉って難しいな。
言い表し様がないわ、私の語彙では。
ゲイの友人達を見ていると、自分を守るために随分と気を使う
生活を送っている。
アメリカの地方では、いまだに命すら奪われてしまうせいもあるのだろう。
以前住んでいたアパートメントで、我が家のパーティーに近所に住む
ゲイの友人が来てくれた事があった。
その時のオットと、その同僚達の態度の悪さ!!!
驚いた。
持ってきてくれたケーキには手をつけようともせず
彼らの背後でホモセクシャルをからかう仕草をする低脳さ。
友人の気持ちを傷つけたくなくて、無理やりオットと同僚を
駐 車 場 に 呼 び 出 し、背伸びして 殴 り な が ら
「恥知らずのクソ田舎者白人に低脳黒人!お前ら殺すぞ」と
恐ろしい事を言ったね、もう。
「ゲイでも肌が緑だろうと私の友人なんだから尊重しろ!
お前みたいな生きてる価値のないヤツを産んで
母親は後悔したんじゃねえのか!?離婚だ!」
自分のオットに対して、ものすごい存在価値否定の言葉だ。
これよりひどい言葉はない。
あの場で私が一番人間として最悪な物言いだった。
支離滅裂とは、私の事だ。
オットには申し訳ないと思ったが、普段、人種差別を声高に反対している
彼ら同僚連中の薄っぺらさに本気で殺意を抱いたんだもの。
許せない事だった。
普段は穏やかな日本人の私の豹変に、震えながら謝ってくる
平均身長185cmのオット同僚達。
(基本的に人は良い連中なのだ…)
2人ほどは「クソ ビッチ!」と怒って帰ったが、全く気にならない。
オットも初めて見る他人様に対しての私の攻撃的な激怒姿に
怒る事もせず、おろおろとしていた。
「離婚するから。あんたの人生、メチャクチャにして離婚するから。許さない。」
と、初めて『離婚』という言葉を、悪魔のように言い放ったせいもあるだろう。
あの時、私は友人を傷つけたくない気持ち以上に
私が築いた関係と世界観・価値観を守りたかったんだと思う。
すべては自分の為なのだ。
正義感ではないね、きっと。
友人は、男性同士のとても穏やかな御夫婦で、オットの長期留守中など
初めてのアメリカ一人生活を送る私にとても気を使ってくれていたのね。
バイト帰りで、疲れて寒くて淋しい気持ちの時、偶然会ったりすると
いち早く私の感情を見抜いてくれて「マミ、来てよー」と
夜更けに部屋でリラックスさせてくれたり
カタコト英語の私を心配して、バイト先に来てくれたり。
ハリケーンの時だって、管理人より先に部屋に来て
「恐いわねぇー!やだ、マミすっぴんブスね。マミの部屋のほうが高台で安全だわ!」と
軽く毒を吐きつつ一緒に抱き合ってくれていた。
「おじいちゃん、すげー加齢臭!」(当時40代後半だったけど彼ら)
と、言い返しながらも、感謝でいっぱいだったのよ。
今でもメールのやり取りしつつ、彼らの人間性に胸を温かくしてもらっている。
オットもあれ以降、一切ゲイ・バッシングはせずに
「人間性だよね。」と言ってくれている。
そして「僕の人生メチャクチャにするって、具体的にはどのような?」と
たまに聞いてくる。
今でも私と一緒に居てくれている事が、我がオットにとって最大の
『人生メチャクチャ』なんじゃないだろうか?
たま~にだが、怒った時の私の底意地の悪さと、悪態は酷いものだから。
小さな小さな私と寛大なオットの譲り合い精神で成り立っているのかもね。