只今設計中のミヤです
先日、買った本。
まだ読んでないけど、読むの楽しみ
そしてもう一冊
どう見ても温室育ちではなく、雑草系のミヤにとって
すごくすごく惹かれるものがあって購入。
小さな小さな本です。
その中にメッセージがところどころ書かれてるのだけど
一つ一つがずしんときて
花とひとはにている
自分だけのためとつよくおもっても
なんだかんだいって
だれかのために生きているから
とか
咲くか咲かないかは 自分できめる
とか。
花瓶に華やかに飾られることも少ないけれど
キレイな場所で日の目を見るわけでもないけれど
花屋さんに並ぶこともないけれど
静かに強く咲く雑草と呼ばれる花たち。
なんだか強くて凛としてる印象でミヤは好き
子供たちに一杯触れてもらえるのも、雑草な気がする。
盛大なお誕生日にはプレゼントされないかもだけど
お母さんへの気持ちで、学校帰り子供からのささやかな気持ちの
ステキなプレゼントになったりする雑草の花
素朴で強くて、凛としてて・・・。
この本を買おうって思えたのは最後のページに書かれてた著者の言葉。
大人になって、やさしい言葉をかけたり、励ましたい誰かがいるとき、
それが直接できなくても、あたたかい気持ちでいることで
その思いは届くことを知りました。
誰にも迷惑をかけずになんて生きられないのです。
目には見えない、あたたかい輪でつながりながら
すべてはみんな影響しあって存在しているのです。
の文章に、
なんだかこの雑草の花たちが象徴のようにそれを現してる気もして
ステキな本だなぁって
なんだかあったかいなぁって。
キレイだね、とか誉めてもらいたくて咲いてるわけじゃなくて
自分の意思で、自分のためにしっかり苦しくても、環境とかそういうことを
言い訳にしないで
しっかり凛と咲く雑草。
でもその姿に、心があったかくなったり
色んなことを感じたり・・・。
それはたぶん雑草が自分のために強く咲いてるからだろうなぁ。
でもそれは誰かに大きな何かを与えてて・・・
ミヤもそういう人になりたいなぁ。
あまりにも咲かなきゃいけないって意識で咲くのと
今の自分での精一杯の自分と格闘しながら咲くのでは
同じ姿でも、きっと違う気がする。
キレイに咲きたいわけじゃなくて
自分と向き合った結果、咲くという結果になってる・・・それで良いから。
華美に飾られる目的でなくていい。
誰かがそっと、それを見て何かを思ってくれるだけで良い。
そんな咲き方をしたいなぁ
親にも雑草系で・・・と言われてたけど
まんざら雑草系も悪くない
踏まれても踏まれても起き上がって可愛くないけど
見過ごしてしまうようなその場所で
大切に眺めてくれる人との出逢いの素晴らしさも気が付けるかも
そんなステキなあったかい出逢いがあるなら
雑草って名前でも幸せな気がする。
また大切な一冊に出会っちゃった
さぁ、頑張れそう