明日はお休み待ちに待った感じです
明日はお出かけしたいので、早起きしてお家の掃除もしなくちゃですね。
お家といえばなんですが、ミヤのお家の間取りは、メゾネット型。
玄関入るとすぐ階段です
登りきって曲がるとおトイレや洗面があるのですが、おトイレのドアを開けると
廊下がふさがるような感じになります。
いつも、おトイレに入りながら思うんです。
あぁこれおトイレから出た時に廊下側に人が居たら階段の方に押されて
落っこちてしまう可能性もあるなぁ・・・と
でも、また思うんです。
この面積でこの部屋数でこの位置におトイレを配置するのは、わかるぅううって
リビングからの適度な距離と言い、水周りに近い場所といい、
きっとここはベストだって。
そしてまた思う。
こうやって一生懸命考えても、暮らせばあぁここはこうだなってきっとあるんだろうなって
設計ってカタチがその家の数だけある分、優先したものが中心になってくる。
そしてまだ見えない注文住宅であれば、想像という難しさがプラスされる
なんだかそんなことを考えるミヤ。
よく車で走っている時、やっぱりミヤは職業柄、家ばっかり見ます。
道順も家で覚えているくらい
なんであそこをそうしたんだろう・・・なんであそこにあれを付けたんだろう・・・
そう思うことだってある。
だけどすぐ、きっとそのたった一つの家を作った人や、住まう人が考えた結果だったり、
当たり前だけど予算っていう枠の中で、できることなんだろうなぁ・・・って。
それは他人には分からないし、言えないなぁって
きっとその家ができていくドラマは、周りの関わっていない人にはわからないもの。
こんな流れで、こんな思いで作りましたって家には書いていないので(当たり前だけど)
だからミヤは誰かと話ている時に、自分と全く関わっていないお家のことを
あーでも、こーでも言ったことは無い。
それは自分も同じ仕事をしている中で、色んな思いや考えや、ドラマがあるって知ってるから
ミヤの家のおトイレもそうですが、なんだか考え始めると難しいものだよなぁって。
きっとミヤも、全く知らない人が、そこに住まうお客さんと一生懸命探したカタチを
変に言われたらなんだかものすごく戸惑うと思う。
だってその家のことを言えるのは、何年も掛けて家を建てようと努力して
一緒に家を作る会社を決めて、そこからまたたくさん設計で悩んだり迷ったりしながら
やっと巡りあえた家に住まう、その家族だけしか言えないと思うから。
価値観ってその家族の分だけ存在するし、同じようにその暮らし方も家族のもの。
そこに一番良いと思えるカタチとして生まれたものは
知らない人が判定するものでは無いんじゃないかなってミヤは思う
あぁ、そういう暮らし方もあるんだ、あぁ、こういう考えもあるんだって
毎回ミヤも教えてもらうくらい、考えって無限大
いつかミヤが大好きだったチルチン人という雑誌の詩に
とってもステキな文章があって、ちょっと詳しい内容は忘れちゃったのだけど
そんなことを色々考えていたら、あの詩にまた出会いたいなぁ・・・なんて思ったミヤ
まだまだ建築に関わったばっかりだった頃
ノートに貼ってよく眺めたあの詩がないか、明日お掃除でもしながら探してみよぉっと