こんにちわ
週末が終わって一段落状態のミヤです。
昨日は午前中はI様にお会いして、午後はI様(イニシャル同じですね)のプラン出しでしたぁ
かなり悩んだリフォームプランだったので、すごく喜んで頂いて一安心
あるものを変えていくことってやっぱり難しいんだと実感した先週。
そこにある色んな考えや思いはやっぱり大切にしたいので
打ち合わせの後はH様の家の前を通り、おぉステキじゃんと勝手にうっとりし
その後そのままN様の家の前も通ろうと移動
車があったので顔だけ出そうと社長と2人でピンポン。
N様家族みんな揃っててそのまま居座るMD2人
なんだか幸せになります、やっぱり
N様とMDとで共通のある曲があるのですが、
社長もミヤもその曲を聴くとN様を普段思い出します。
昨日、話していたらN様もその曲を聴くとMDを思い出してくれるそうで、
なんだかそういうお互いが同じ思いな事に胸がキューってなっちゃいました
やっぱり逢いたくなるよねぇ~なんて嬉しい言葉も頂いて
N様は4年の月日をご一緒に過ごさせて頂いたお客様。
時間がある分、打ち合わせの頻度は月に1回とかでしたが
いつも居てくれる・・・そんな感覚を持たせてもらってました
引渡しの時に奥さんがくれた手紙。
家づくりとしてとかだけじゃなく、人として宮崎千晴さんに出会えたことが嬉しかったです・・・。
という一文があって、涙を流したのを覚えてます
なんだか、家づくりという作業を通して、人として繋がることができたなら
それは『人生』で考えたらすごく幸せなこと
きっと本当に色んなことがあるのだけど、MDは幸せなことに
人として見てくれているたくさんの方に出会えてきました。
形式的な家づくりを2人とも得意ではないから、できる限りの心を相手に向けてきたつもりですが、
もし相手が人として受け入れてくれなかったなら、それは成り立たないことですもんね
この仕事をしてから、ミヤ自身が何かを受け取る側だった時に
そこの裏にあるものを見るように心がけるようになりました。
例えば、夕飯を頂くことが多い(お恥ずかしいですが・・・)中で、目の前にある料理は
もちろんすぐには出来ないはず。
きっと社長やミヤのことを色々考えて、そこには見えない時間や考えが存在するんだよなって。
なんだか今食べてるありがたい気持ちと、その裏にある過程への感謝を感じられるように
なりましたもっともっとまだまだだった頃のミヤは
もう目の前にある美味しいものに、ただただ食いついているようね子でしたから
母の作った夕飯に
え~今日の夕飯○○なのぉ
なんて憎らしい発言していた幼き自分に反省です
例えばミヤの持っているものが故障した時(ケイタイとか・・・)
なんでこんなに待つの?とかなんでこんな風になるの?とか思いがちですが
ミヤは果たして大事に使っていたのかな?とか、丁寧に修理の提案をしてくれる
ドコモのお姉さんが誠意を持って対応してくれれば、してくれる程
それまでの当たり前に思っている自分のケイタイへの扱いを考えられるようになりました
物事ってそういうものなのかもしれないですね。
ミヤがこの仕事をしていて、一生懸命頑張るはもちろん当たり前
だけどミヤの目に見える仕事だけじゃなかったり、職人さんの目に見えない部分の仕事だったり
そういう部分を見ることってお客さんはきっとしなくても良い部分なのに
そこを汲み取って、感じてくれるお客さんに出逢った時、
すごくミヤは考えさせてもらえる。そしてあぁこの家族にミヤがちゃんと仕事をする
っていう当たり前のこと以上にできる何かは無いだろうか??
自分も同じように相手の気持ちに応えたい
そんな人と人との関係が自分を成長させてくれたり
見えなくなってる自分のダメな部分や考えを諭してくれたり・・・。
きっと良いことだけじゃなくて、今一歩自分の考えや思いを
立ち止まらせてくれる人も、自分にとっては『良い人』なんだとも最近は思います
大人になれたんだと思います
さぁ今日もお仕事頑張りまっす