夕刻、ようやく落ち着いて、荘子を愉しむ。
私の好きな一節、
「黄帝は赤水の北に遊び、崑崙に登り、はるか南方を見渡した。さて帰途についたとき、大切な珠を落としてしまった。知に命じて探させたが見当たらない。目利きに探させたがやはり見当たらない。こんどは口の達者な者に探させたがどうしても見当たらない。そこでぼんやりものに命じたところこれを見つけてきた。黄帝はつぶやいた『不思議なこともあるものだ。ぼんやりものが見つけるとはね』」
「ぼんやりもの」とは目立たず、実体のおぼろげな者の象徴。ときにこれこそが本当に大切なものを知り大事を成すのたとえ。
組織の後継にも当てはまるかもしれない。知に勝り、目利きで、口の達者な者はじつは大事なことが抜けている。そして伝説の賢帝である黄帝でさえ、後から気づかされるのだ。