ふと通勤電車の中吊りをみると、春からの新番組の宣伝がありました。
なにやらものづくりニッポンを礼賛する番組らしいです。
この最近、テレビも本もやたら多い「ニッポン礼賛」。
もちろん我が国のいいところを再発見し、後世に伝えていく…世界に出たときに、あなたの国の特徴を問われて、即座に答える…大事なことです。
でもなにか違和感もある。
いいところはもちろん自信になりますが、過剰になると相対的に相手を見下すことにならないか。
いやいやそうではない。
本でもヨーロッパのある国で長く暮らした日本人が、その国よりも日本のほうが素晴らしいと褒めちぎるものがありましたが、
なんだか気持ち悪い。ある意味遠きにありて故郷を思うのは当たり前。それより何十年も住んでてその程度のことしか理解できないとは不幸な人です。
新幹線の開発技術、運行技術、清掃技術、ぜんぶ素晴らしいけど、一方でJR北海道で生じたような安全に対するオペレーション、保守体制の不備がある。
これは原発もそうですね。原発は自然災害そのものに対する対応策不備はもとより、法体系、制度設計そのものに陥穽がある。
サッカーもラグビーも世界レベルとはほど遠い。
こういうと最近は、「経済自虐史観」ならぬ「日本自虐史観」と言われてしまいそうです。
別に、自虐ではない。明治の日本人が持っていた「理想主義的プラグマティズム」がいまも必要ではないかと思うだけです。
お国自慢は人々を元気にすることは間違いありません。
しかし、足りないところは素直に認め、素晴らしい事例の本質にまなび、不備や陥穽を補完し、よりよいニッポンの方法論を開発していくことのほうが建設的ではないでしょうか。
少なくとも、欧州のある国と日本を比較して何勝何敗なんて言ってる観察能力ゼロの人よりかは。