「学者は国家の奴雁なり」

福沢諭吉の言葉という。

雁の群にあって、皆が餌を啄ばんでいる中、一羽首を高く掲げて四方を見渡し番をする者を奴雁と称す。

転じて、時勢に流れ、時局に迎合する者が多い中で、一人過去を省み、現状を冷静に分析し、以って、国、人々の暮らしのために将来なにがよいのか考える人をさす。

報道によれば、火山国である日本において火山研究の専門家は実に少ないという。

こういう話は地震、津波同様、大きな犠牲がでてはじめて認識される。

噴火は頻度も低く、たしかに優先順位は低いのだろうが、ひとたび発すれば、津波のごとき破壊力が生じる。

ゆえに、国家レベルにおける研究者育成は短期的視野に考えてはならない。どのような意図をもって予算をつけるか。目利きが必要だ。

話はとぶが、日清戦争で得た賠償金は、八幡製鉄所などハード部門にも使われたが、日本海軍建設の礎を築いた山本権兵衛は、きたるべき闘いのために、エリート候補の海外留学費用というソフトにも用いた。

よって、日本海海戦の英雄、秋山真之は、アメリカ駐在武官となり、兵法界の巨人マハンに師事。新興海軍であったアメリカ海軍がいかにオールドファッションのスペインを破ったのかを目の当たりにすることができた。この経験が日露戦争を決した日本海海戦に生かされた。

まさに山本権兵衛は奴雁であった。

先般のスーパーグローバル化大学とやらの選定も、ほとんどが短期的成果を期待するものばかり。

もちろん、対象を絞り短期集中で予算を投下し成果を引き出すことは大いにあるだろう。

しかし、たとえば磯田道史氏のように地方公立大で地震に関する古文書を研究し、最新の地震研究と併せて、いくつもの有意義な提案を行っている研究は、長期的視点で評価するしかない。

かれの研究はまさに人文学系が社会科学、自然科学と連環をなし、人類の福利に寄与するものだ。

ところが、最近は地方の国公立において文系学問がどんどんリストラされているという。とくに人文学系は厳しい。

ところが高齢患者の看取りを専門とする医師たちは、よい看取りをおこなうためには、医学における科学の部分と哲学、宗教、文学の部分が双方必要になるという。

日本の高等教育にこれらの事実を認識している人は極めて少ない。

だから薄っぺらい実学が跋扈する。

官僚や政治屋の制度設計能力はたかだか100年程度である。

国家100年の計と偉そうなことを言っても志ある学者は、200年、500年、自然科学の領域は万年の単位を扱う。

彼らのなかには奴雁も多くいることだろう。

すぐには役立つわけではないが、国家の危急存亡の際において、役に立つ奴雁を見抜く人材が為政者側に必要だが、劣化が進んでいる。













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