広島はいうまでもありませんが、豪雨による土砂災害が頻発し、多くの犠牲者が出ています。
犠牲者の方々に心よりご冥福を祈る次第です。
さて最近の報道をみてよく感じるのは、
「豪雨がどこで起こるのか」という予測、そしていつ避難指示を発令するかという部分に重点が置かれており、
現場(行政ー地域住民のコミュニケーション)にソリューションが不在という点です。
とくに礼文島における対応で考えさせられたのですが、
夜中に避難指示がきても役所で対応できる人は限られ、安全に誘導できる方法が確立されておらず、結果、避難指示は住民に届きませんでした。
広島でも、深夜、明け方に豪雨の音が響く中、お年寄りをはじめ当該地域のひとに「気づかせ」、実際に「避難」まで遂行することは、現状の行政サービスの限界を超えています。
ここには行政サービスを補完する、地域のネットワークづくり、地縁づくりが不可欠です。
奇しくも、東日本大震災で、注目された「大川小学校」の悲劇が教訓になります。
大震災で、校庭まで押し寄せた小学校は3校。そのうち大川小学校を除く2校の先生、生徒は全員無事でした。
以前ブログでもなんどか取り上げましたが、「てんでんこ」(各自の判断で逃げる)が地縁のなかに組み込まれていたか否かで、大きな差が出てしまったということです。
残念ながら大川小学校は結果的に中央集権的な命令系統が悲劇を招きました。
群馬大学の災害学の先生のご指摘のとおり、
科学技術の進展で予測がどんどん緻密、正確になるのは大変ありがたいことですが、予測や行政サービスに過渡に依存、期待する現状では、ほんとうに命がかかった現場をすくうことは不可能です。
本来ならば、土砂災害が起こりうる危険がある地域において、地域住民が行政を巻き込んだ自発的な地縁ネットワークをつくらねばなりません。
起点は、「寝静まった地域住民に、短時間に迫った危険をいかにつたえ、避難完了できるか」です。
最悪の状況を起点に、ソリューションを考える。
そしてこれはまさにロジスティクスの問題です。
日本にはここに専門官が極端に少ない。
予測、避難指示、そして避難に至るまでの溝はじつは非常に大きい。
最近読み直した「日本海軍400時間の証言」も海軍軍令部と現場(艦隊)との間にいかに大きなかい離があり、結果として惨禍を生じせしめたかを教えてくれます。
一方で、悪しき「現場任せ」が跋扈するのも現実。
今回の土砂災害も大きな教訓を与えてくれたように思います。