きょうはあの東日本大震災から3年。


テレビでもどこでも特番が組まれている。


3年前のきょうから2週間くらいの間、私も現地の人や北海道の人たちと連絡をとりあって、ささやかながら、物資流通状況(店舗オープン状況)などをこのブログでアップしていた。


月刊MDでも震災直後のドラッグストアのライフラインを守り抜く活動を紹介した。


1年後はわたしも石巻の店舗を取材する機会を得て、当時の過酷な状況をうかがった。


1年後の石巻は悪臭を封じる目的でまかれた消毒液の異臭が漂っていた。


破壊された海岸線も案内していただき、「ビッグハウス」の廃墟やあの「大川小学校」も遠間からみた。


仙台駅では、東北大で准教授を勤める幼馴染に再会し、無事を祝った。


かれも被災者でありながら大学教員として、避難所をかけまわり数多くの当時の正視にたえない過酷な現場を胸のうちにしまっている。


物静かに、淡々と当時を振り返った。


私はただ聞くことしかできなかった。


かれも人生観がまるっきり変わった。


距離が遠く、なかなか踏み切れなかった体の不自由なご両親を、思い切って山口から仙台に呼び寄せた。


「家族」や「日常」というものがどれだけ大切かということを痛感したのだろう。


わたしはかれを前にして「がんばろう」とか「がんばれ」といったフレーズは、どうにもそぐわない気がした。


以前から、マスコミでよく使われる被災地へのメッセージとしての「がんばろう」や「夢」とか「絆」とかいった美辞麗句になんとなく違和感があった。


スポーツ選手ならば、そのたぐいまれなパフォーマンスをもって、「夢を与える」「元気づけられる」という言葉使ってもいいかもしれない。


個人的な募金で、億単位のお金を届けられるだけの力のある人なら、「被災者を応援している」と堂々と言っていいだろう。


もちろん、マスコミの効用はある。声なき声に耳を傾け、取り出し、伝えることは彼らの役割だ。


でも、私のような者は、安易な応援言葉は使ってはいけない・・そんな思いにいまもとらわれている。


だからと言って、どこまでいっても当事者の気持ちによりそうことはできないことを逆手に、他人面するつもりもない。それはある種の傲慢であろう。


ほかで起こることは、常に自分にもふりかかってくる。あすの当事者はいつでも私自身なのだから。


この3年間、表面的には出てこなくても、いろんなことが変わったのだろうと思う。


私自身、


人とのつながり、自分の人生に対するまなざし、自然に対する見方、科学に対する見方・・。


きょうは、そういう自分の中に生じたいくつかの「さざ波」をあらためて取り出して検証する日なのだろう。


月並みながら、「日常」を大切に、真摯に過ごしていくことが、ほかのだれかの幸せにつながることを信じて。