たまたまテレビをつけていましたら、統計学の有用性、カラクリ、陥穽について取り上げた番組をやっていました。
小売流通に関わる人間からみるとなにを今更、ビッグデータだのディープデータだの言っているんだろうという気にはなりますが、
まあ、ほんとうに使いこなせるか否かは、これからでして、こうやって小売流通の持つ宝の山に関心が集まるのは嬉しいですね。
番組中に出てきたデータサイエンティストという職能はこれから益々重要な役割が求められそうです。
おそらく優れた理系の学校出身なのでしょう。文系にはちんぷんかんぷんな数式、定理を使いこなしていましたが(笑)、ひとつ抜けている要素があるような気がします。
それは、「類化性能」という能力。
端的に言えば、一見別々の現象に見えるものの共通要素を見出すチカラのこと。
理系の方からすると、そんなものはアルゴリズムでいくらでもキーグラフが導ける言われそうですが、
東大の工学大学院システム創成学の先生方と一年間いろいろな情報交換をさせていただいた経験からすると、
キーグラフは導けるのですが、点と点をつなぐ線の意味付け、さらに表面には見えてこない点と点の関係性を明らかにし、あるいは仮説を立てることは、「類化性能」のベースである「想像力」が鍵を握るそうです。
月刊MDの常連筆者でIDPOS分析の第一人者奥島晶子先生がいらっしゃいますが、先生の学生時代の専攻は考古学。
地層と土器、石器から古代人の生活を想像するのですから、それに比べたら現代人の生活を想像するのは、実証の機会があるだけ易しい。まあ、考古学は心理学と同様、文系の中の理系ではありますが…。
しかし、いまや地震予知の世界も統計学はじめ理系の先生だけでは、成立しません。
以前ブログでも取り上げましたが、歴史学者の磯田道史先生は、東日本大震災を契機に地震に関する古文書収集と解読をライフワークにしています。
古文書を解読し、それを使える情報として体系化していくためには「類化性能」の素養が不可欠です。
そもそも、地震予知の世界に歴史学を交差させることこそ、類化性能の成せる業。
東日本大震災は、統計学の限界を示した事例でもありました。30年以内に70パーセントの確率は明日でも29年と364日目でも起きれば一緒。起きなければ、3割のほうだったというだけでしょう。あくまでも来たるべき不測の事態に対応するための目安が示されるだけです。
一方、古文書はリアルです。その日なにがおこったのか、予兆はあったのか、人々はどう逃げて助かったのか。助からなかったのか。
古文書だけでなく、地名、石碑、口伝など別の形でリアルを伝えている場合もあります。
だから、日々の注意喚起につながるわけです。ここから様々な想像を巡らせて、人々は「生きのびる」方法をつかまなければなりません。
大震災後、津波が生じたとき、どの方向に逃げるべきだったのか。地形によって千差万別らしいのですが、様々な統計学的シミュレーションが行われました。
ある地域では、最新の統計学的シミュレーションで導き出された最適の避難地点を訪ねたところ、一軒の古びた社があったそうです。
まさにそこは、古文書によれば、江戸末期の大震災による津波で避難してきた人々が建てた社だったそうです。
統計学はたしかに重要な役割を今後果たしていくでしょうが、リアルを想像するチカラはまた別であり、どちらが欠けていても実践には役に立たないことを理解したいですね。
iPhoneからの投稿
小売流通に関わる人間からみるとなにを今更、ビッグデータだのディープデータだの言っているんだろうという気にはなりますが、
まあ、ほんとうに使いこなせるか否かは、これからでして、こうやって小売流通の持つ宝の山に関心が集まるのは嬉しいですね。
番組中に出てきたデータサイエンティストという職能はこれから益々重要な役割が求められそうです。
おそらく優れた理系の学校出身なのでしょう。文系にはちんぷんかんぷんな数式、定理を使いこなしていましたが(笑)、ひとつ抜けている要素があるような気がします。
それは、「類化性能」という能力。
端的に言えば、一見別々の現象に見えるものの共通要素を見出すチカラのこと。
理系の方からすると、そんなものはアルゴリズムでいくらでもキーグラフが導ける言われそうですが、
東大の工学大学院システム創成学の先生方と一年間いろいろな情報交換をさせていただいた経験からすると、
キーグラフは導けるのですが、点と点をつなぐ線の意味付け、さらに表面には見えてこない点と点の関係性を明らかにし、あるいは仮説を立てることは、「類化性能」のベースである「想像力」が鍵を握るそうです。
月刊MDの常連筆者でIDPOS分析の第一人者奥島晶子先生がいらっしゃいますが、先生の学生時代の専攻は考古学。
地層と土器、石器から古代人の生活を想像するのですから、それに比べたら現代人の生活を想像するのは、実証の機会があるだけ易しい。まあ、考古学は心理学と同様、文系の中の理系ではありますが…。
しかし、いまや地震予知の世界も統計学はじめ理系の先生だけでは、成立しません。
以前ブログでも取り上げましたが、歴史学者の磯田道史先生は、東日本大震災を契機に地震に関する古文書収集と解読をライフワークにしています。
古文書を解読し、それを使える情報として体系化していくためには「類化性能」の素養が不可欠です。
そもそも、地震予知の世界に歴史学を交差させることこそ、類化性能の成せる業。
東日本大震災は、統計学の限界を示した事例でもありました。30年以内に70パーセントの確率は明日でも29年と364日目でも起きれば一緒。起きなければ、3割のほうだったというだけでしょう。あくまでも来たるべき不測の事態に対応するための目安が示されるだけです。
一方、古文書はリアルです。その日なにがおこったのか、予兆はあったのか、人々はどう逃げて助かったのか。助からなかったのか。
古文書だけでなく、地名、石碑、口伝など別の形でリアルを伝えている場合もあります。
だから、日々の注意喚起につながるわけです。ここから様々な想像を巡らせて、人々は「生きのびる」方法をつかまなければなりません。
大震災後、津波が生じたとき、どの方向に逃げるべきだったのか。地形によって千差万別らしいのですが、様々な統計学的シミュレーションが行われました。
ある地域では、最新の統計学的シミュレーションで導き出された最適の避難地点を訪ねたところ、一軒の古びた社があったそうです。
まさにそこは、古文書によれば、江戸末期の大震災による津波で避難してきた人々が建てた社だったそうです。
統計学はたしかに重要な役割を今後果たしていくでしょうが、リアルを想像するチカラはまた別であり、どちらが欠けていても実践には役に立たないことを理解したいですね。
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