最近は努めて古典を読むようにしています。




なかでも石田梅岩は商業を語るうえで必須のテキストだと思います。




わたしの古巣の創業者は「昭和の石田梅岩」と称された人でした。




その影響もあるのでしょう。




原書を紐解いていくことでいろいろな発見があります。




たとえば、こんな問答があります。




「倹約とはなにか?」という問いに対して、梅岩は、




「商人における倹約とは世俗の解釈とは異なり、自分が利するためにけちになるのではなく、世間のために3つ必要なところを2つで済むようにすること」




と答えています。



これは実に深い。

三つ必要なところを二つで事足りるようにするとは、

例えば、これまである商品に対して、1000円払わなければならなかったところを800円で済むようにする。

その機能を満たすために1000円払わなければならなかったところを、同じ、あるいはそれ以上の満足を満たしつつ、800円で事足りるように、人々の財をより有効に使えるようにはからうことが商人の役割だということです。

いま、よい商品だからこそ、然るべき対価をもらうのは当然という主張が多くでてきています。

これ自体は間違いではないと思うし、政府と追随型マスコミが進める「高額商品&付加価値商品売れてますキャンペーン」もありだとは思いますが、

やはり本物の商人のスピリットは天下の人々の財がうまく残るように自らが倹約に努めるところにあるように思うのです。

梅岩は、太平記の故事を引き合いに出します。

青戸何某という人物が川に落ちたお金をひろうのに、落としたお金の倍以上の松明を買って探させたのですが、

梅岩は、川に落ちたお金は天下に回らず、松明を買ったお金は天下に回るとして、これを評価しています。

まあ、川に落ちたお金をタンス預金になぞらえる人も多いのですが、

であれば、タンス預金を天下のお金として引き出す力も商人に求められていると解釈できますね。

ご政道は商人道とは真逆であるのが、常。

であればこそ、こんな時代に真の商人道が求められていると思います。