天気のよい日、地元の歴史をたずねる散歩へ。
東久留米にある「米津寺」。「べいしんじ」と読みます。
東京の多摩地区唯一の大名の墓所がある寺として知られています。
三河譜代、家康公の十六神将のひとりである「米津家」(よねきつけ)を祖とする久喜、長瀞藩の藩主四代の墓所です。
東久留米は尾張徳川家の鷹場ときいていたのですが、徳川にやはり所縁があるんですね。
これは、大円寺にある馬頭観音塔です。
板橋、八王子、四谷、川越からそれぞれ五里と刻まれていて「ゴリゴリ馬頭」と呼ばれています。
このあたりは武蔵野台地のど真ん中にあたるんですね。
先ほどの尾張徳川家は、木曽を所領に持ち、木曽馬を育成していました。鷹狩にも利用したんでしょうね。だから馬頭観音の石仏が市内のあちこちにあります。
いまは住宅街のなかにありますが、武蔵野の面影を残す雑木林に佇む「子の神社」。
もとは、「根の神社」と言ったそうです。
星野之宣さんの「宗像教授シリーズ」風に解説すると、
「根=根の国」、つまり地底、死の国です。
かつてはこのあたりで大規模な死者数を弔った記憶があるのかもしれません。
この神社には牛頭天王、疫病を鎮める神が祀られていますし、近くの寺には幼子や水子を祀る地域で一番大きな地蔵堂があります。
もしかすると、このあたりで小さな子供がたくさんなくなった流行病があったのかもしれません。
悲しい記憶を忘れず、なおかつ新しいプラスのイメージを持たせる。忌み言葉を転じたのではないか。
そこで、いつからか、「子=ネズミ」の字をあてた。ネズミはネズミ算の名の通り、子沢山で知られています。
「ネズミ浄土」の民話にもあるようにネズミはあの世の使者であるのと同時に「産」の意味もあります。
まさに言霊の国です。
住宅街を抜けたところにこんな風景が広がりました。
いつもは通りすぎるだけの地元の寺社にもいろんな発見があります。
小さな歴史散歩、皆さんもいかがですか?
iPhoneからの投稿
東久留米にある「米津寺」。「べいしんじ」と読みます。
東京の多摩地区唯一の大名の墓所がある寺として知られています。
三河譜代、家康公の十六神将のひとりである「米津家」(よねきつけ)を祖とする久喜、長瀞藩の藩主四代の墓所です。
東久留米は尾張徳川家の鷹場ときいていたのですが、徳川にやはり所縁があるんですね。
これは、大円寺にある馬頭観音塔です。
板橋、八王子、四谷、川越からそれぞれ五里と刻まれていて「ゴリゴリ馬頭」と呼ばれています。
このあたりは武蔵野台地のど真ん中にあたるんですね。
先ほどの尾張徳川家は、木曽を所領に持ち、木曽馬を育成していました。鷹狩にも利用したんでしょうね。だから馬頭観音の石仏が市内のあちこちにあります。
いまは住宅街のなかにありますが、武蔵野の面影を残す雑木林に佇む「子の神社」。
もとは、「根の神社」と言ったそうです。
星野之宣さんの「宗像教授シリーズ」風に解説すると、
「根=根の国」、つまり地底、死の国です。
かつてはこのあたりで大規模な死者数を弔った記憶があるのかもしれません。
この神社には牛頭天王、疫病を鎮める神が祀られていますし、近くの寺には幼子や水子を祀る地域で一番大きな地蔵堂があります。
もしかすると、このあたりで小さな子供がたくさんなくなった流行病があったのかもしれません。
悲しい記憶を忘れず、なおかつ新しいプラスのイメージを持たせる。忌み言葉を転じたのではないか。
そこで、いつからか、「子=ネズミ」の字をあてた。ネズミはネズミ算の名の通り、子沢山で知られています。
「ネズミ浄土」の民話にもあるようにネズミはあの世の使者であるのと同時に「産」の意味もあります。
まさに言霊の国です。
住宅街を抜けたところにこんな風景が広がりました。
いつもは通りすぎるだけの地元の寺社にもいろんな発見があります。
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