昨晩、流通ジャーナリストの金子哲雄氏が亡くなりました。






享年41歳・・同い年です。あまりの早すぎる死に言葉もありません。






約15年来の付き合いですが、テレビの仕事が忙しくなってからは、思いがけないところで数度会って、




お互いの近況を立ち話ですることしかできませんでした。






最後に会ったのは、半年くらい前でしょうか。






出張先の松山空港の搭乗待ちのときでした。






ずいぶん痩せたなというと、






テレビでの報道にもありましたが、






「番組でダイエット企画があってね。でもリバウンドもあって苦しんでいる」という答えでした。






いまになって思えば、「苦しんでいる」というところに意味があったのだとはっとしました。






かれは会うたびにいつも私の家族のことを気遣ってくれました。






一方で、テレビで忙しくなって、走り続けていたかれの体を思い至れなかった。






後悔しています。




テレビのニュースを見ていると、テレビの人たちにほんとうに愛されて、気遣いの人と評されて、




胸が痛みましたが、嬉しかったです。






彼とは、かれが中小企業診断士として独立したて、私も流通誌の駆け出しの編集者として、よく一緒にゲリラ取材を敢行しました。






一番思い出に残っているのは、






新宿のドン・キホーテの24時間ウォッチングです。






これは、当時の周囲に、私はかれを残して終電で帰ったという薄情な話的に伝わっているのですが、






実は、これはかれの優しい気遣いがあったのです。






この取材の2日前、私は鹿児島の「AZスーパーセンター」というところで24時間取材を行って帰ってきたばかりでした。






「24時間取材のはしごは大変ですよー。ここは僕だけで大丈夫ですから!終電まで残ってくれるだけでありがたいですよー」






そういってかれはわたしを家に帰したのです。






そのあと店舗に残ったかれに起こったできごとは面白いやら、恐ろしいやら、可笑しいやら…






その原稿が評判になり、かれはドン・キホーテの当時のトップから褒められ目をかけてくれたといいます。






テレビに出てからも、あのころの足で稼いだ取材が自分の原点とあちらこちらで言ってくれていたのは、とても嬉しかったですね。






ともに取材に行った機会は数えきれません。






古巣の雑誌の編集長に就任した時、激励パーティーを開いてくれたのもかれでした。






いくつもの肩書きを持つかれですが、






「流通ジャーナリスト」という名称で呼ばれ、それが世間一般に知られるようになったのは、






かれの功績だと思います。






おなじ「流通」のジャーナルに携わる者として嬉しいかぎりです






プライベートでも、






結婚式の2次会の企画、司会をかってでてくれたり、






車を買うときもかれの紹介ディーラーさんでした。






合コンも何回かやったなあ。






奥様思いで、毎朝お互いの目標を確認し、しまむらで買った下着を共有するという信じられないような「仲」でした。






思い出は尽きないけど、






まだ実感がわかないけど、






さびしくなるよ。